写真に写っている風光明媚な場所は、今はなき行川(なめがわ)アイランドの近くにある。行川アイランド駅から100mほどの所にある「おせんころがし」である。
そこには地蔵尊があって、そばに説明版がある。そこには
高さ20メートル、幅4キロメートルにもおよぶこの「おせんころがし」には、いくつかの悲話が残されています。豪族の一人娘お仙は日ごろから年貢に苦しむ領民に心痛め、強欲な父を見かねて説得しましたが聞き入れてくれません。ある日のこと、領民が父の殺害を計画し機会をうかがっているのを知ったお仙ーは、自ら父の身代わりとなり領民に断崖から夜の海へ投げこまれてしまいました。領民たちは、それが身代わりのお仙であったことを翌朝まで知りませんでした。悲嘆にくれる領民たちは、わびを入れ、ここに地蔵尊を建てて供養しました。さすがの父も心を入れかえたということです。
と記されている。
おせんころがしの地蔵尊
痛みを伴わない改革はないなんて聞くことがある。それを言う人で、その痛みが分っている人ってどれくらいいるのだろうか。この「おせんころがし」まつわる秘話というのはまだまだ数パターンあるのだという。そもそもゆきたんくが、ここ「おせんころがし」に寄ったのはまったくの偶然であった。実は和田町にある、義理の兄貴の会社の別荘に旅行に出かけていて、旅行につき物の朝の散歩の延長であった。(車だから散歩じゃなくて散走ね)、海岸線を和田町からどんどん上がり、行川まで来てしまったのである。ふと見たときに「おせんころがし」の表示が目に入り、この写真の所まで来たという訳だ。その時に旅の本(絶版になったのでしょうかじゃぱん)に「おせんころがし」のことが出ていたのである。ここに載せた(茶字の部分)とは違ったストーリーが載っていた。
おせんころがしから見た海岸線
いずれにしても共通しているのは、自己犠牲の精神の元、父と領民の両者の融和を図った点である。お仙の目指していたのは、父を大切にしたいということと、領民が苦しまないことであった。父が殺されるかもしれないということで自分が身代わりになり、それが領民の心を打ち、父を改心させ、領民との間を取り持った形になっている。様々なパターンの話があるので、もしかしたら作り話かもしれないが、この話が地域の和平を側面から支えいていたような気がしてならない。