これまでも、「戦争中に強制連行され母国に帰れないで居る在日韓国人のために、判決の結論には賛成であったが一言書き添えたかった。」「この傍論を重視するのは、法の世界から離れた俗論である」などとの発言があったようですが、今回も同様の内容のようです。
また、外国人参政権の「部分的許容説」の元祖で推進派の理論的支柱とされる長尾一紘中央大教授が、自説は誤っていたとし、「私の読みが浅かった。慚愧(ざんき)に堪えない」と語った(今年 1月)ことは、このblogでも取り上げさせていただいていました。
長尾教授 「私の読みが浅かった。慚愧(ざんき)に堪えない」 - 遊爺雑記帳
■一般永住者付与を批判
平成7年の最高裁判決が永住外国人への地方参政権(選挙権)付与に関し、判例拘束力のない「傍論」部分で「憲法上禁止されていない」との判断を示した問題で、判決に加わった園部逸夫元最高裁判事は18日までに産経新聞に対し、「(在日韓国・朝鮮人を)なだめる意味があった。政治的配慮があった」と明言した。さらに判決に際し、地方参政権付与の対象者について「(在日韓国・朝鮮人ら)非常に限られた永住者に限定する」ことを想定したとし、民主党などが「一般永住者」にも与えようと検討していることを「ありえない」と批判した。
園部氏が判決の背景として、「政治的配慮」に言及したことは、最高裁判決の当事者としては極めて異例の発言といえる。
判決は特別永住者に限らず、経済的基盤を日本に持ち10年以上在留など一定要件を満たせば得られる「一般永住者」についても、参政権を付与する案の根拠とされている。この点について園部氏は「(一般永住者に)選挙権を即、与えることは全然考えていなかった」と語った。同法案を政府提出とすることにも「賛成できない」と表明した。
判決理由については、「憲法の地方自治の本旨に従って、特定地域と非常に密接な関係のある永住者に、非常に制限的に選挙権を与えることが望ましいと判断した」と証言。歴史的経緯があり、何世代にもわたり日本国内に在留する韓国人、朝鮮人、台湾人に限り、住み続けている地域に限定して地方参政権を付与することは、「全く憲法違反だとは言い切れないという判断だった」という。
園部氏は当時の判決について「金科玉条で一切動かせないとは考えていない」と述べ、時代の変化に合わせ見直すことも可能だとした。
園部逸夫元最高裁判事が平成7年の最高裁判決時、地方参政権を付与できるのは歴史的経緯のある在日韓国・朝鮮人ら特別永住者のみを想定したと明らかにしたことは、在日中国人ら一般永住者も含めた参政権付与を目指す民主党、公明党などの外国人参政権推進派にとって、大きな打撃といえる。推進派の多くは、園部氏が主導的役割を果たしたとされるこの判決を主張の根拠としてきたからだ。
園部氏は特別永住者であっても、転居などで地域との密接な関係を失った場合は、選挙権は認められないとの考えも示した。これも、推進派の「納税しているのだから選挙権も与えるべきだ」との論法に厳しくクギを刺した形だ。
現在、韓国・朝鮮籍の特別永住者は帰化の増加で年間数千人減り続けている。一方で、中国籍の一般永住者は平成18年からの3年間で約2万5100人増の約14万人に達している。
一般永住者まで付与の対象とした場合、小さな自治体に特定国の外国人が集団移住し、キャスチングボートを握る可能性も指摘されている。この懸念について園部氏は「もっともだ。そこまでして、門戸を開く必要はない」と明言した。
ただ、園部氏は永住外国人への参政権付与は合憲との立場は崩していない。判決時の「政治的配慮」を認め、「無理やり連れてこられて、参政権がほしいのなら帰化すればいいというのは、先祖を大切にする韓国人にとっては簡単なことではない」とも述べた。
背景には贖罪(しょくざい)意識があるようだが、この事実認識は疑問だ。日大の百地章教授らによれば、戦時動員されて日本に来た朝鮮人はほとんどが帰国した。現在も在留する韓国・朝鮮人の多くは戦前から日本に生活基盤があり、自らの意思で残ったと見るのが妥当で、参政権論議の見直しは必至だ。(小島優)
1999年 6月の朝日新聞では、園部氏は、「「在日の人たちの中には、戦争中に強制連行され、帰りたくても祖国に帰れない人が大勢いる。帰化すればいいという人もいるが、無理やり日本に連れてこられた人たちには厳しい言葉である。私は判決の結論には賛成であったが、自らの体験(日本統治時代の朝鮮に生まれ育った)から身につまされるものがあり、一言書かざるをえなかった」と延べ、今回も、「政治的配慮」を認め、「無理やり連れてこられて、参政権がほしいのなら帰化すればいいというのは、先祖を大切にする韓国人にとっては簡単なことではない」と述べるなど、園部氏個人の感情・思い入れが強いことをうかがい知ることが出来ます。
人情味のある、心温かな裁判官ともいえますし、遊爺とて戦争で占領され無理やりつれてこられ、終戦後も帰りたくても帰れないと言う方々には、辛苦はいかばかりであったろうかと想い浮かびますし、それなりの配慮は必要とは考えます。その実態には
さまざまな議論があるようですね。また、裁判の判決にどこまで裁判官の心情を組み込んでよいか、個人の感情を優先してよいかは裁判員制度のありかたにも関係するのでしょうが、このような国の存立にかかわるような場合には、考えさせられるところです。
しかし、それが参政権であるとは結びつかないのです。その方々も参政権は、自国に持っておられるはずです。先祖を大切にする韓国人にとっては帰化は難しいというのも当然の話です。むしろ、そこまで祖国に対する愛国心があるのなら、何故日本の参政権が要るのでしょう?
さらにこの外国人参政権の問題の核心は、そういう特定永住者以外の一般外国人(特に懸念されるのが、中国の長期人口政策)すべてに及ぶという点です。
園部氏は、小さな自治体に特定国の外国人が集団移住し、キャスチングボートを握る可能性については、思い至っていなかった様で、「そこまでして、門戸を開く必要はない」と明言したということです。
冒頭にも触れましたが、長尾教授は「私の読みが浅かった。慚愧(ざんき)に堪えない」と自説が間違っていたと述べておられます。園部氏は自説は堅持しておられますが、判決自体は正しかったとし、「この傍論を重視するのは、法の世界から離れた俗論である」とも発言されていました。
参政権賛成派の理論の主柱の長尾教授、最高裁判決の傍論の主張者、園部氏と、参政権推進派の根拠とするところが希薄となってきた今、それでも選挙用マニフェストからわざわざ今回削除した外国人参政権法案を国会で成立させようと、まだがんばるのでしょうか?
小沢氏に限らず、少なからぬ政治家さんたちがいとも簡単に韓国で請け負う約束をしてきて、性急に法案を成立させようとしている真意がわかりません。
と言うより、怪しいにおいを感じるのは、遊爺たけではないでしょう。
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