その昔、幕末の動乱の中を、駆け抜けていった新撰組という一団がいた。 何かっこつけてんだ、俺?
幕末の一時期、慶応4年(1868)正月鳥羽・伏見の戦いに敗れ江戸へ戻った。 そして組の建て直しを図るべく、酒造家長岡屋の日増しに集まる隊士のために諸家に分宿したという。近藤勇はこの時すでに時勢の流れを見極め、これ以上官軍と戦うことは徳川慶喜公の志にそむき、また、流山に兵火をあげることは町の人々を苦しめることになると考えた。 そして、諸人を救い、自分一人死んでも恨みはないと決意をかためたという。幕末史に大きな波乱を残した近藤勇は板橋に護送された。近藤の処置については、官軍の中でも賛否両論で紛糾したが、ついに3週間後の4月25日板橋の霧と消えた。時に近藤勇35歳の若さであった。
この茶色の文字の部分が晩年の近藤勇の大まかなストーリーである。
ゆきたんくの住む松戸市の隣、流山市にある陣屋跡は何回も見ている。
しかし、NHKの放映が始まると、掲示物が新しくなったり、かび臭かったサイン帳も真新しいのにかわっていた。
新しいもの
古いもの
何のことない、町並みの一角にこういうところがあるというのはまことに興味深いものである。仮に近藤勇が、手段を選ばない人であったならば流山市の住民はこのような形で残さないであろう。