カーネーション
LGBT=性差別の禁止などという法律が成立しそうだ。このブログで、以前、この動きについて、ファッションではないか、と述べたことがあるが、法律となるとそんな冗談ごとではなくなってくる。成立に向けて、アメリカ大使までデモに加わってメッセージを発していることが伝えられている。そんなに重要な案件なのか。
法律の趣旨は、男なのに女だと(思って)いる、いわゆる性同一性障害の人を差別するな、ということ。あるいは逆に女なのに男だと思っている人も指すことである。そういう人が同性同士で結婚することを認めよ、という運動である。
こうした特殊な性意識を持つ人は何人くらいいるのだろうか。私の身の回りからみて、ほんの少数だと思う。そんな少数の弱者を差別するな、差別したら罰則を加えるというのである。趣旨は違うが、家族から虐待を受けて、性産業に依拠せざるを得ない少数の若い女性を救済するという運動=colaboなどという団体もある。いずれも少数者の救済にテーマを見出している。
これら、性をめぐる問題は、なんだか世の中の〈弱者探し〉のようにも見える。当人達は本当はそっとしておいてもらいたいのではないのか。
弱者の救済といえば絶対正義の立場をとれる、と考えているのだろう。それが社会運動の表に立っている。しかし弱者といえど、かつての癩病の患者のように、社会そのものが疎外していた問題とは違うように思う。結核についても同じような側面があった。そうした問題の解決方法と、今の性差別の問題は根本的に違うように思う。
LBGT運動は少数の弱者を無理やり表に引っ張り出す、主客が転倒した社会運動のように思う。弱者の名を借りた目立ち屋の運動である。私はもちろん法案に反対である。【彬】
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