伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

遺構

2008-02-14 23:59:25 | Weblog

 一昨年末に京都と奈良を旅行した。

年末の31日には左京区付近の名刹リレーであった。

かの宮本武蔵が宿敵の吉岡一門と決闘をした一乗寺下り松から始まって、侘び寂の極地、慈照寺(銀閣)を見た。哲学の道をゆったりと歩き、南禅寺へ向かう。

かねてから下調べ済みの三門に立ち、「絶景かな、絶景かな」と石川五右衛門よろしく見栄を切り、煉瓦遺構の水路閣(琵琶湖疏水が流れる)に感動する。

水路閣(南禅寺境内)

そして、街中に抜けて、この日昼の観光は終わるはずであった。ところがである。

左京区から東山区(知恩院や清水寺がある)に抜けるところで、思わぬ建造物に出くわしてしまったのである。最初の写真の蹴上(けあげ)発電所内に残る、レンガ造りの旧発電所である。実はゆきたんくは戦争遺跡にも興味があり、この旧発電所を見た瞬間に新たな物件に出会ったと思ったのである。

 もっとも、①煉瓦作りであるということ、②発電所だということのたった2点で麗しき誤解をしただけのことであった。帰宅してからいくら調べても戦争遺跡としての蹴上発電所は見つからなかった。

 千葉県市川市の旧血清研究所内に残る、独立工兵第25連隊の火力発電所(と言われている)の建物のイメージから戦争遺跡と思ってしまったのである。ここはかつて国府台教導団という日本最高のレベルを誇った陸軍の施設があった所である。

 独立工兵第25連隊火力発電所

 これを見ていたので、蹴上の物件を見た時に「見つけた~」と思ったのである。

いずれにしても貴重な遺構であり、後世のためにしっかりと保存していただけるとありがたいと思う。最後の物件については血清研究所が2002年に廃止になって以来なんの手入れもしていないようである。国府台の戦争遺跡の中で唯一の建築物なのだが…

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伝来

2008-02-13 23:47:05 | Weblog

徳川家康の墓(ご宝塔)

栃木県日光市 東照宮内

  前に、インドネシアのボロブドゥールと奈良県の頭塔の共通性について述べた。  今日は、徳川家康の墓と、ボロブドゥールの円壇部分にあるストゥーバについて述べたいと思う。 ストゥーバとはハンドベルのような形をしていて仏舎利(仏陀の骨)や遺髪をまつった建造物のことである。日本では卒塔婆とはお墓にあげる細長い木の板と言えば分かるだろう。

ボロブドゥール(インドネシア…ジョグジャカルタ)

中央の大きいのが大ストゥーバ

左右に見えるのがストゥーバ

 

 段々に積み上げたところや、屋根こそついてはいるがストゥーバに形の似ている徳川家康のご宝塔は東照宮で一番高い所にある。ボロブドゥール、頭塔、宝塔の共通しているところである。

頭塔(奈良県高畑町)

 南東から見た修復中の頭塔である。構造が分かりやすいだろう。大本はインドからなのであろう。

 

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見ざる・聞かざる・言わざる

2008-02-12 20:42:40 | Weblog

 「見ざる・聞かざる・言わざる」というと、日光の東照宮内にある神厩舎の彫り物(猿の一生)のことを思い浮かべる方が多いだろう。 ひょんなことから興味を持ったことがある。町の中にどこかに、必ず立っている「面金剛(しょうめんこんごう)」様のことである。  

松戸市鵜森神社の面金剛

 面金剛というのはwikipediaによると、インド由来の仏教尊像ではなく、中国の道教思想に由来し、日本の民間信仰のなかで独自に発展した尊像である。庚申講の本尊として知られる。 道教では、人間の体内には三尸(さんし)という3種類の悪い虫が棲み、人の睡眠中にその人の悪事をすべて天帝に報告に行くという。そのため、三尸が活動するとされる庚申の日(60日に一度)の夜は、眠ってはならないとされ、庚申の日の夜は人々が集まって、徹夜で過ごすという「庚申待ち」の風習があった。庚申待ちは平安貴族の間に始まり、近世に入っては、近隣の庚申講の人々が集まって夜通し酒宴を行うという風習が民間にも広まった。

松戸市旭町、坂川沿いの面金剛

とある。 また、

 庚申講の本尊である青面金剛の像容は、一面三眼六臂で、手足に蛇が巻き付く姿が一般的で、密教明王像、特に軍荼利明王に通ずるものがある。日本では各地に石造の庚申塔が多数遺り、そこには「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿像とともに青面金剛像が表わされている例が多い。木造の古例としては、奈良・東大寺の木造青面金剛立像(重要文化財、東京国立博物館に寄託出品中)が著名である。

ともある。

文字だけの面金剛 柏市布施下

 仏教では庚申の本尊が面金剛だという。乗っている台座にはなぜ、必ず三猿がいるのだろうか。

猿は庚申信仰の申(さる)と結びついているということか。

 神道では庚申の本尊は猿田彦大神だという。ここにも猿との関連がある。

野田市中野台の猿田彦大神

猿が更新の使いとされることから三猿が彫られたともいう。

そしてその三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)の何々せざるは猿にしゃれたとも言われている。また、様々な国で三猿にまつわる逸話もある。そしてどれも人間の欲に抑制をかける働きを持っているのだそうだが、専門家が研究中の分野でもあるそうだ。

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日本寺

2008-02-11 23:33:12 | Weblog
正月に義兄の会社の別荘(和田町)へ行った帰りに日本寺に寄った。 そしてその山頂展望台からの景色を楽しんだ。写真は、山頂展望台から金谷漁港付近を見たものである。 北西を見れば、金谷の漁業の町が、パッケージみたいに詰まっている金谷漁港。南を見れば、元名、保田の海水浴場。神奈川県の工業地帯も見ることができる。

元名・保田の海水浴場

のんびりとした休日の昼のことである。 しかしこの金谷漁港から鋸山に登る山道の途中に、いくつもの地下壕の入り口がある。本土決戦に備えて、暁部隊と呼ばれた部隊兵と、勤労中等生によって掘られたのだ。 その先に、日本寺がある。火災よる焼失で、仏像や建造物などの文化財を失った日本寺。再建への道はまだ遠そうである。戦災によって、更なる破壊がなかっただけでも良しとするか… また、この近くの館山航空隊の水上班滑走路がアメリカ占領軍が上陸した場所であるからのどかな田舎町の風情を失っていた時代があったことが分かる。 あの後戦争が続いていれば、九十九里側からはコロネット作戦で焼け野原になっていただろうし、東京湾の入り口にあるここも無傷では済まなかったはずである。 房州石の石切り場でもあった日本寺は破壊されていた可能性がある。であれば、ゆきたんくが感動した景色も見ることができなかったはずなのである。 見れたことに感謝したい。
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赤道

2008-02-10 23:40:50 | Weblog
赤道は地球の北半球と南半球を分ける線であることは皆さんご存知だと思う。

小学校の時のことである。

ゆきたんくにとって外国がまだまだ遠い存在で、一生の内に一度でいいから行って見たいと思っていたころのことである。また、その時の外国の名前と言ったらアメリカしか知らなかった。

クラスの中に夏休みを利用して外国に行ったA君がいた。
1964年(昭和39年)海外旅行が自由化されて、まだ5、6年の頃のことである。小学校3年か、4年だったと思う。
そして誕生日に地球儀を買ってもらったB君も混じって話をしていた。

A「そうそう、飛行機の窓からさ赤道を見たんだよ。」
B「地球儀では赤い線が引いてあったよ。」
ゆ「どうだった?」
A「海の上にさ、赤い線が見えるんだよ、きっとあそこは熱いんだよ。」
B「へぇー、地球儀と同じなんだ。」
ゆ「見てみたいなぁ。」

ざっかけない話の中に、こんな部分が混じっていたと思う。
無論、そんなことは在りえないのだけれど、その時は素直に「信じていたと思う。」何しろ外国に行ったこともなければ、飛行機に乗ったこともなかったのだから…

子供って面白いことを言うし、それを信じてしまうし、頭が柔らかいのだと思う。

年末から年始にかけてインドネシアに行ったことは、ずいぶん記事にした。
行きの飛行機の中でモニターを見ながら現在地の確認をしていた時に、生まれて初めて赤道を越えるのだと意識した。35年以上前の友達との会話が蘇ったのはその時のことである。

モニターを見て、赤道の上を通過する時にカメラのシャッターを切った。
赤い線は写っていなかったが、上空10万mから見える青い地球がきれいに写ったのだ。この景色にとっては、赤道も国境も人間が作った夾雑物に過ぎないのである。
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流儀

2008-02-09 23:11:08 | Weblog
世の中には様々な流儀が存在する。

それに気がつかないで過ごしていることのなんと多いことか。

ウインナーコーヒーというコーヒーはご存知だと思う。
コーヒーの上にホイップした生クリームが載っているやつだ。

スプーンで生クリームを食べたり、かき混ぜたりして飲んでいたものだ。

行きつけの喫茶店のマスターは、先生について修行された方である。
そのマスターに飲み方を教わった。

ウインナーコーヒーは、コーヒーをたて、カップに注いでから静かに砂糖を入れる。そしてホイップしたクリームを載せて出す。

飲み方は、スプーンは使わずにクリームとカップの縁からコーヒーを飲む。
冷たいクリームと熱いコーヒーが同時に口に入ってくる。
クリームの濃い味と、コーヒーの濃い味が同時に楽しめ、その後でマイルドな後味を残す。なんと官能的なことか…

だんだんとコーヒーが減ってくるに従ってカップの底に溶けて沈んでいた砂糖の甘みが主張を始める。そのコーヒーの最後の一滴を飲み干すまでクリームは残っている。

飲み方一つで味がまったく違うものになるのだと思った。
もっとも、この店でウインナーコーヒーを飲むのは初めてなので、かき混ぜたり、スプーンでクリームを食べたりはしていない。
検証なんて野暮なことはやめておこう。

とにかく今までにないウインナーコーヒーを味わえたのだから。

マスターに感謝。
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イングリッシュ・ブレークファスト

2008-02-08 23:01:00 | Weblog

イギリスは食い物がまずい・・・・ そう聞いていた。渡英した時に食べるものはあるのか。お茶漬け海苔を持っていかなくて良いのか。その前にライスはあるのか。 ホテルも予約せずにどうにかなるさと渡英した。一泊目は知人の家にお世話になることになっていた。2日目である。ゆきたんくのわがままで、ウェールズとイングランドにまたがっているハージェスト・リッジ(前述のマイク・オールフイールドのセカンドアルバムのタイトルになった場所)に行きたい。30年来の夢をかなえたい。ということでゆきたんくの運転する車は目的地に向かっていた。 途中までは順調だった。ストーンヘンジを見た。ウッドヘンジも見た。ソールズベリ大聖堂も見た。よし、次はハージェスト・リッジだと車を飛ばした。 ところが道に迷い、あらぬ方向に… バース行きのバスとすれ違い、ブリストルまでは順調だった。ブリストルからヘレフォードまでいけば、ハージェスト・リッジのあるキングトンはすぐ隣である。 途中で橋を渡っていることに気づいた。ブリストルとヘレフォードは陸続きのはずである。神田の書店で買ったA3版のブリテイン・アトラスを見て確認した。北西へ行くはずが西へ行っているのだ。結局予定時間2時間での移動が3時間半になってしまった。

ブリストルからヘレフォードに向かったはずが…

道の途中で目に入った看板がB&Bのパンディであった。B&BというのはBed & Brealfast(一泊、朝食付き)の宿のことである。14£50、日本円で3000円くらいである。ロンドン市内のホテルに比べてなんと安いことか。宿はここに決めた。マスターのアランさんは若い頃イギリス海軍で上陸はしなかったが横須賀沖に1週間ほど停泊したことがあるという。 たった4人の一行に、12人泊まれるロッジを貸してくれた。

B&B パンディ・イン

右奥の建物がブラックマウンテンロッジで12人泊まれる

ここに4人で泊まった。

夕食はヘレフォードのインディアン・レストラン(カレーハウス)でとった。なかなかの味であった。40センチ以上はあった「ナン」を写真に撮るのを忘れてしまった。

 

翌朝、恒例の朝の散歩を済ませると食事である。

 金魚鉢のようなティーポット

たっぷりのソーセージとハッシュポテト、金魚鉢のような大きなティーポット、トーストにシリアル、アランさんが「ウィズエグ」と聞いてきたがよく分からなかった。ゆっくり言ってくれるように頼むと「With egg」のことだと分かった。 イギリスの旅のサイトに写真を投稿して、自信たっぷりに「イングリッシュ・ブレークファスト」を食べてきましたとやったことがあるが、後に英文で、「これは、本物のイングリッシュ・ブレークファストではない、血のソーセージや…」と叱られてしまった。知ったかぶりはいけない、おのぼりさんになっていたのである。アランさんが卵はいるかとか聞いてくれたことから考えると、好き嫌いがはっきりしているものについては最初から出さなかったのかもしれない。とはいえ、とてもおいしくいただいた。腹も一杯で旅に向かう元気も出てきたのである。(次の日の宿はまだ考えていなかった。いきあたりばったりな私である。) イギリスは食い物が旨い所もあることを伝えておく。

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人力…

2008-02-07 22:21:40 | Weblog

ゆきたんくの交通の手段というと、ほとんど車である。座ってハンドルを動かしていれば、好きなところへ行けるからである。 最近、ガソリンが高いのが難だが、自分にとって車に勝る乗り物はない。 ゆきたんくは自動車の免許を取ったのが遅い。別に一生免許がなくていいやくらいに思っていた。必要性を感じていなかったからである。家から一番近いバス停から乗ってしまえば駅まで10分のところに住んでいる。都心にもすぐに行ける。 また、浅草などでは人力車に乗れば、隈なく見て回れるはずである。 そんな感覚のゆきたんくが、今はなき交通博物館(神田・万世橋)で見た乗り物を紹介しよう。名前は人車 (じんしゃ)

 

軌道の上に乗っている車体を、人が人力で引っ張るものである。別名を人車鉄道という。明治の終わりから、大正の初めまで、東北地方や、関東地方で多く使われていたという。

客車を引っ張る人の格好は、人力車を引く人と似たようなかっこうである。

当時はこれが動きやすかったのだろう。

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けじめ

2008-02-06 18:55:20 | Weblog
大人と子供の境目って、よく考えるとはっきりしない。
子供は経験が浅いので、先見が利かない。よって無邪気である。
大人は経験則から判断することが多いので、面白みに欠けるところがある。

ところが、こと趣味や嗜好の範疇になると子供に帰ることがある。
自分の物差しで楽しむ時である。
そしてものさしの長さが同じ者で集まって楽しむこともある。

仕事の時に大人の顔、遊びの時に子供に戻ると考えて良いだろうか。

今、日本にどれだけの公的なものさしが存在するだろうか。
厳密に法的な根拠に照らし合わせれば、しっかりしたものがあるのだろうが、日常の中では、その存在が薄れているのだと思う。

写真はロンドンはビクトリアにあるパブである。
ビクトリア・コーチ(大きなバスの発着場)の横にある店で、とても雰囲気が良い。
このすぐ近くの通りにある宿イブリーハウスに泊まった。毎日の気温が熱波で35度を超していたので、面倒くさいことは避け、毎日の夕食をここで食べたのである。

写真は正面入り口で、横にもう一つの入り口がある。店内に入ってみると、大きなついたてが有り、店内を二つのスペースに区分けしてあった。その区画にはそれぞれの入り口からしか入れないのだ。管理者階級やホワイトカラーと労働者階級とが、それぞれ利用するスペースを分離しているのが理由だそうだ。
日本だと差別だと騒がれるようなことだが、客はゆったりとビールや食事を楽しんでいた。席を指示される訳ではなく、自分で選択する訳だが、ゆきたんく一家(この時は奥方ののりたんと次男のつっくんがいた。長男のおーちゃんは合宿中で日本にいた。)は外の席に出るように指示された。黄色人種だからではない。ここはパブである。子供の入店は認められていないのだ。それが分かったのは、つっくんがチップス(フライドポテト)追加をしに、店内に入った時に外に出るよう言われたことで分かったのである。日本では居酒屋に酔客に混じって子供が食事をしていることがあるが、パブでは許されないことなのだそうだ。

店員は愛嬌があり、ゆきたんくも遊ばれてしまった。しかし、けじめだけは揺るぎないことを知った。

今の日本は、だんだんと「たが」が緩んできているような気がする。
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コロン

2008-02-05 23:58:52 | Weblog

イングランド ヘレフォード州

スナック菓子に「コロン」というのがある。きっと食されたことがあると思う。

円筒形ワッフルの芯の部分にクリームを詰めた、サクサクのおいしい菓子である。

さくさくのクリームコロンである

前にも述べたが、ゆきたんくは下戸で甘党である。このような菓子の箱を開けようものならば、途中でやめることなどはできない。たちまち完食である。

健康に悪いのだろうが、「旨いものを喰って死ぬのなら」なんて不謹慎なことを言ってでも自分を正当化するだろう。(だから太るんだって)

小さい時にヤクルトをとっていたが、そのビンのサイズにがっかりしたものである。もちろん親は嗜好品としてでなく、薬扱いだったので量が少なくても関係はなかったと思う。子供心にしてみれば甘酸っぱい清涼飲料水の趣もあったから量は少なく感じたのである。森永マミーという乳酸菌飲料は、ヤクルトに比べかさがあったが、それでも満足できるものではなかった。「これをガブガブ飲めたらなぁ」とよく思ったものである。現在乳酸菌飲料の500mlパックが出ていて、その思いは果たされたのである。

さて、コロンの話をしていたのであった。甘いもの大好きのゆきたんくがイギリスに行った時にであったコロンがある。酪農の地のヘレフォードの道を車で走っていた時のことである。イギリスの畑を通る道は、その脇に生垣が作ってある。日本の道路のガードレールのようにずっと続いているのである。ところどころ途切れているのだが、その間から見えたのが巨大なコロンだったのである。車を止めて近づいてみる。

きれいに丸く巻いてある。中身はクリームの訳はなく、牧草である。正式名称は「ロールベルサイレージ」といって、牧草をロールに巻き、そのまま転がしておくと、自然発酵して、牛にとっては美味なご馳走に変身する代物である。昔はサイロに牧草をたくさん運んで牛の餌としていたが、現在ではこの方が安価であり、施設の手入れや、サイロ内の無酸素状態が引き起こす酸欠事故もなくなるので一般的になりつつあるようだ。日本では北海道で多く見られるようだ。

今では、恵方巻きに見立てた30cm近い長さのコロンがあるようだが、まだそんなものを見たことがないゆきたんくにとって、強大なコロンはとても目に新鮮に映った。と同時に、こんなコロンを食べてみたいという衝動(いい年してね)や以前に「なんだこりゃ」と思っていたウォールペーパーの正体(前述のマイクオールドフィールドのチューブラーベルズのロゴがついているのにコロンが転がっていた。)が分かった。

チューブラーベルと牧草ロールの壁紙

イギリスではいたるところに牧草があり、ロール状のものや、ブロック状のものもあった。そのブロックでさえ食べ物に見えてしまうから厄介なものである。

ブロック状の牧草

イングランド グロスター州

さて、検証はしていないのだが、このコロンと酷似した牧草ロールは関連があるのだろうか。あるとすれば、どちらが歴史が古いのだろうか。などと考えてしまうときりがないのでこの辺でやめておこう。

神秘的な朝靄の中の牧草ロール

ウェールズ モンモース州

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当たり前…

2008-02-04 20:18:04 | Weblog
何気ないことに気を留めることの大切さにあらためて気づいた。
「当たり前と思っていけないことはいけないよ。」分別のある大人が、子供をたしなめる時によく遣うフレーズである。

実は大人自身がそのことに気づいていなことの方が、子供のそれよりも、はるかに多いのではないかと思ったのだ。


寒い時に温かいものを欲しがるのは普通である。
写真は行き付けの喫茶店のココアである。飲み物は冷たいものオンリーだったゆきたんくが、あまりの寒さに頼んだホットココアである。

最初に飲んだときは「旨い!」と思った。
2回目に飲んだ時は「やっぱり旨い!」と思った。
3回目に飲んだ時は「なんでこんなに旨いんだろう」と思った。
4回目に頼んだ時は作り方を見ていた。

たった一人前のココアを、その分だけ鍋で温めてよく練ってくれていたのである。ファミリーレストランのドリンクバー(それはそれで好きであるが…)などとは違い、客と話を楽しみながら、一杯一杯鍋を火にかけて手間暇をかけた分だけ味が良いのは分かるものなのだ。舌は意外に正直なものなのである。大人でさえ4回目に、一杯のココアにこめられた人の心に気づいたのである。子供には根気良く、「当たり前」の有難さを伝えていかなければいけないだろう。

また後日聞いた話だが、ココアには「鍋汚し」という別名があるのだそうだ。
実に細かいココアの粒子が鍋にこびりついてしまうのである。
それを洗うのにも一苦労であるのだが、お客さんにはそんな話は普通はしないそうだ。そこにも心遣いがあることを忘れてはいけないと思う。
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どうして…

2008-02-04 20:11:48 | Weblog
近頃、中国製餃子による被害がニュースになっている。
様々な観点から調査が進められ、原因の特定を急いでいる。
殺虫剤「メタミドホス」が流通のどのルートで混入したかが捜査の焦点となっている。中毒被害者が出ているので、一刻も早い回復と、事件(事故)の解決を望みたい。

このことで中国の食材そのものを不安視する人が多くなることは間違いない。
以前のBSE問題、貝割れ問題も一時期とても大きく取り上げられた。
かかわった人たちが大きな打撃を受け、その後のケアはどうなったのであろうか。
仕事を辞めざるを得なかった人たちもいたと聞く。

そのことを踏まえて、大騒ぎをする前に原因の特定と問題の解決を試み、実害にあった方たちが完全に治癒するまでのケアをしていただきたいと思う。
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20年

2008-02-03 22:35:00 | Weblog
いやいや、プライベートネタの極地。
親ばかの極地。
今日は長男の二十歳の誕生日である。

今から20年前の今日、子猫のなくような声で生まれてきた長男である。
体重は2516g。小さめであった。
それが今は85kgのがっちりした体躯を持っている。

その昔「腕白でもいい、逞しく育ってほしい」というハムのコマーシャルがあった。なんだそれっと思っていたが、いざ自分が親になるとそう思ってしまうんだなぁ。

長男が生まれた頃は育児休暇制度が整備されておらず、0歳児保育をした。
そう、生後2ヶ月で風邪をひき病院につれて行った。
「このくらいなら、大丈夫ですよ。」と医者に言われたが咳はひどくなり鼻水も出っ放しだった。雨が激しく降っていたあの夜、私も女房も車の運転ができず、長男を毛布に包みタクシーを呼んで病院へ行った。
診断は肺炎だった。すぐに入院、乳幼児なので女房が一緒にいることになった。

生後2ヶ月で点滴を受けている長男。「助かって欲しい」の一心だった。

このようなことが、振り返ると結構あったものだ。
そう、少し気持ちに余裕があったが、次男も似たようなものだった。

「親として真剣になる」と言うより、自然にそうなってしまう。それが親なんだと今振り返ってそう思う。

とにかく生後20年、嬉しい。

写真はバースデーケーキ。今は数字の蝋燭があるんだね。
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マイク・オールドフィールド

2008-02-02 19:58:07 | 音楽

ゆきたんくの趣味の一つ、楽器演奏で一番の影響を受けたのがマイク・オールドフィールドである。日本での知名度はいま一つであるが、映画エクソシスト(1974)のテーマは聴いたことがあるだろう。その作曲者である。 そしてゆきたんくも、その曲(正式名称はチューブラーベルズ)からマイクにのめりこんでいったのである。映画のテーマでは5分くらいの曲であるが、実際にはA面25分、B面23分(当時のLPレコード)の大作である。  内気な高校生くらいのマイクが、こつこつとデモテープを録りため、たくさんのレコード会社に送ったが相手にされず、このまま消えていくはずだった。 今でこそ高名なヴァージングループ(イギリスの大企業)の会長であるリチャード・ブランソンがレコード通販の小さなショップから会社を立ち上げようとしていた時にマイクのデモテープに興味を持ち、契約アーティスト第1号として、オックスフォードの近郊のマナーハウスを改造したスタジオで録音を始めたのである。

旧マナースタジオ 1995年まで

現在はアパートメントのようだ

Shipton on cherwell  Oxford

その時の手法が現在のハードディスクレコーディングの元になったといっても過言ではない。 テープレコーダは、普通は音を重ねて録音することはできない。録音ヘッドのほかに消去ヘッドがあるからだ。マイクは、その消去ヘッドを小さな紙でカバーをして音を重ね録りする方法を身につけていたのである。それで何種類もの楽器を操りチューブラーベルズを完成させたのだ。 そのチューブラーベルズはイギリスで1位になり、アメリカの映画監督のウィリアム・フリードキンがそれを聴き、自分の映画に使ったのだそうだ。一般的にエクソシストは、オカルト映画という評価を受けているが、実際には人間愛を描いた作品である。カトリックのクリスチャンが見るのと日本人が見るのとでは捉え方が違うようだ。現在繁華街に行くと見ることができるヴァージンメガストアはこのチューブラベルズの成功がなければ存在していないはずである。 さて趣味の話に戻そう。ゆきたんくはチューブラーベルズを聴いたために、B面にあったマンドリンによる美しいメロディーを弾きたくて弾きたくて、一番最初に手にした弦楽器がマンドリンである。 また、多重録音も自分でやってみた。最初はマルチトラックレコーダーを使っていたが、今ではハードディスクレコーディングをしている。弾ける楽器も一般の方たちよりも数が多いかもしれない。

 マイクの1980年の作品、タウラス1を多重録音しましたので、良かったら聴いてください。主旋律はマンドリンです。9つ音を重ねました。

                   タウラス1

 

 上写真は1992年、スコットランドのミリタリー・タトゥーでチュブラーベルズ2を演奏するマイク・オールドフィールド

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趣味

2008-02-01 23:56:27 | 音楽

ゆきたんくの趣味の一つにギターがある。自分の思ったように自由に音を出せる楽器である。 強く、弱く、高く、低く コントロールは自分しだいである。やったように音を出してくれる。言い換えれば、やったようにしか音を出してくれない。 本当に正直なやつ。 もう付き合いは28年にもなる。 たまにをつくることもある。

きっかけは大学の友人が弾いているのを見て自分のできるようになりたいと思ったことである。

上の曲のリンクに飛んでいただくと、一番新しいインストのオリジナルにつながります。

サマー・ウインドという曲です。アコギ1本で弾いています。

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ブログ村Ping

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