ボケの花
ハマス/イスラエルの戦争は、露/宇戦争とは根本的に違う。何が違うのか。
露/宇戦争は国家間の争いであるのに対し、ハマス/イスラエルは国家間の争いではないことだ。戦争というのは、国家と国家のせめぎ合いのことだから、ハマス/イスラエルの場合は、戦争ではない。これを間違ってはいけない。では、なんの戦いなのかといえば、宗教の戦いだといえば良いか。ハマスの戦いは国家として勝利することではなく、聖戦をイスラムとして評価してもらうためである。
したがって、ハマスはイスラエルの戦争相手、交渉相手ではないのだ。国外にいてパレスチナを仕切っているように見える宗教者が、パラスチナを代表しているかといえば、甚だ怪しい。なんとか統一性を確保しているように見えるのは、それが「イスラム」だと言うだけに過ぎない。
国家間の争いであれば、最終的には交渉によって勝敗が決まる。戦前の日本だって、本土決戦だといいながら、最終的には天皇を中心とした政治により終結した。中世の民族移動による戦いでは、ゲルマン、モンゴル、十字軍、オスマンにしろ、進撃を続けてはいたが、相手国家が不在であることで、最終的には、自滅していった。今、イスラエルは、相手にしているのは国家ではないので、明らかにこれら中世と同じ蹉跌に陥っているかのように見える。
ハマスの激しい抵抗は政治的な目的を持つものではなく、宗教的な意識である。だから、この争いを国家間の戦争のように、イスラエルの悲惨なふるまいとして、倫理的に評価するのは避けたい。イスラエルの非道を告発している戦場記者たちは、この陥穽にハマっている。
この戦いの終結は、例えどこかが仲裁して収まるとしても、根本的な解決にはならない。戦いの基本は、政治の問題だが、ここでは宗教的な課題を内包している。政治を司るのは、本来国家である。国家のないところに政治はない。
マルクスは昔、同じような課題を背負ったユダヤ人問題について、ユダヤが問題なのは、宗教ではない。政治だ。だからまず政治的に解放されなければユダヤ人問題は解決しないと明言している。イスラムについても同じである。パレスチナを含め、アラブの諸民族はイスラムという宗教にがんじがらめにされている。まず政治的に解放され、宗教から自由になることだ。
その結果が、パレスチナの安定とアラブ世界の繁栄をもたらすこと、明々白々である。【彬】