イスラエルとハマスの軍事衝突の解決策について私見を述べて見たいと、元空将補の横山恭三氏。
混迷する国連。イスラエルとハマスの軍事衝突は第5次中東戦争に拡大し、さらには第3次世界大戦に拡大するかもしれない。
新たな構想に基づく、国連軍を創設し、緊急特別総会の決議に基づき、パレスチナに派遣すべきであると。
国連安保理は10月16日、人道的停戦や人道支援を主目的としたロシアとブラジルの2つの決議案の採決が行われた。
ロシアは、ハマスを非難せずに即時停戦などを求める決議案を提出したが、ハマスを非難しないのはテロリスト擁護になるとして米国などが反対し、決議案は採択に必要な9理事国の賛成を得られず否決された。
10月27日、国連は「平和のための結集」決議に基づく第10緊急特別会期を再開し、緊急特別総会を開催。
採決される決議案はアラブ諸国を代表してヨルダンが提出した。
決議案は、休戦や人道回廊の設置に加え、パレスチナ自治区ガザ北部の住民や国連職員などに対して出した避難命令の撤回をイスラエルに求めるものであった。
採決では、121か国が賛成、44か国が棄権、14か国反対の結果となった。ロシア、フランスを含む121か国が賛成した。反対は米国やイスラエルなど14か国だけだった。日本、英国、カナダなど44か国は棄権した。
岸田文雄首相は10月30日の衆院予算委員会で、決議案を棄権した理由について「ハマスのテロ攻撃への強い非難がないなど、全体として内容面でバランスを欠いている」と説明。
第10回緊急特別会期(パレスチナ情勢)は、1997年4月に初めて招集された。
これまでに21回の総会が開催されている。
2023年10月26日から第10回緊急特別会期が再開。
10月27日、緊急特別総会は、人道回廊の設置や「人道的休戦」を求める決議案を採択。
3分の2以上にあたる121か国が賛成した。米国やイスラエルは反対し、日本は棄権した。
ヨルダンの最初の草案では即時停戦を求めていたが、27日の採決を前に「人道的な休戦を求める」と変更。
ハマスがイスラエルから連れ去った人質の解放に関しては「即時に民間人を解放し、安全を確保することを求める」と要請していたが、「違法に拘束されている民間人を即時に解放し、安全を確保することを求める」と変更を加えた。
ヨルダンの決議案では欧米諸国が重視するハマスを名指しで非難する文言を含んでいない。
これを受けてカナダはハマスによる「テロ攻撃」と民間人誘拐の非難を求める修正案を提案したが、カナダの修正案は採用されなかった。
ヨルダンの決議案は中国、ロシア、フランス、ブラジルを含む121か国が賛成した。
反対は米国やイスラエル、オーストリア、ハンガリーなど14か国だけだった。日本、英国、カナダ、ドイツ、イタリア、インド、ウクライナなど44か国は棄権したのだそうです。
岸田首相は日本が棄権した理由について「ハマスのテロ攻撃への強い非難がないなど、全体として内容面でバランスを欠いている」と説明した。
バランスというのは、イスラエルのやっていることは悪いが、先に攻撃したハマスも悪いと両者をバランスよく扱わなければならないということであろうと、横山氏。
最近、“ハマスびいき”が増えてきた。
米国が厳しく反対している決議案に、同盟国である日本は棄権したが問題はないのかという疑問もある。
米国は完全にイスラエル寄りである。日本は完全にイスラエル寄りとは言えない。したがって、米国の手前、賛成でなく棄権したと言えなくもないとも。
2023年1月の原油輸入の中東依存率94.4%である。日本の中東政策の目的は、石油の安定的な確保であることは間違いない。
河野外相(当時)は「湾岸諸国との重層的関係に向けた新構想」を提唱し、その柱の一つとして「イスラム世界との文明対話」を呼びかけた。
「イスラム世界との文明対話」は、2002年3月にバーレーンにおいて開催された第1回会合を皮切りとして、2006年までに計4回開催された。
河野外相は「湾岸諸国との重層的関係に向けた新構想」を提唱した際、次のように述べているのだそうです。
「近年、我が国と湾岸諸国の関係は、石油の輸出入を中心とする経済分野を中心に発展してまいりました」
「私は新世紀を迎え、湾岸諸国との関係を石油に限らず、一層拡大、深化させつつ、重層的な関係を構築していくことが双方の利益にかなうものと考えています」
安倍首相(当時)は2019年6月12日から14日にかけてイランを公式訪問し、ロウハニ大統領や最高指導者のハメネイ師と会談し、緊張緩和を働きかけた。
この訪問は、日本が、米国およびイラン双方と友好関係を維持していることを世界に知らしめたと、横山氏。
茂木外相は、2021年8月15~24日の間の中東諸国訪問に際し、パレスチアのアル・クドウス紙に寄稿したのだそうです。
「日本は、将来の独立したパレスチナ国家とイスラエルが平和かつ安全に共存する『二国家解決』を支持し、関係者との政治対話、当事者間の信頼醸成、パレスチナ人への経済的支援の3本柱を通じて積極的に貢献していくとの立場であり、様々な日本独自のイニシアティブを推進しています」
日本政府は、将来の独立したパレスチナ国家とイスラエルが平和かつ安全に共存する『二国家解決』を支持している。「二国家解決案(two-statesolution)」が唯一の実現可能な解決方法であると考えると、横山氏。
二国家解決案は1974年に、国連が1948年の国連総会決議第194号に基づいて提案したものである。しかし、国連総会決議第194号には境界線(または国境)が示されていない。
現在、最も受け入れられているのが「1967年境界線」(1967年の第3次中東戦争以前の境界線)による二国家解決案だと。
今の世界体制は無政府状態である。つまり国家を取り締まる権威をもった組織が存在しないと、横山氏。
そもそも国連とは、国連憲章第43条に基づいて加盟国から提供された兵力・装備、つまり国連軍を安保理が使って、憲章違反国に対して軍事的措置を取ることを可能にする、強力な安全保障機構として創設されたものだと。
ところが、今の国連は常任理事国同士の対立によって、機能不全に陥っている。
米国は、唯一の超大国として世界に君臨してきた。その圧倒的な軍事力で米国は世界の警察官として眼を光らし、時には地域紛争に介入した。
ところが、2008年のリーマンショックを契機とした世界的な金融危機と、そこにBRICS(Brazil、Russia、India、China、SouthAfrica)の台頭が重なり、米国の「相対的衰退」が指摘されるようになった。
バラク・オバマ大統領が戦後の米大統領として初めて、「米国は世界の警察官ではない」と表明したのは2013年9月10日。
今、国際社会は誰を、何を頼りにすればよいのだろうか。
答えは「平和のための結集」決議に基づく緊急特別総会だと、横山氏。
国連は、安保理決議だけでなく、緊急特別総会の決議により国連軍を派遣したことがある。
1956年に創設された第1次国際連合緊急軍(First United Nations Emergency Force:UNEF1)である。
かつて、ブトロス・ブトロス=ガーリ国連事務総長は、憲章第43条の特別協定の締結を促進し、強制力を有する重装備の平和執行部隊(peace-enforcement units)を創設する構想を示したことがある。
国連復権のため、平和執行部隊構想を見直し、新たな構想に基づく、国連軍を創設し、緊急特別総会の決議に基づき、パレスチナに派遣すべきであると、横山氏。
今、国際社会は知恵と勇気を出して行動すべき時であるさとも。
国連が誕生したときから今日では世界情勢が大きく変わっています。
安保理の常任理事国のロシアと中国が使う拒否権と、覇権拡大行動で機能不全を生じています。
南北に分断された朝鮮半島は、国連軍の名で駐留する米軍で、なんとか平和が維持されています。
機能不全の安保理に代わり、緊急特別総会とその実力部隊の国連軍の登用が求められます。
# 冒頭の画像は、デニスフランシス国連議長
この花の名前は、リョウリギク
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混迷する国連。イスラエルとハマスの軍事衝突は第5次中東戦争に拡大し、さらには第3次世界大戦に拡大するかもしれない。
新たな構想に基づく、国連軍を創設し、緊急特別総会の決議に基づき、パレスチナに派遣すべきであると。
緊迫のパレスチナ情勢、第5次中東戦争・第3次世界大戦誘発もありうる 緊急特別総会で国連軍の速やかな派遣を決議せよ | JBpress (ジェイビープレス) 2023.11.7(火) 横山 恭三
2023年10月27日、国連は「平和のための結集」決議に基づく第10緊急特別会期を再開し、緊急特別総会を開催した。
緊急特別会期の招集手続き等については、拙稿「国連安保理の常任理事国からロシアを排除する方法」(2023.10.6)を参照されたい。
同総会に先立って、国連安保理は10月16日、人道的停戦や人道支援を主目的としたロシアとブラジルの2つの決議案の採決が行われた。
ロシアは、ハマスを非難せずに即時停戦などを求める決議案を提出したが、ハマスを非難しないのはテロリスト擁護になるとして米国などが反対し、決議案は採択に必要な9理事国の賛成を得られず否決された。
(ロシア、中国、UAEなど5か国が賛成、米国、英国、フランス、日本の4か国が反対、残る6か国が棄権)
ブラジルは、人質の解放や人道回廊の設置を求めるほか、国際人道法にのっとり民間人と人道要員の保護を求める決議案を提出した。
15か国のうち日本やフランスなど12か国が賛成したものの、常任理事国の米国が拒否権を行使した。英国とロシアは棄権した。
米国のリンダ・トマス=グリーンフィールド国連大使は「決議案でイスラエルの自衛権について言及がなかったことに失望した」と拒否権行使の理由を説明した。
手詰まりの安保理を受け、アラブ諸国に加えてロシア、インドネシア、ベトナムなどの国々が、休会となっていた緊急特別総会の再開を総会議長に要請した。
採決される決議案はアラブ諸国を代表してヨルダンが提出した。
決議案は、休戦や人道回廊の設置に加え、パレスチナ自治区ガザ北部の住民や国連職員などに対して出した避難命令の撤回をイスラエルに求めるものであった。
採決では、121か国が賛成、44か国が棄権、14か国反対の結果となった。ロシア、フランスを含む121か国が賛成した。反対は米国やイスラエルなど14か国だけだった。日本、英国、カナダなど44か国は棄権した。
岸田文雄首相は10月30日の衆院予算委員会で、決議案を棄権した理由について「ハマスのテロ攻撃への強い非難がないなど、全体として内容面でバランスを欠いている」と説明した。
さて、本稿では、イスラエルとハマスの軍事衝突の解決策について筆者の私見を述べて見たい。
以下、初めに第10緊急特別会期の概要について述べ、次に日本の独自の中東政策について述べ、最後にイスラエルとハマスの軍事衝突の解決策について述べる。
1.第10回緊急特別会期の概要
第10回緊急特別会期(パレスチナ情勢)は、1997年4月に初めて招集された。
この緊急特別会期は、東エルサレムのジャバル・アブ・グネイム地区に6500戸の住宅プロジェクトであるハル・ホマを建設するというイスラエルの決定に関して安全保障理事会が開催されたが、2回の会合でこの問題について何ら決定を下すことができなかった。
このため、「平和のための結集」決議に基づく緊急特別会期が開催された。その後、今日までに第10回緊急特別会期は21回の総会決議を採択している。
(1)これまでに、第10回緊急特別総会が採択した決議(2023年10月27日の決議も含む)
第10回緊急特別会期の総会は、これまでに21回開催されている。各総会における決議の決議番号、採択日および表題は次のとおりである。
①第1回総会決議(ES-10/1)1997年4月25日「信任状委員会の報告と勧告の承認」
②第2回総会決議(ES-10/2)1997年4月25日「占領下の東エルサレムとその他パレスチナ被占領地域におけるイスラエルの違法行為について」
以下、第3回総会決議(ES-10/3:1997年7月15日)から第14回総会決議(ES-10/14:2003年12月8日)までの表題は、すべて「占領下の東エルサレムとその他パレスチナ被占領地域におけるイスラエルの違法行為について」であるので、省略する。
⑮第15回総会決議(ES-10/15)2004年7月20日「東エルサレム周辺を含むパレスチナ被占領地における壁建設の法的影響に関する国際司法裁判所の勧告的意見」
⑯第16回総会決議(ES-10/16)2006年11月17日「占領下の東エルサレムとその他パレスチナ被占領地域におけるイスラエルの違法行為について」
⑰17回総会決議(ES-10/17)2006年12月15日「パレスチナ被占領地域における壁建設により生じた損害の国際連合登録機関(UNRoD)設置について」
⑱第18回総会決議(ES-10/18)2009年1月16日「安全保障理事会決議1860(2009)による即時停戦決議を支持する総会決議」
⑲第19回総会決議(ES-10/19)2017年12月21日「エルサレムの地位について」
⑳第20回総会決議(ES-10/20)2018年6月13日「パレスチナの一般市民の保護について」
㉑第21回総会決議(ES-10/21)2023年10月27日「民間人の保護と法的および人道的義務の遵守(Protection of civilians and upholding legal and humanitarian obligations.)」
以上のように第10回緊急特別会期はこれまでに21回の総会が開催されている。
過去の緊急特別会期の大半は1回の総会で終了しており、パレスチナ問題に関する第7回が2回開催されているが、3回以上の総会が開催されたのは、この第10回と現在開催中のウクライナ情勢に関する第11回のみである。
(2)緊急特別会期の再開直前の安保理等の動き
既述したが、国連安保理は2023年10月16日、人道的停戦や人道支援を主目的としたロシアとブラジルの2つの決議案を採決したがいずれも採択されなかった。
機能不全となった安保理を受け、アラブ諸国などが、休会となっていた緊急特別会期の再開を総会議長に要請した。
10月22日、国連総会議長(注1)であるデニス・フランシス氏(トリニダード・トバゴ)は、アラブグループとイスラム協力機構の代表から、「平和のための結集決議」に基づき「第10回緊急特別会期の可能な限り迅速な再開」を要請する書簡を受け取ったと発表した。
ロシア、マレーシア、インドネシア、シリアを含む12か国からなる別のグループも同様の要請を行った。
フランシス議長は、10月26日に緊急特別総会を招集すると述べた。
(注1)国連総会の投票によって、加盟国から毎年6月ごろに選出される。任期は1年。
(3)第10回緊急特別会期の再開
2023年10月26日から第10回緊急特別会期が再開された。
10月27日、緊急特別総会は、人道回廊の設置や「人道的休戦」を求める決議案を採択した。
採択に必要な投票全体(賛否のみ)の3分の2以上にあたる121か国が賛成した。米国やイスラエルは反対し、日本は棄権した。
同決議案はアラブ諸国が作成し、ヨルダンが提案した。
休戦や人道回廊の設置に加え、イスラエルに「占領国」としてパレスチナ自治区ガザ北部の住民や国連職員などに対して出した避難命令の撤回を求めた。
総会開催に先立ち提出したヨルダンの最初の草案では即時停戦を求めていたが、27日の採決を前に「人道的な休戦を求める」と変更した。
ハマスがイスラエルから連れ去った人質の解放に関しては「即時に民間人を解放し、安全を確保することを求める」と要請していたが、「違法に拘束されている民間人を即時に解放し、安全を確保することを求める」と変更を加えた。
ヨルダンの決議案では欧米諸国が重視するハマスを名指しで非難する文言を含んでいない。
これを受けてカナダはハマスによる「テロ攻撃」と民間人誘拐の非難を求める修正案を提案したが、カナダの修正案は採用されなかった。
決議案の主なポイントは、①人道的な休戦を求める、②人道回廊の設置を求める、③ガザ住民や国連職員などに対して出した避難命令の撤回を求める、④違法に拘束されている民間人の即時解放を求めるの4点である。
ヨルダンの決議案は中国、ロシア、フランス、ブラジルを含む121か国が賛成した。
反対は米国やイスラエル、オーストリア、ハンガリーなど14か国だけだった。日本、英国、カナダ、ドイツ、イタリア、インド、ウクライナなど44か国は棄権した。
(4)筆者コメント
既述したように、岸田首相は日本が棄権した理由について「ハマスのテロ攻撃への強い非難がないなど、全体として内容面でバランスを欠いている」と説明した。
バランスというのは、イスラエルのやっていることは悪いが、先に攻撃したハマスも悪いと両者をバランスよく扱わなければならないということであろう。
最近、「ハマスによる攻撃は理由もなく起きたわけではない」とか、「パレスチナの人々は長年暴力に苦しめられてきた」などという発言が増えてきている。すなわち“ハマスびいき”が増えてきた。
米国が厳しく反対している決議案に、同盟国である日本は棄権したが問題はないのかという疑問もある。
米国は完全にイスラエル寄りである。日本は完全にイスラエル寄りとは言えない。したがって、米国の手前、賛成でなく棄権したと言えなくもない。
戦後、日本には中東の石油の安定確保のための政策を行ってきた歴史がある。日本の独自の中東政策については次項で述べる。
2.日本の独自の中東政策
日本はなぜ太平洋戦争に踏み切ったのか。
「米国が石油禁輸を実施し、日本は石油資源を求め開戦に至った」との説が一般的である。
石油は昔も日本の弱点であった。
太平洋戦争開戦直前の日本は、石油の9割以上を輸入に依存していた。ところが、1941年8月、米国は対日石油輸出の全面禁止を発表した。
当時、石油の7割を米国からの輸入に頼っていた日本にとっては、大きな衝撃であった。
経済的な打撃と同時に、艦隊や軍用機が動かせなくなるため、軍事的にも大きな打撃を受けることになるからである。
そして、戦争中のスローガンが「石油の一滴は血の一滴」であった。
さて、戦後、特に1973年の石油危機以来、日本は原油輸入確保を最優先の課題として、中東政策を立案・実施してきた。
2023年1月の原油輸入の中東依存率94.4%である。日本の中東政策の目的は、石油の安定的な確保であることは間違いない。
(1)戦後の日本の中東政策の主要な事象
以下、戦後の日本の中東政策の主要な事象について時系列に沿って述べる。
①1953年の日昇丸事件
本項は、idemitsu.comやウィキペディアなどを参考にしている。
イランは1951年に石油の国有化を宣言し、英国アングロ・イラニアン社の資産を接収した。
反発した英国は中東に軍艦を派遣、イランへ石油の買い付けに来たタンカーは撃沈すると国際社会に表明した。
一方、日本は第2次世界大戦後、独自のルートで石油を自由に輸入することが困難であり、それが経済発展の妨げとなっていた。
イラン国民の貧窮と日本の経済発展の障害を憂慮した出光興産社長の出光佐三は、イランに対する経済制裁に国際法上の正当性はないと判断し、極秘裏に日章丸(タンカー・同名の船としては2代目)の派遣を決意。
英国との衝突を恐れる日本政府との対立も憂慮し、第三国経由でイランに交渉者として専務の出光計助を1952年に極秘派遣。
モハンマド・モサッデク首相などイラン側要人と会談を行う。
イラン側との粘り強い交渉の末に合意を取り付け、国内外の法を順守するための議論、日本政府に外交上の不利益を与えないための方策、国際法上の対策、法の抜け道を利用する形での必要書類作成、実行時の国際世論の行方や各国の動向予測、航海上の危険個所調査など準備を入念に整えて、日章丸は1953年3月23日午前9時、神戸港を極秘裏に出港した。
航路を偽装するなどして英国海軍から隠れる形で、日章丸は4月10日イランに到着。
この時点で世界中のマスメディアに報じられ、国際的事件として認知された。
日本においても、武器を持たない一民間企業が、当時世界第2の海軍力を誇っていた英国海軍に「喧嘩を売った事件」として報道され、日本では連日、新聞の一面記事で報道された。
日昇丸は、ガソリン、軽油約2万2000キロリットルを満載し、5月、大勢の人の歓迎を受けて川崎港に帰港した。
これに対し、英国アングロ・イラニアン社(BP=The British Petroleum Company plcの前身)は積荷の所有権を主張し、出光を東京地裁に提訴。
この「日章丸事件」は、法廷で争われることになった。
裁判の経過は連日、新聞でも大きく取り上げられ、結局、アングロ・イラニアン社が提訴を取り下げたため、出光側の勝利となった。
イラン石油の輸入はその後、イランにおいてメジャー(国際石油資本)の結束が再び強化され、1956(昭和31)年に終了した。
しかし、この「事件」は、産油国との直接取引の先駆けを成すものであり、日本人の目を中東に向けるきっかけになった。
また、敗戦で自信を喪失していた当時の日本で、国際社会に一矢報いた「快挙」として受け止められたことも歴史的事実である。
また、イランが親日国になった理由の一つでもある。
②1973年の二階堂進官房長官談話
今からちょうど50年前の1973年10月、第4次中東戦争によって第1次石油ショックが起きた。
同年11月、第2次田中角栄内閣の二階堂官房長官は「イスラエルが1967年戦争の占領地から撤退しない場合は、イスラエルとの関係を再検討する」との談話を発表した。
イスラエルとの「断交」もあり得るという強いメッセージで、それまで中立だった日本の対中東政策を大きくアラブ諸国寄りに変えた出来事であった。
③1978年の福田赳夫首相の中東訪問
1978年9月の福田首相のイラン訪問とパーレビ国王との会談は、同国全土で数十万人が参加して王制打倒を目指すデモが繰り広げられる情勢下に行われた。
同国王はその4か月後にエジプトへ脱出し、その1か月後に王制は崩壊した。
この時、福田首相はサウジアラビア、アラブ首長国連邦、カタールも歴訪した。すべて産油国であり、歴訪の目的は石油の安定供給確保にあった。
日本の首相の中東訪問はこの時が最初で、それまでの日本外交の中東軽視を反映していた。政府もメディアも中東のみならずイスラムという大宗教への関心も知識も薄かった。
④1981年の鈴木善幸首相とアラファトPLO議長の会談
1981年10月14日、日本パレスチナ友好連盟(事務局長山口淑子参議院議員)の招待で初来日したパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長と鈴木首相との会談が行われた。
当時、先進国首脳は、PLOをテロリストと見ており、アラファト議長と会見した西側諸国の大統領・首相は、オーストリアのブルーノ・クライスキー首相だけであった。
このため鈴木首相は、アラファト議長と会見した初の西側首脳となった。
会談において鈴木首相は、PLOをパレスチナ人の代表機関として認め、パレスチナ人の独立国家樹立支持の方針を伝えた。
⑤2001年の河野洋平外相イニシアティブ
2001年1月に湾岸諸国を訪問した河野外相は「湾岸諸国との重層的関係に向けた新構想」を提唱し、その柱の一つとして「イスラム世界との文明対話」を呼びかけた。
「イスラム世界との文明対話」は、2002年3月にバーレーンにおいて開催された第1回会合を皮切りとして、2006年までに計4回開催された。
河野外相は「湾岸諸国との重層的関係に向けた新構想」を提唱した際、次のように述べている。
「近年、我が国と湾岸諸国の関係は、石油の輸出入を中心とする経済分野を中心に発展してまいりました」
「私は新世紀を迎え、湾岸諸国との関係を石油に限らず、一層拡大、深化させつつ、重層的な関係を構築していくことが双方の利益にかなうものと考えています」
⑥2019年6月の安倍晋三首相のイラン訪問
イランと米国などの緊張が高まる中、安倍首相は2019年6月12日から14日にかけてイランを公式訪問し、ロウハニ大統領や最高指導者のハメネイ師と会談し、緊張緩和を働きかけた。
日本の首相として41年ぶり、1979年のイラン・イスラム革命後は初めてとなった。
この訪問は、日本が、米国およびイラン双方と友好関係を維持していることを世界に知らしめた。
ただ、これに水を差すような事件が起きた。
ペルシャ湾の入口のホルムズ海峡付近で、日本の海運会社などが運航するタンカー2隻が、何者かの攻撃を受けた。
これについて、安倍首相は「いかなる者が攻撃したにせよ、船舶を危険にさらす行動に対して断固非難する」とした。
⑦2021年8月17日の茂木敏光外相によるアル・クドウス紙(パレスチナ)への寄稿
茂木外相は、2021年8月15~24日の間の中東諸国訪問に際し、パレスチアのアル・クドウス紙に寄稿した。要旨は次のとおり。
「日本は、将来の独立したパレスチナ国家とイスラエルが平和かつ安全に共存する『二国家解決』を支持し、関係者との政治対話、当事者間の信頼醸成、パレスチナ人への経済的支援の3本柱を通じて積極的に貢献していくとの立場であり、様々な日本独自のイニシアティブを推進しています」
(2)筆者コメント
日本政府は、将来の独立したパレスチナ国家とイスラエルが平和かつ安全に共存する『二国家解決』を支持している。
二国家解決以外としては一国家解決(ユダヤ人・アラブ人によるイスラエルの連邦国家構想)や三国家解決(イスラエル・ヨルダン川西岸・ガザの三国家構想)があるが、筆者も「二国家解決案(two-statesolution)」が唯一の実現可能な解決方法であると考える。
二国家解決案は1974年に、国連が1948年の国連総会決議第194号に基づいて提案したものである。しかし、国連総会決議第194号には境界線(または国境)が示されていない。
現在、最も受け入れられているのが「1967年境界線」(1967年の第3次中東戦争以前の境界線)による二国家解決案である。図を参照されたい。
従来の中東和平交渉でも「1967年境界線(67年ライン)」を大まかな目安としてヨルダン川西岸のユダヤ人入植地をイスラエルに組み入れ、同程度のイスラエル側の土地をパレスチナ国家に組み入れる「領土交換」の方式で交渉されてきた。
イスラエルはヨルダン川西岸にユダヤ人入植地を多数建設し、現在、数十万人のユダヤ人が西岸に住んでいる。
ただ、歴代イスラエル政権は国境線の交渉の柔軟性が失われることなどを恐れて「67年ラインに基づく」との言及は拒否してきた。
ところが、2020年1月28日、ドナルド・トランプ米大統領(当時)は、「パレスチナを独立国家とする。同時に、ヨルダン川西岸のイスラエル入植地でイスラエルの主権を認める」という中東和平案を発表した。
トランプ氏は米ホワイトハウスで、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と並んで会見し、今回の和平案は、パレスチナにとって「最後のチャンスかもしれない」と述べた。
一方、パレスチナ自治政府のマフムード・アッバス議長は、トランプ氏の和平案を「謀略」としてはねつけた。
筆者は、トランプ氏の無分別な行動により、パレスチナ問題が解決する日はますます遠のいてしまったと思っている。
おわりに
最後に、現在進行中のイスラエルとハマスの軍事衝突の解決策について私見を述べてみたい。
今の世界体制は無政府状態である。つまり国家を取り締まる権威をもった組織が存在しない。
第2次大戦後、国家を取り締まる権威をもった組織として国連が創設された。
そもそも国連とは、国連憲章第43条に基づいて加盟国から提供された兵力・装備、つまり国連軍を安保理が使って、憲章違反国に対して軍事的措置を取ることを可能にする、強力な安全保障機構として創設されたものである。
ところが、今の国連は常任理事国同士の対立によって、機能不全に陥っている。
それでも、冷戦終結後、米国は政治的にも軍事的にも経済的にも「唯一の超大国」であった。
米国は、唯一の超大国として世界に君臨してきた。その圧倒的な軍事力で米国は世界の警察官として眼を光らし、時には地域紛争に介入した。
ところが、2008年のリーマンショックを契機とした世界的な金融危機と、そこにBRICS(Brazil、Russia、India、China、SouthAfrica)の台頭が重なり、米国の「相対的衰退」が指摘されるようになった。
バラク・オバマ大統領が戦後の米大統領として初めて、「米国は世界の警察官ではない」と表明したのは2013年9月10日である。
今、国際社会は誰を、何を頼りにすればよいのだろうか。
筆者の答えは「平和のための結集」決議に基づく緊急特別総会である。
国連は、安保理決議だけでなく、緊急特別総会の決議により国連軍を派遣したことがある。
1956年に創設された第1次国際連合緊急軍(First United Nations Emergency Force:UNEF1)である。
詳細は、拙稿「国連安保理の常任理事国からロシアを排除する方法」(2023.10.6)を参照されたい。
さて、かつて、ブトロス・ブトロス=ガーリ国連事務総長は、憲章第43条の特別協定の締結を促進し、強制力を有する重装備の平和執行部隊(peace-enforcement units)を創設する構想を示したことがある。
平和執行部隊はかつては失敗したが、国連復権のため、平和執行部隊構想を見直し、新たな構想に基づく、国連軍を創設し、緊急特別総会の決議に基づき、パレスチナに派遣すべきであると筆者は考えている。
そうしなければ、イスラエルとハマスの軍事衝突は第5次中東戦争に拡大し、さらには第3次世界大戦に拡大するかもしれない。
今、国際社会は知恵と勇気を出して行動すべき時である。
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横山 恭三のプロフィール
kyozou Yokoyama 元空将補、1970年防衛大学校卒業・航空自衛隊入隊、要撃管制官を経てフランス軍統合大学留学、在ベルギー防衛駐在官、情報本部情報官、作戦情報隊司令などを務め2003年航空自衛隊を退職。現在(一財)ディフェンス リサーチ センター研究委員。
2023年10月27日、国連は「平和のための結集」決議に基づく第10緊急特別会期を再開し、緊急特別総会を開催した。
緊急特別会期の招集手続き等については、拙稿「国連安保理の常任理事国からロシアを排除する方法」(2023.10.6)を参照されたい。
同総会に先立って、国連安保理は10月16日、人道的停戦や人道支援を主目的としたロシアとブラジルの2つの決議案の採決が行われた。
ロシアは、ハマスを非難せずに即時停戦などを求める決議案を提出したが、ハマスを非難しないのはテロリスト擁護になるとして米国などが反対し、決議案は採択に必要な9理事国の賛成を得られず否決された。
(ロシア、中国、UAEなど5か国が賛成、米国、英国、フランス、日本の4か国が反対、残る6か国が棄権)
ブラジルは、人質の解放や人道回廊の設置を求めるほか、国際人道法にのっとり民間人と人道要員の保護を求める決議案を提出した。
15か国のうち日本やフランスなど12か国が賛成したものの、常任理事国の米国が拒否権を行使した。英国とロシアは棄権した。
米国のリンダ・トマス=グリーンフィールド国連大使は「決議案でイスラエルの自衛権について言及がなかったことに失望した」と拒否権行使の理由を説明した。
手詰まりの安保理を受け、アラブ諸国に加えてロシア、インドネシア、ベトナムなどの国々が、休会となっていた緊急特別総会の再開を総会議長に要請した。
採決される決議案はアラブ諸国を代表してヨルダンが提出した。
決議案は、休戦や人道回廊の設置に加え、パレスチナ自治区ガザ北部の住民や国連職員などに対して出した避難命令の撤回をイスラエルに求めるものであった。
採決では、121か国が賛成、44か国が棄権、14か国反対の結果となった。ロシア、フランスを含む121か国が賛成した。反対は米国やイスラエルなど14か国だけだった。日本、英国、カナダなど44か国は棄権した。
岸田文雄首相は10月30日の衆院予算委員会で、決議案を棄権した理由について「ハマスのテロ攻撃への強い非難がないなど、全体として内容面でバランスを欠いている」と説明した。
さて、本稿では、イスラエルとハマスの軍事衝突の解決策について筆者の私見を述べて見たい。
以下、初めに第10緊急特別会期の概要について述べ、次に日本の独自の中東政策について述べ、最後にイスラエルとハマスの軍事衝突の解決策について述べる。
1.第10回緊急特別会期の概要
第10回緊急特別会期(パレスチナ情勢)は、1997年4月に初めて招集された。
この緊急特別会期は、東エルサレムのジャバル・アブ・グネイム地区に6500戸の住宅プロジェクトであるハル・ホマを建設するというイスラエルの決定に関して安全保障理事会が開催されたが、2回の会合でこの問題について何ら決定を下すことができなかった。
このため、「平和のための結集」決議に基づく緊急特別会期が開催された。その後、今日までに第10回緊急特別会期は21回の総会決議を採択している。
(1)これまでに、第10回緊急特別総会が採択した決議(2023年10月27日の決議も含む)
第10回緊急特別会期の総会は、これまでに21回開催されている。各総会における決議の決議番号、採択日および表題は次のとおりである。
①第1回総会決議(ES-10/1)1997年4月25日「信任状委員会の報告と勧告の承認」
②第2回総会決議(ES-10/2)1997年4月25日「占領下の東エルサレムとその他パレスチナ被占領地域におけるイスラエルの違法行為について」
以下、第3回総会決議(ES-10/3:1997年7月15日)から第14回総会決議(ES-10/14:2003年12月8日)までの表題は、すべて「占領下の東エルサレムとその他パレスチナ被占領地域におけるイスラエルの違法行為について」であるので、省略する。
⑮第15回総会決議(ES-10/15)2004年7月20日「東エルサレム周辺を含むパレスチナ被占領地における壁建設の法的影響に関する国際司法裁判所の勧告的意見」
⑯第16回総会決議(ES-10/16)2006年11月17日「占領下の東エルサレムとその他パレスチナ被占領地域におけるイスラエルの違法行為について」
⑰17回総会決議(ES-10/17)2006年12月15日「パレスチナ被占領地域における壁建設により生じた損害の国際連合登録機関(UNRoD)設置について」
⑱第18回総会決議(ES-10/18)2009年1月16日「安全保障理事会決議1860(2009)による即時停戦決議を支持する総会決議」
⑲第19回総会決議(ES-10/19)2017年12月21日「エルサレムの地位について」
⑳第20回総会決議(ES-10/20)2018年6月13日「パレスチナの一般市民の保護について」
㉑第21回総会決議(ES-10/21)2023年10月27日「民間人の保護と法的および人道的義務の遵守(Protection of civilians and upholding legal and humanitarian obligations.)」
以上のように第10回緊急特別会期はこれまでに21回の総会が開催されている。
過去の緊急特別会期の大半は1回の総会で終了しており、パレスチナ問題に関する第7回が2回開催されているが、3回以上の総会が開催されたのは、この第10回と現在開催中のウクライナ情勢に関する第11回のみである。
(2)緊急特別会期の再開直前の安保理等の動き
既述したが、国連安保理は2023年10月16日、人道的停戦や人道支援を主目的としたロシアとブラジルの2つの決議案を採決したがいずれも採択されなかった。
機能不全となった安保理を受け、アラブ諸国などが、休会となっていた緊急特別会期の再開を総会議長に要請した。
10月22日、国連総会議長(注1)であるデニス・フランシス氏(トリニダード・トバゴ)は、アラブグループとイスラム協力機構の代表から、「平和のための結集決議」に基づき「第10回緊急特別会期の可能な限り迅速な再開」を要請する書簡を受け取ったと発表した。
ロシア、マレーシア、インドネシア、シリアを含む12か国からなる別のグループも同様の要請を行った。
フランシス議長は、10月26日に緊急特別総会を招集すると述べた。
(注1)国連総会の投票によって、加盟国から毎年6月ごろに選出される。任期は1年。
(3)第10回緊急特別会期の再開
2023年10月26日から第10回緊急特別会期が再開された。
10月27日、緊急特別総会は、人道回廊の設置や「人道的休戦」を求める決議案を採択した。
採択に必要な投票全体(賛否のみ)の3分の2以上にあたる121か国が賛成した。米国やイスラエルは反対し、日本は棄権した。
同決議案はアラブ諸国が作成し、ヨルダンが提案した。
休戦や人道回廊の設置に加え、イスラエルに「占領国」としてパレスチナ自治区ガザ北部の住民や国連職員などに対して出した避難命令の撤回を求めた。
総会開催に先立ち提出したヨルダンの最初の草案では即時停戦を求めていたが、27日の採決を前に「人道的な休戦を求める」と変更した。
ハマスがイスラエルから連れ去った人質の解放に関しては「即時に民間人を解放し、安全を確保することを求める」と要請していたが、「違法に拘束されている民間人を即時に解放し、安全を確保することを求める」と変更を加えた。
ヨルダンの決議案では欧米諸国が重視するハマスを名指しで非難する文言を含んでいない。
これを受けてカナダはハマスによる「テロ攻撃」と民間人誘拐の非難を求める修正案を提案したが、カナダの修正案は採用されなかった。
決議案の主なポイントは、①人道的な休戦を求める、②人道回廊の設置を求める、③ガザ住民や国連職員などに対して出した避難命令の撤回を求める、④違法に拘束されている民間人の即時解放を求めるの4点である。
ヨルダンの決議案は中国、ロシア、フランス、ブラジルを含む121か国が賛成した。
反対は米国やイスラエル、オーストリア、ハンガリーなど14か国だけだった。日本、英国、カナダ、ドイツ、イタリア、インド、ウクライナなど44か国は棄権した。
(4)筆者コメント
既述したように、岸田首相は日本が棄権した理由について「ハマスのテロ攻撃への強い非難がないなど、全体として内容面でバランスを欠いている」と説明した。
バランスというのは、イスラエルのやっていることは悪いが、先に攻撃したハマスも悪いと両者をバランスよく扱わなければならないということであろう。
最近、「ハマスによる攻撃は理由もなく起きたわけではない」とか、「パレスチナの人々は長年暴力に苦しめられてきた」などという発言が増えてきている。すなわち“ハマスびいき”が増えてきた。
米国が厳しく反対している決議案に、同盟国である日本は棄権したが問題はないのかという疑問もある。
米国は完全にイスラエル寄りである。日本は完全にイスラエル寄りとは言えない。したがって、米国の手前、賛成でなく棄権したと言えなくもない。
戦後、日本には中東の石油の安定確保のための政策を行ってきた歴史がある。日本の独自の中東政策については次項で述べる。
2.日本の独自の中東政策
日本はなぜ太平洋戦争に踏み切ったのか。
「米国が石油禁輸を実施し、日本は石油資源を求め開戦に至った」との説が一般的である。
石油は昔も日本の弱点であった。
太平洋戦争開戦直前の日本は、石油の9割以上を輸入に依存していた。ところが、1941年8月、米国は対日石油輸出の全面禁止を発表した。
当時、石油の7割を米国からの輸入に頼っていた日本にとっては、大きな衝撃であった。
経済的な打撃と同時に、艦隊や軍用機が動かせなくなるため、軍事的にも大きな打撃を受けることになるからである。
そして、戦争中のスローガンが「石油の一滴は血の一滴」であった。
さて、戦後、特に1973年の石油危機以来、日本は原油輸入確保を最優先の課題として、中東政策を立案・実施してきた。
2023年1月の原油輸入の中東依存率94.4%である。日本の中東政策の目的は、石油の安定的な確保であることは間違いない。
(1)戦後の日本の中東政策の主要な事象
以下、戦後の日本の中東政策の主要な事象について時系列に沿って述べる。
①1953年の日昇丸事件
本項は、idemitsu.comやウィキペディアなどを参考にしている。
イランは1951年に石油の国有化を宣言し、英国アングロ・イラニアン社の資産を接収した。
反発した英国は中東に軍艦を派遣、イランへ石油の買い付けに来たタンカーは撃沈すると国際社会に表明した。
一方、日本は第2次世界大戦後、独自のルートで石油を自由に輸入することが困難であり、それが経済発展の妨げとなっていた。
イラン国民の貧窮と日本の経済発展の障害を憂慮した出光興産社長の出光佐三は、イランに対する経済制裁に国際法上の正当性はないと判断し、極秘裏に日章丸(タンカー・同名の船としては2代目)の派遣を決意。
英国との衝突を恐れる日本政府との対立も憂慮し、第三国経由でイランに交渉者として専務の出光計助を1952年に極秘派遣。
モハンマド・モサッデク首相などイラン側要人と会談を行う。
イラン側との粘り強い交渉の末に合意を取り付け、国内外の法を順守するための議論、日本政府に外交上の不利益を与えないための方策、国際法上の対策、法の抜け道を利用する形での必要書類作成、実行時の国際世論の行方や各国の動向予測、航海上の危険個所調査など準備を入念に整えて、日章丸は1953年3月23日午前9時、神戸港を極秘裏に出港した。
航路を偽装するなどして英国海軍から隠れる形で、日章丸は4月10日イランに到着。
この時点で世界中のマスメディアに報じられ、国際的事件として認知された。
日本においても、武器を持たない一民間企業が、当時世界第2の海軍力を誇っていた英国海軍に「喧嘩を売った事件」として報道され、日本では連日、新聞の一面記事で報道された。
日昇丸は、ガソリン、軽油約2万2000キロリットルを満載し、5月、大勢の人の歓迎を受けて川崎港に帰港した。
これに対し、英国アングロ・イラニアン社(BP=The British Petroleum Company plcの前身)は積荷の所有権を主張し、出光を東京地裁に提訴。
この「日章丸事件」は、法廷で争われることになった。
裁判の経過は連日、新聞でも大きく取り上げられ、結局、アングロ・イラニアン社が提訴を取り下げたため、出光側の勝利となった。
イラン石油の輸入はその後、イランにおいてメジャー(国際石油資本)の結束が再び強化され、1956(昭和31)年に終了した。
しかし、この「事件」は、産油国との直接取引の先駆けを成すものであり、日本人の目を中東に向けるきっかけになった。
また、敗戦で自信を喪失していた当時の日本で、国際社会に一矢報いた「快挙」として受け止められたことも歴史的事実である。
また、イランが親日国になった理由の一つでもある。
②1973年の二階堂進官房長官談話
今からちょうど50年前の1973年10月、第4次中東戦争によって第1次石油ショックが起きた。
同年11月、第2次田中角栄内閣の二階堂官房長官は「イスラエルが1967年戦争の占領地から撤退しない場合は、イスラエルとの関係を再検討する」との談話を発表した。
イスラエルとの「断交」もあり得るという強いメッセージで、それまで中立だった日本の対中東政策を大きくアラブ諸国寄りに変えた出来事であった。
③1978年の福田赳夫首相の中東訪問
1978年9月の福田首相のイラン訪問とパーレビ国王との会談は、同国全土で数十万人が参加して王制打倒を目指すデモが繰り広げられる情勢下に行われた。
同国王はその4か月後にエジプトへ脱出し、その1か月後に王制は崩壊した。
この時、福田首相はサウジアラビア、アラブ首長国連邦、カタールも歴訪した。すべて産油国であり、歴訪の目的は石油の安定供給確保にあった。
日本の首相の中東訪問はこの時が最初で、それまでの日本外交の中東軽視を反映していた。政府もメディアも中東のみならずイスラムという大宗教への関心も知識も薄かった。
④1981年の鈴木善幸首相とアラファトPLO議長の会談
1981年10月14日、日本パレスチナ友好連盟(事務局長山口淑子参議院議員)の招待で初来日したパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長と鈴木首相との会談が行われた。
当時、先進国首脳は、PLOをテロリストと見ており、アラファト議長と会見した西側諸国の大統領・首相は、オーストリアのブルーノ・クライスキー首相だけであった。
このため鈴木首相は、アラファト議長と会見した初の西側首脳となった。
会談において鈴木首相は、PLOをパレスチナ人の代表機関として認め、パレスチナ人の独立国家樹立支持の方針を伝えた。
⑤2001年の河野洋平外相イニシアティブ
2001年1月に湾岸諸国を訪問した河野外相は「湾岸諸国との重層的関係に向けた新構想」を提唱し、その柱の一つとして「イスラム世界との文明対話」を呼びかけた。
「イスラム世界との文明対話」は、2002年3月にバーレーンにおいて開催された第1回会合を皮切りとして、2006年までに計4回開催された。
河野外相は「湾岸諸国との重層的関係に向けた新構想」を提唱した際、次のように述べている。
「近年、我が国と湾岸諸国の関係は、石油の輸出入を中心とする経済分野を中心に発展してまいりました」
「私は新世紀を迎え、湾岸諸国との関係を石油に限らず、一層拡大、深化させつつ、重層的な関係を構築していくことが双方の利益にかなうものと考えています」
⑥2019年6月の安倍晋三首相のイラン訪問
イランと米国などの緊張が高まる中、安倍首相は2019年6月12日から14日にかけてイランを公式訪問し、ロウハニ大統領や最高指導者のハメネイ師と会談し、緊張緩和を働きかけた。
日本の首相として41年ぶり、1979年のイラン・イスラム革命後は初めてとなった。
この訪問は、日本が、米国およびイラン双方と友好関係を維持していることを世界に知らしめた。
ただ、これに水を差すような事件が起きた。
ペルシャ湾の入口のホルムズ海峡付近で、日本の海運会社などが運航するタンカー2隻が、何者かの攻撃を受けた。
これについて、安倍首相は「いかなる者が攻撃したにせよ、船舶を危険にさらす行動に対して断固非難する」とした。
⑦2021年8月17日の茂木敏光外相によるアル・クドウス紙(パレスチナ)への寄稿
茂木外相は、2021年8月15~24日の間の中東諸国訪問に際し、パレスチアのアル・クドウス紙に寄稿した。要旨は次のとおり。
「日本は、将来の独立したパレスチナ国家とイスラエルが平和かつ安全に共存する『二国家解決』を支持し、関係者との政治対話、当事者間の信頼醸成、パレスチナ人への経済的支援の3本柱を通じて積極的に貢献していくとの立場であり、様々な日本独自のイニシアティブを推進しています」
(2)筆者コメント
日本政府は、将来の独立したパレスチナ国家とイスラエルが平和かつ安全に共存する『二国家解決』を支持している。
二国家解決以外としては一国家解決(ユダヤ人・アラブ人によるイスラエルの連邦国家構想)や三国家解決(イスラエル・ヨルダン川西岸・ガザの三国家構想)があるが、筆者も「二国家解決案(two-statesolution)」が唯一の実現可能な解決方法であると考える。
二国家解決案は1974年に、国連が1948年の国連総会決議第194号に基づいて提案したものである。しかし、国連総会決議第194号には境界線(または国境)が示されていない。
現在、最も受け入れられているのが「1967年境界線」(1967年の第3次中東戦争以前の境界線)による二国家解決案である。図を参照されたい。
従来の中東和平交渉でも「1967年境界線(67年ライン)」を大まかな目安としてヨルダン川西岸のユダヤ人入植地をイスラエルに組み入れ、同程度のイスラエル側の土地をパレスチナ国家に組み入れる「領土交換」の方式で交渉されてきた。
イスラエルはヨルダン川西岸にユダヤ人入植地を多数建設し、現在、数十万人のユダヤ人が西岸に住んでいる。
ただ、歴代イスラエル政権は国境線の交渉の柔軟性が失われることなどを恐れて「67年ラインに基づく」との言及は拒否してきた。
ところが、2020年1月28日、ドナルド・トランプ米大統領(当時)は、「パレスチナを独立国家とする。同時に、ヨルダン川西岸のイスラエル入植地でイスラエルの主権を認める」という中東和平案を発表した。
トランプ氏は米ホワイトハウスで、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と並んで会見し、今回の和平案は、パレスチナにとって「最後のチャンスかもしれない」と述べた。
一方、パレスチナ自治政府のマフムード・アッバス議長は、トランプ氏の和平案を「謀略」としてはねつけた。
筆者は、トランプ氏の無分別な行動により、パレスチナ問題が解決する日はますます遠のいてしまったと思っている。
おわりに
最後に、現在進行中のイスラエルとハマスの軍事衝突の解決策について私見を述べてみたい。
今の世界体制は無政府状態である。つまり国家を取り締まる権威をもった組織が存在しない。
第2次大戦後、国家を取り締まる権威をもった組織として国連が創設された。
そもそも国連とは、国連憲章第43条に基づいて加盟国から提供された兵力・装備、つまり国連軍を安保理が使って、憲章違反国に対して軍事的措置を取ることを可能にする、強力な安全保障機構として創設されたものである。
ところが、今の国連は常任理事国同士の対立によって、機能不全に陥っている。
それでも、冷戦終結後、米国は政治的にも軍事的にも経済的にも「唯一の超大国」であった。
米国は、唯一の超大国として世界に君臨してきた。その圧倒的な軍事力で米国は世界の警察官として眼を光らし、時には地域紛争に介入した。
ところが、2008年のリーマンショックを契機とした世界的な金融危機と、そこにBRICS(Brazil、Russia、India、China、SouthAfrica)の台頭が重なり、米国の「相対的衰退」が指摘されるようになった。
バラク・オバマ大統領が戦後の米大統領として初めて、「米国は世界の警察官ではない」と表明したのは2013年9月10日である。
今、国際社会は誰を、何を頼りにすればよいのだろうか。
筆者の答えは「平和のための結集」決議に基づく緊急特別総会である。
国連は、安保理決議だけでなく、緊急特別総会の決議により国連軍を派遣したことがある。
1956年に創設された第1次国際連合緊急軍(First United Nations Emergency Force:UNEF1)である。
詳細は、拙稿「国連安保理の常任理事国からロシアを排除する方法」(2023.10.6)を参照されたい。
さて、かつて、ブトロス・ブトロス=ガーリ国連事務総長は、憲章第43条の特別協定の締結を促進し、強制力を有する重装備の平和執行部隊(peace-enforcement units)を創設する構想を示したことがある。
平和執行部隊はかつては失敗したが、国連復権のため、平和執行部隊構想を見直し、新たな構想に基づく、国連軍を創設し、緊急特別総会の決議に基づき、パレスチナに派遣すべきであると筆者は考えている。
そうしなければ、イスラエルとハマスの軍事衝突は第5次中東戦争に拡大し、さらには第3次世界大戦に拡大するかもしれない。
今、国際社会は知恵と勇気を出して行動すべき時である。
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横山 恭三のプロフィール
kyozou Yokoyama 元空将補、1970年防衛大学校卒業・航空自衛隊入隊、要撃管制官を経てフランス軍統合大学留学、在ベルギー防衛駐在官、情報本部情報官、作戦情報隊司令などを務め2003年航空自衛隊を退職。現在(一財)ディフェンス リサーチ センター研究委員。
国連安保理は10月16日、人道的停戦や人道支援を主目的としたロシアとブラジルの2つの決議案の採決が行われた。
ロシアは、ハマスを非難せずに即時停戦などを求める決議案を提出したが、ハマスを非難しないのはテロリスト擁護になるとして米国などが反対し、決議案は採択に必要な9理事国の賛成を得られず否決された。
10月27日、国連は「平和のための結集」決議に基づく第10緊急特別会期を再開し、緊急特別総会を開催。
採決される決議案はアラブ諸国を代表してヨルダンが提出した。
決議案は、休戦や人道回廊の設置に加え、パレスチナ自治区ガザ北部の住民や国連職員などに対して出した避難命令の撤回をイスラエルに求めるものであった。
採決では、121か国が賛成、44か国が棄権、14か国反対の結果となった。ロシア、フランスを含む121か国が賛成した。反対は米国やイスラエルなど14か国だけだった。日本、英国、カナダなど44か国は棄権した。
岸田文雄首相は10月30日の衆院予算委員会で、決議案を棄権した理由について「ハマスのテロ攻撃への強い非難がないなど、全体として内容面でバランスを欠いている」と説明。
第10回緊急特別会期(パレスチナ情勢)は、1997年4月に初めて招集された。
これまでに21回の総会が開催されている。
2023年10月26日から第10回緊急特別会期が再開。
10月27日、緊急特別総会は、人道回廊の設置や「人道的休戦」を求める決議案を採択。
3分の2以上にあたる121か国が賛成した。米国やイスラエルは反対し、日本は棄権した。
ヨルダンの最初の草案では即時停戦を求めていたが、27日の採決を前に「人道的な休戦を求める」と変更。
ハマスがイスラエルから連れ去った人質の解放に関しては「即時に民間人を解放し、安全を確保することを求める」と要請していたが、「違法に拘束されている民間人を即時に解放し、安全を確保することを求める」と変更を加えた。
ヨルダンの決議案では欧米諸国が重視するハマスを名指しで非難する文言を含んでいない。
これを受けてカナダはハマスによる「テロ攻撃」と民間人誘拐の非難を求める修正案を提案したが、カナダの修正案は採用されなかった。
ヨルダンの決議案は中国、ロシア、フランス、ブラジルを含む121か国が賛成した。
反対は米国やイスラエル、オーストリア、ハンガリーなど14か国だけだった。日本、英国、カナダ、ドイツ、イタリア、インド、ウクライナなど44か国は棄権したのだそうです。
岸田首相は日本が棄権した理由について「ハマスのテロ攻撃への強い非難がないなど、全体として内容面でバランスを欠いている」と説明した。
バランスというのは、イスラエルのやっていることは悪いが、先に攻撃したハマスも悪いと両者をバランスよく扱わなければならないということであろうと、横山氏。
最近、“ハマスびいき”が増えてきた。
米国が厳しく反対している決議案に、同盟国である日本は棄権したが問題はないのかという疑問もある。
米国は完全にイスラエル寄りである。日本は完全にイスラエル寄りとは言えない。したがって、米国の手前、賛成でなく棄権したと言えなくもないとも。
2023年1月の原油輸入の中東依存率94.4%である。日本の中東政策の目的は、石油の安定的な確保であることは間違いない。
河野外相(当時)は「湾岸諸国との重層的関係に向けた新構想」を提唱し、その柱の一つとして「イスラム世界との文明対話」を呼びかけた。
「イスラム世界との文明対話」は、2002年3月にバーレーンにおいて開催された第1回会合を皮切りとして、2006年までに計4回開催された。
河野外相は「湾岸諸国との重層的関係に向けた新構想」を提唱した際、次のように述べているのだそうです。
「近年、我が国と湾岸諸国の関係は、石油の輸出入を中心とする経済分野を中心に発展してまいりました」
「私は新世紀を迎え、湾岸諸国との関係を石油に限らず、一層拡大、深化させつつ、重層的な関係を構築していくことが双方の利益にかなうものと考えています」
安倍首相(当時)は2019年6月12日から14日にかけてイランを公式訪問し、ロウハニ大統領や最高指導者のハメネイ師と会談し、緊張緩和を働きかけた。
この訪問は、日本が、米国およびイラン双方と友好関係を維持していることを世界に知らしめたと、横山氏。
茂木外相は、2021年8月15~24日の間の中東諸国訪問に際し、パレスチアのアル・クドウス紙に寄稿したのだそうです。
「日本は、将来の独立したパレスチナ国家とイスラエルが平和かつ安全に共存する『二国家解決』を支持し、関係者との政治対話、当事者間の信頼醸成、パレスチナ人への経済的支援の3本柱を通じて積極的に貢献していくとの立場であり、様々な日本独自のイニシアティブを推進しています」
日本政府は、将来の独立したパレスチナ国家とイスラエルが平和かつ安全に共存する『二国家解決』を支持している。「二国家解決案(two-statesolution)」が唯一の実現可能な解決方法であると考えると、横山氏。
二国家解決案は1974年に、国連が1948年の国連総会決議第194号に基づいて提案したものである。しかし、国連総会決議第194号には境界線(または国境)が示されていない。
現在、最も受け入れられているのが「1967年境界線」(1967年の第3次中東戦争以前の境界線)による二国家解決案だと。
今の世界体制は無政府状態である。つまり国家を取り締まる権威をもった組織が存在しないと、横山氏。
そもそも国連とは、国連憲章第43条に基づいて加盟国から提供された兵力・装備、つまり国連軍を安保理が使って、憲章違反国に対して軍事的措置を取ることを可能にする、強力な安全保障機構として創設されたものだと。
ところが、今の国連は常任理事国同士の対立によって、機能不全に陥っている。
米国は、唯一の超大国として世界に君臨してきた。その圧倒的な軍事力で米国は世界の警察官として眼を光らし、時には地域紛争に介入した。
ところが、2008年のリーマンショックを契機とした世界的な金融危機と、そこにBRICS(Brazil、Russia、India、China、SouthAfrica)の台頭が重なり、米国の「相対的衰退」が指摘されるようになった。
バラク・オバマ大統領が戦後の米大統領として初めて、「米国は世界の警察官ではない」と表明したのは2013年9月10日。
今、国際社会は誰を、何を頼りにすればよいのだろうか。
答えは「平和のための結集」決議に基づく緊急特別総会だと、横山氏。
国連は、安保理決議だけでなく、緊急特別総会の決議により国連軍を派遣したことがある。
1956年に創設された第1次国際連合緊急軍(First United Nations Emergency Force:UNEF1)である。
かつて、ブトロス・ブトロス=ガーリ国連事務総長は、憲章第43条の特別協定の締結を促進し、強制力を有する重装備の平和執行部隊(peace-enforcement units)を創設する構想を示したことがある。
国連復権のため、平和執行部隊構想を見直し、新たな構想に基づく、国連軍を創設し、緊急特別総会の決議に基づき、パレスチナに派遣すべきであると、横山氏。
今、国際社会は知恵と勇気を出して行動すべき時であるさとも。
国連が誕生したときから今日では世界情勢が大きく変わっています。
安保理の常任理事国のロシアと中国が使う拒否権と、覇権拡大行動で機能不全を生じています。
南北に分断された朝鮮半島は、国連軍の名で駐留する米軍で、なんとか平和が維持されています。
機能不全の安保理に代わり、緊急特別総会とその実力部隊の国連軍の登用が求められます。
# 冒頭の画像は、デニスフランシス国連議長
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