弟は、大阪勤務で芦屋に住んでいた。
私は、1歳の娘といつもとおりの慌しい午前中を過ごし、
地震を全くしらないまま、TVをつけて。
あの、映像を、観た。
「どこかの国の戦争?」
そう、思った。
あちこちに火の手の上がる恐ろしい画面。
それが、神戸だった。
電話をかけたらいけない、と理性では判っていても、じっとしていられなくて受話器を握り、そのうちに実家から「無事だった!」と連絡が入って気が抜けて・・・
あれから12年。
記憶には当然ない上の子と、そのときまだこの世にいなかった下の子に話す。
現場にいなくても、その日に感じた私の気持ちを、彼女たちに伝える。
少しでも。
それも意味があるのではないか、と思って。
そして。
亡くなった人の冥福と、今、生きている命を同時に祈る。
私は、1歳の娘といつもとおりの慌しい午前中を過ごし、
地震を全くしらないまま、TVをつけて。
あの、映像を、観た。
「どこかの国の戦争?」
そう、思った。
あちこちに火の手の上がる恐ろしい画面。
それが、神戸だった。
電話をかけたらいけない、と理性では判っていても、じっとしていられなくて受話器を握り、そのうちに実家から「無事だった!」と連絡が入って気が抜けて・・・
あれから12年。
記憶には当然ない上の子と、そのときまだこの世にいなかった下の子に話す。
現場にいなくても、その日に感じた私の気持ちを、彼女たちに伝える。
少しでも。
それも意味があるのではないか、と思って。
そして。
亡くなった人の冥福と、今、生きている命を同時に祈る。