遊爺雑記帳

ブログを始めてはや○年。三日坊主にしては長続きしています。平和で美しい日本が滅びることがないことを願ってやみません。

函館から三陸・久慈へ228隻の小型漁船が贈られる

2011-06-06 00:14:38 | 東日本大震災
 77年前の大火で2,800人余りの死者・行方不明者が出た際、久慈など岩手各地から義援金が贈られた恩返しをと、函館市から小型中古漁船227隻が無償で贈られることになり、このうちの83隻を乗せた大型船が 5日午前 8時すぎに久慈市に到着したのだそうです。丁度漁期を迎えるワカメ漁やウニ漁にまにあい、久慈市内各地の漁港に届けられ漁が再開されることになりました。
 

asahi.com(朝日新聞社):「77年前の恩返し」 函館から三陸へ漁船228隻寄贈 - 社会

 津波で多くの船を失った三陸へ、228隻の中古船が贈られる。北海道函館市の港から岩手県の久慈(くじ)港に向け、4日午後、台船に載せられて出発した。思いがけない応援に驚く久慈市漁協に、函館市は「77年前の恩返し」と説明している。
 函館市東部にある椴法華(とどほっけ)漁港。乗組員らが出港前、小型漁船が台船にしっかり固定されているか最終確認した。
 台船には「がんばれ東北!! がんばれ久慈!!」の横断幕。漁船集めに尽力した市内5漁協のうちの一つ「南かやべ漁協」の小川正毅専務理事は「漁師にとって船は命。同じ漁師として、何かしたいという思いが集まった。みんなの思いを込めて贈りたいです」と話した。
 久慈市漁協は漁船617隻の93%を津波で失った。3月末、船で救援物資を久慈港へ届けた函館市から「何か出来ることはないか」と問われ、岩手県北部の同漁協は「6月にはウニの漁期を迎えるのに船がなくて出られない」と苦境を伝えた。ほどなく函館市から「中古の船を譲りたい」と返事が来た。「昭和9(1934)年の函館大火の恩返しです」
 大火で2800人余りの死者・行方不明者が出た際、函館には久慈など岩手各地から義援金が贈られたという。「そんな昔の話、こちらで覚えている人はほとんどいないのに。ありがたい」と久慈市漁協の嵯峨松男参事は驚きながらも喜んだ。


 77年も前のことを覚えていて支援物資を届け、さらに何か出来ることはないかと尋ね、6月から漁期を迎えるが船がないと聞き、函館の5つの漁協が漁船集めに尽力したのだそうです。
 失われた船の約40%にのぼり、漁期にも間に合い、久慈市側では思いがけない贈り物に驚きながら喜んでおられるとのこと。
 民主党政府の対策が遅れる中、地方や民間単位でのこうした支援が進められていますね。
 
全漁連が被災地に中古漁船仲介 | 経済 | ニュース | So-net
 神戸新聞|社会|明石の漁船で再起を 漁協が被災地に提供へ

 まだ使える中古漁船が数多くあるのは、後継者がなく高齢化が進んでいることの証でもあり、農林畜産業とともに、復興が同時にかねて抱えていた構造上の課題解決にも踏み込んで、規制の緩和、資本や人材の自由化を促進するものになることを願っています。

 それにしても、77年前の恩を忘れずに覚えていて、一歩も二歩も踏み込んだ恩返しをされた函館市の方々、函館の漁協の方々には拍手をおくります。




 写真は、八方尾根のリフト乗継地点「黒菱平」の湿地の雪解けです。陽射しに輝く水を撮影の練習中です。

↓よろしかったら、お願いします。


写真素材 PIXTA


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