山口県の名所秋吉台から更に21km北上すると、仙崎という町に着く。童謡詩人金子みすゞを輩出した町である。女房がファンということで山口県まで来た。泊まった宿が青海島観光ホテル、朝は決まってお散歩である。しかし、行動範囲が広いため、散歩ではなく、散走(さんそう)へ。
ここ仙崎の町までは、JR山口駅で借りたレンタカー(トレンタ君)で来た。その乗用車に乗っての散走である。仙崎界隈の寺は周るわ、市場へ行くわで30分もすると走りつくしてしまった。ひょいと顔を上げると青海大橋なる橋がある。その時は、地図など持っておらず、事前の予習などもしていない。この橋を渡ると一体どこへ行くのだろうか。橋を渡って道沿いに走っていくと、「大日々夏みかん原樹」や「鯨墓」、そして通小学校(かよいしょうがっこう)で行き止まりであった。朝食の時間も迫っていたので、急いで戻った。女房の「さて、この後どこへ行こうか?」の声に、「この先にいい所があるから行ってみない。」と私。それが青海島だと知ったのは旅行が終わってからだった。
大日々夏みかん原樹の下で
原樹とは、その名の通りで、日本における最初の夏みかんである。18世紀初頭に、山口県長門市の青海島(おうみじま)の海岸で西本於長(にしもとちょう)さんという女の子が、漂着した大きなミカンのような実を拾った。彼女はその実を持ち帰って種をまき、大きな美しい実を実らせたのが夏みかんのはじまり(原樹)である。大日比(おおひび)の海岸に近い西本家邸内に1本だけ残る夏みかんの原樹の下でおばか写真をとるゆきたんくである。恥ずかしい…
鯨 墓
これみびっくりしたが、山口県のような本州の最南端に位置(緯度的には今住んでいる千葉県とそんなに変わらないか…)する暖かい場所で捕鯨が行われていたという点である。当時の命がけの鯨漁の漁師達は鯨に真摯な思いを持っていたという。そして海を見ずに逝った鯨の胎児を丁重に葬ったのが、この鯨墓である。この写真のメインはくじら墓の説明版と長男のおーちゃんになっている。肝心の墓標は写真左端のゆきたんくの影にその大部分が隠れている。(ちゃんと写真を撮れば良かった。)
その他くじら資料館、早川家住宅(外観のみ)、波の橋立(日本三景、京都の天橋立の1/3の大きさ)など見所は結構あった。島の裏側に奇岩ギャラリーがあるというが、そちらは行かなかった。
そして仙崎に戻る前に、橋の手前にあった公園で一休みした。王子山公園である。何気なく仙崎の町をフレームに入れ、シャッターを押した。それが、最初の写真である。小学校高学年の国語の教科書を見る機会があったが、それにまったく同じ写真が載っていたのである。童謡詩人金子みすゞを題材にした学習内容であった。仙崎の町を愛したみすゞは、この風景を見て、竜宮城と言ったそうである。
浦島太郎の物語について思いを馳せた訳ではなく、「絵にもかけないほど美しい」ことを言いたかったのだと思う。今度は、晴れの日に、この風景を撮りたい。