正月に義兄の会社の別荘(和田町)へ行った帰りに日本寺に寄った。 そしてその山頂展望台からの景色を楽しんだ。写真は、山頂展望台から金谷漁港付近を見たものである。 北西を見れば、金谷の漁業の町が、パッケージみたいに詰まっている金谷漁港。南を見れば、元名、保田の海水浴場。神奈川県の工業地帯も見ることができる。
元名・保田の海水浴場
のんびりとした休日の昼のことである。 しかしこの金谷漁港から鋸山に登る山道の途中に、いくつもの地下壕の入り口がある。本土決戦に備えて、暁部隊と呼ばれた部隊兵と、勤労中等生によって掘られたのだ。 その先に、日本寺がある。火災よる焼失で、仏像や建造物などの文化財を失った日本寺。再建への道はまだ遠そうである。戦災によって、更なる破壊がなかっただけでも良しとするか… また、この近くの館山航空隊の水上班滑走路がアメリカ占領軍が上陸した場所であるからのどかな田舎町の風情を失っていた時代があったことが分かる。 あの後戦争が続いていれば、九十九里側からはコロネット作戦で焼け野原になっていただろうし、東京湾の入り口にあるここも無傷では済まなかったはずである。 房州石の石切り場でもあった日本寺は破壊されていた可能性がある。であれば、ゆきたんくが感動した景色も見ることができなかったはずなのである。 見れたことに感謝したい。