私は定年後に多々の理由から年金生活を始めて、
家内は専業主婦の三種の神器のような掃除、洗濯、料理などを継続してくれるので、
せめてと思いながら自主的に平素の買物専任者、と私は家内に宣言したりした。
こうした私の根底には、私たち夫婦は子供に恵まれず、たった2人だけの家庭であり、
家内なりの専業主婦の日常のペース、ささやかな憩(いこ)いひとときなどの過ごしてきたので、
少なくともこうした日常の生活をかき乱すのは、天敵と瞬時に感じ取ったりした。
そして平素の買物専任者となり、ほぼ毎日のように独りで、
スーパー、専門店に家内からの依頼品を買い求めに行ったりした後、
この後も私は独りで、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受し、
ときには本屋、古本屋に寄ったりしている・・。
私は民間会社中小業のある会社に35年近く奮戦して、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した身であるが゛、
最後の5年間はリストラ烈風の中、あえなく出向となり、やがて出向先で定年を迎えた。
このように悪戦苦闘の多い中で、敗残者のような状況であったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活を始めた。
年金生活を当初は、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。
本日も平素の買物の責務を終えた後、我が家の近くに流れている野川の遊歩道に向かった。
私の住む所は、世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の辺鄙な処で、
住宅街で家並みが密集しているが、自宅の近くに野川が流れ、この両岸に遊歩道があり、
私は何かしら解放感を感じて、上流に向かったり、ときには下流に向かったりし、
こよなく歩いているコースのひとつであり、本日は上流沿いとした。
やがて5分ばかり遊歩道を歩いた後、橋の上から遊歩道を歩き続けるか、
或いは遊歩道から下った川面に近い小道を歩こうか、と少し迷ったりした。
まもなく川の流れを近くに見ながら歩こうと思い、遊歩道から川沿いの小道に降り立った。
そして私は水の流れ、陽射しを受けて煌めく川面を眺めたりして、歩いたりした。
私はこうした畦道(あぜみち)ような小道が好きであり、
やはり私は幼年期に農家の児として育ったで、田圃の畦道、畑の小道、或いは雑木林、竹林の中を歩くは、
過ぎ去った歳月、消えてしまった状景に、何かと愛惜を秘めながら歩くことが多い。
やがて5分過ぎた頃、見上げると私の好きな樹が染められて、
何かと単細胞の私は、私を待ってくれた、と微笑みながら見惚れたりした。
私の住む東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接する調布市の片隅の地域は、
平年11月3日の『文化の日』の頃から、あまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染め始め、
やがて11月23日の『勤労感謝の日』の頃になると、
周囲一帯までは朱色、紅色、黄色などに染められる錦繍(きんしゅう)の情景となる。
やがて数多くの葉が舞い散る中で、公孫樹(イチョウ)の黄色い葉が彩(いろど)りを見せてくれる。
そして周囲に公孫樹(イチョウ)のあまたの葉が黄色い絨毯を重なるようになるのが、
12月の『師走(しわす)』の初旬となっている。
このような秋たけなわ、やがて晩秋へと季節うつろう中、残り花ような彩(いろど)りに、
思い深めたりしたである・・。
やがて私は川沿いの小道に別れを告げて、遊歩道への階段を上がった。
そして遊歩道に隣接している小公園の光景を見ながら、確かに錦繍(きんしゅう)の情景を受容できました、
と心の中で呟(つぶや)いたりした・・。
私は過ぎし9月下旬に古稀と称される70歳となり、
家内は12月下旬になると、高齢者入門の65歳を迎える。
そして私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかながら第二の人生を享受している。
私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、ときおり家内は、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、と呟(つぶや)くように私に言ったりするので、
私は苦笑したりしているのが、我が家の実態である。
そして私は定年後の年金生活を10年ばかり過ごしてきたが、
私たち夫婦は幸いにも、お互いに大病で入院することもなく、
歯がお互いに老化して、歯科医院で幾たびか治療を受けてきたぐらいであった。
このように私の長き人生に於いては、60代の期間が何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。
しかしながら心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と改めて知ったりすると、
うろたえたりした・・。
こうした根底には、世の中の多くの人たちは70代となれば、
体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、
と専門家の人から数多く発言されているのを学んだりした。
しかしながら私の先輩、ご近所の80歳前後のお逢いできる男性5人は、
溌剌と生活されているので、私は秘かにお手本のように、積極的に談笑する時が多い。
そして私は、何よりも健康でなければ、ささやかな願いも叶わないので、健康寿命が肝要だ、
と深めたりしてきた。
そしていつまで健康寿命が保てるか、やがて命果てる日は、
自助努力は大切であるが、こればかり天上の神々の采配に寄ることである。
私の昨今の心情として、60代のささやかな成功体験を秘めながら、
確かに60代の初めより体力の衰えを実感しているが、
70代も『生きがい』を持ち続け、しなやかに生活を過ごせば、
60代と同じような安楽な生活が過ごせる、と漠然と思いながら微笑んだりする時もある。
このようなことを漠然と思いながら、やがて私は帰路に向かった。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村
家内は専業主婦の三種の神器のような掃除、洗濯、料理などを継続してくれるので、
せめてと思いながら自主的に平素の買物専任者、と私は家内に宣言したりした。
こうした私の根底には、私たち夫婦は子供に恵まれず、たった2人だけの家庭であり、
家内なりの専業主婦の日常のペース、ささやかな憩(いこ)いひとときなどの過ごしてきたので、
少なくともこうした日常の生活をかき乱すのは、天敵と瞬時に感じ取ったりした。
そして平素の買物専任者となり、ほぼ毎日のように独りで、
スーパー、専門店に家内からの依頼品を買い求めに行ったりした後、
この後も私は独りで、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受し、
ときには本屋、古本屋に寄ったりしている・・。
私は民間会社中小業のある会社に35年近く奮戦して、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した身であるが゛、
最後の5年間はリストラ烈風の中、あえなく出向となり、やがて出向先で定年を迎えた。
このように悪戦苦闘の多い中で、敗残者のような状況であったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活を始めた。
年金生活を当初は、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。
本日も平素の買物の責務を終えた後、我が家の近くに流れている野川の遊歩道に向かった。
私の住む所は、世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の辺鄙な処で、
住宅街で家並みが密集しているが、自宅の近くに野川が流れ、この両岸に遊歩道があり、
私は何かしら解放感を感じて、上流に向かったり、ときには下流に向かったりし、
こよなく歩いているコースのひとつであり、本日は上流沿いとした。
やがて5分ばかり遊歩道を歩いた後、橋の上から遊歩道を歩き続けるか、
或いは遊歩道から下った川面に近い小道を歩こうか、と少し迷ったりした。
まもなく川の流れを近くに見ながら歩こうと思い、遊歩道から川沿いの小道に降り立った。
そして私は水の流れ、陽射しを受けて煌めく川面を眺めたりして、歩いたりした。
私はこうした畦道(あぜみち)ような小道が好きであり、
やはり私は幼年期に農家の児として育ったで、田圃の畦道、畑の小道、或いは雑木林、竹林の中を歩くは、
過ぎ去った歳月、消えてしまった状景に、何かと愛惜を秘めながら歩くことが多い。
やがて5分過ぎた頃、見上げると私の好きな樹が染められて、
何かと単細胞の私は、私を待ってくれた、と微笑みながら見惚れたりした。
私の住む東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接する調布市の片隅の地域は、
平年11月3日の『文化の日』の頃から、あまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染め始め、
やがて11月23日の『勤労感謝の日』の頃になると、
周囲一帯までは朱色、紅色、黄色などに染められる錦繍(きんしゅう)の情景となる。
やがて数多くの葉が舞い散る中で、公孫樹(イチョウ)の黄色い葉が彩(いろど)りを見せてくれる。
そして周囲に公孫樹(イチョウ)のあまたの葉が黄色い絨毯を重なるようになるのが、
12月の『師走(しわす)』の初旬となっている。
このような秋たけなわ、やがて晩秋へと季節うつろう中、残り花ような彩(いろど)りに、
思い深めたりしたである・・。
やがて私は川沿いの小道に別れを告げて、遊歩道への階段を上がった。
そして遊歩道に隣接している小公園の光景を見ながら、確かに錦繍(きんしゅう)の情景を受容できました、
と心の中で呟(つぶや)いたりした・・。
私は過ぎし9月下旬に古稀と称される70歳となり、
家内は12月下旬になると、高齢者入門の65歳を迎える。
そして私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかながら第二の人生を享受している。
私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、ときおり家内は、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、と呟(つぶや)くように私に言ったりするので、
私は苦笑したりしているのが、我が家の実態である。
そして私は定年後の年金生活を10年ばかり過ごしてきたが、
私たち夫婦は幸いにも、お互いに大病で入院することもなく、
歯がお互いに老化して、歯科医院で幾たびか治療を受けてきたぐらいであった。
このように私の長き人生に於いては、60代の期間が何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。
しかしながら心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と改めて知ったりすると、
うろたえたりした・・。
こうした根底には、世の中の多くの人たちは70代となれば、
体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、
と専門家の人から数多く発言されているのを学んだりした。
しかしながら私の先輩、ご近所の80歳前後のお逢いできる男性5人は、
溌剌と生活されているので、私は秘かにお手本のように、積極的に談笑する時が多い。
そして私は、何よりも健康でなければ、ささやかな願いも叶わないので、健康寿命が肝要だ、
と深めたりしてきた。
そしていつまで健康寿命が保てるか、やがて命果てる日は、
自助努力は大切であるが、こればかり天上の神々の采配に寄ることである。
私の昨今の心情として、60代のささやかな成功体験を秘めながら、
確かに60代の初めより体力の衰えを実感しているが、
70代も『生きがい』を持ち続け、しなやかに生活を過ごせば、
60代と同じような安楽な生活が過ごせる、と漠然と思いながら微笑んだりする時もある。
このようなことを漠然と思いながら、やがて私は帰路に向かった。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村