中国経済の成長が鈍化している事から、対日姿勢が変わってきていると言う声が散見される様になっています。そこへ、習近平の訪米でのオバマ大統領との首脳会談で、南シナ海問題での米国の強行姿勢を招いてしまった習近平の失政とが重なり、中国が国際的孤立感を深め、パリのCOP21の会場で、安倍首相が声をかけた立ち話で、習近平が例によって歴史認識のけん制をしつつも、秋波を送ってきたと、日経が報じています。
中国の対日姿勢の変化の声は、事実なのでしょうか。
中国の労働コストが日本を上回った! - 遊爺雑記帳
中国の対日姿勢の変化は、先ず経済界と地方に対して、中国側からの積極的アプローチから始まっているのだと。
有力企業団の訪日や、大手銀行の幹部らの訪日、榊原経団連会長ら経済界代表の訪中での李克強首相の面談、長崎県知事の招聘と劉延東副首相の面談と、続いています。
自民党の谷垣幹事長と公明党の井上幹事長ら与党訪中団が訪中し、日中与党交流協議会が6年ぶりに再開しています。
想い起せば、4月に、河野訪中団と共に、翁長沖縄県知事とも、李克強首相は面談していました。こちらは、経済復興というより、反安倍陣営支援の目的なのですが。
翁長知事、中国首相と面談 那覇―福州の定期便開設を要望 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
習近平は、孤立からの脱却の為、胡耀邦・胡錦濤路線で、国際協調イメージが強い鄭必堅を取り立てていて、安倍首相との立ち話に「中日両国は『共通の利益』を有する。」と語っているのだそうです。
小平以来の外交戦略「韜光養晦(とうこう・ようかい)」を捨てて、衣の下の鎧を表に出してきた習近平。毛沢東が説いた、日本の共産主義国化戦術での、国のトップを非難攻撃し、反対に国民を懐柔接近する戦術を周到するかのように、安倍首相への非難は続けています。
安倍首相は、かつてソ連の南下戦略に対抗して日本軍が展開した「防共回廊」よろしく、地球儀俯瞰外交で対中包囲外交を展開しています。
経済成長鈍化による破綻回避が、死活的課題となってきている習近平。対日姿勢の変化は、何処まで本気なのでしょう。
毛沢東流の、政権トップを攻撃して、足場を懐柔し崩す戦術が功を奏すかは、日本国民の自覚次第と言えますが、習近平の戦術(世論戦)に、どれだけのメディア、評論家、学者、政治家が籠絡されるのか。
日本人の文化度が試されてもいます。
# 冒頭の画像は、鄭必堅と李克強首相
この花の名前は、ポピーマロウ・ワインカップ
↓よろしかったら、お願いします。
中国の対日姿勢の変化の声は、事実なのでしょうか。
中国の労働コストが日本を上回った! - 遊爺雑記帳
習氏の豹変 対日秋波の思惑 編集委員 中沢克二 :日本経済新聞
中国国家主席、習近平は11月30日、パリでの国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP21)の会場で首相の安倍晋三と立ち話をした。
2人の意見交換は2014年11月の北京(アジア太平洋経済協力会議=APEC=首脳会議)、15年4月のインドネシア(バンドン会議60周年記念首脳会議)以来で、時間は4分間ほどだった。話しかけたのは安倍から。だが微妙な長さの立ち話に応じた習の言葉には、日本への秋波と、安倍へのけん制が交錯している。
「中日両国は『共通の利益』を有する。我々が引き続き良好な雰囲気を深めるのが重要で、互いに敏感(センシティブ)な問題に正しく対応し、関係を大事にしていきたい」
「2国間関係が変わってきている兆候が見られる」
けん制は、習が「敏感な問題」と口にした歴史認識などだ。一方、分析を要するのは「2国間関係の変化の兆候」と表現した秋波の方である。中国の対日姿勢は変化している。その証拠は10月以降、中国側の主導で突然、活発化した人的往来だ。
■日本の地方・経済界に照準
12年秋、沖縄県の尖閣諸島の国有化を巡って中国側は一方的に対日交流を停止した。14年11月の日中首脳会談の実現で底を打ったとはいえ、関係の修復は道半ば。不透明な状態が続いていた。
ところが習は10月中旬、外交政策を統括する国務委員の楊潔篪を突如、日本に送り、安倍と会談させた。副首相級の要人の訪日は習政権発足後、初めてだった。これを号砲に様々な交流が中国側主導で始まった。主なターゲットは日本の経済界と地方自治体だ。
中国の元副首相、曽培炎は11月中旬、中国の有力企業約50社の首脳を引き連れて訪日した。中国石油天然気集団、宝鋼集団など、習の「反腐敗運動」で血祭りにあげられていた企業も目立つ。とりわけ中国石油天然気は無期懲役になった最高指導部経験者、周永康の出身母体だ。習の裁可なしには実現不可能な特別な訪日団だった。
その少し前には、中国の大手国有銀行の中堅幹部らが突然、日本視察を命じられていた。直前まで欧米視察を想定していたのに、上からの急な指示で、まさかの隣国訪問になった。関係者は「がっかりした幹部も多かった」と苦笑いする。中国では全て上意下達である。
中国は従来と打って変わって日本からの客も丁重にもてなし始めた。11月初旬、訪中した経団連会長の榊原定征ら経済界代表団には首相の李克強が会った。経済界の訪中団が中国の首相と会談するのは実に6年ぶりだった。昨年まで最高指導部メンバーではない副首相の汪洋だったのと比べても豹変(ひょうへん)だ。
同じ11月の半ば、長崎県知事、中村法道は中国側の招きで北京と上海を訪問。北京では「統一戦線戦略」を担当する副首相、劉延東が会談に応じた。習政権下で副首相級が訪中した日本の県知事らに会うのは異例だった。
そこには理由があった。習は国家副主席だった2010年夏、北京で中村に会っている。習が地方幹部として17年間近くを過ごした福建省は長崎県と姉妹関係にある。鎖国時代の江戸期でも長崎・出島が窓口の対中貿易が続いた長い交流史を背景としている。
地域経済の底上げが使命の自治体トップや、高い技術力を持つ地方企業を呼び込むため、過去の人脈、縁をフル活用する手法だ。
12月に入ると自民党幹事長の谷垣禎一らが訪中。中国共産党との日中与党交流協議会が6年ぶりに再開した。中国による対日攻勢である。
■胡耀邦、胡錦濤時代のブレーン“復活”
中国はなぜ豹変したのか。それは習の政治的な指示によるものだ。9月、ワシントンでの米中首脳会談が南シナ海の埋め立て問題を巡る中国の強硬姿勢で失敗。習は国際的な孤立を恐れ、近隣国との関係修復へ急にカジを切った。米国の同盟国で、東南アジア諸国に影響力を持つ日本も重要だった。
「中国には真の友達が少ない。皆、中国マネー目当てにすぎない。なんとかしたい」。国際派といわれる中国幹部が語った本音だ。
国際的な「友人づくり」に向けて、習が再び起用した人物がいる。83歳になった老知識人の鄭必堅。学生デモへの対処の甘さを責められて失脚した元共産党総書記、胡耀邦の政治秘書だった。
習がパリでの立ち話で安倍に説いた「共通の利益」という言葉も、鄭必堅が提起した「利益共同体」の概念そのものだ。国際協調イメージが強い鄭必堅の最近の演説は11月中旬、党機関紙、人民日報にも掲載された。習指導部のお墨付きを得ている証拠だった。
鄭必堅は、前国家主席、胡錦濤の時代には党幹部の養成機関、中央党校の常務副校長を務めた。2000年代前半には、国際協調に軸を置きつつ中国の国際的な役割を拡大する「平和台頭論」を提唱し、注目を集めた。
だが、軍や元国家主席、江沢民派の抵抗もあり、突然、その言葉は使われなくなった。人民日報評論員だった馬立誠らが訴えた「対日新思考」と呼ばれる日本との関係改善戦略も似た理由からお蔵入りになった。複雑な権力闘争が絡んでいた。
鄭必堅は今、10年に発足した中国政府のシンクタンク「国家創新と発展戦略研究会」(国創会)の会長を務めている。中国の実情を理解してもらう国際宣伝と、先端技術を持つ海外企業の引き込みで中国経済の質的充実を図る2つの使命を帯びる。
政経一体の総合戦略の重点は、上海・虹橋地区だ。新設した広大な国際展示場では今年から「現代科学技術創新成果展」と銘打った展示会を長期にわたって開催する。日米独など各国企業の参加を想定している。豊富な中国政府の資金が投入され、施設利用は無料としている。
中国経済が減速する中、海外の経済界を巨大市場である中国に再び引き込むことは重要だ。しかも、元国家主席、江沢民のお膝元の上海で、習が主導するプロジェクトが進むのも面白い。上海では反腐敗で江派に連なる面々の摘発が続く。新事業の結果、上海でも習の求心力が高まるのは間違いない。
■安倍首相を警戒、日本批判は制限
12年にトップに立った習は、爪を隠して力を養う小平以来の外交戦略「韜光養晦(とうこう・ようかい)」を事実上、捨てた。当然、米国や近隣国との摩擦が激化し、危うい状況に陥った。すると方向を微修正した。
とはいえ中国は、米国と歩調を合わせ南シナ海問題に言及し続ける安倍への警戒感は隠さない。党宣伝部の管理下にある中国の公式メディアは今、安倍批判の記事掲載は一定の範囲で許されている。だが、一般の日本人社会、経済界を標的にする記事は厳しく制限されている。
習の変化は便宜上の見せかけにすぎないのか、それとも戦略的な方向修正なのか。南シナ海での中国の行動を含め、じっくり観察する必要がある。(敬称略)
中国国家主席、習近平は11月30日、パリでの国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP21)の会場で首相の安倍晋三と立ち話をした。
2人の意見交換は2014年11月の北京(アジア太平洋経済協力会議=APEC=首脳会議)、15年4月のインドネシア(バンドン会議60周年記念首脳会議)以来で、時間は4分間ほどだった。話しかけたのは安倍から。だが微妙な長さの立ち話に応じた習の言葉には、日本への秋波と、安倍へのけん制が交錯している。
「中日両国は『共通の利益』を有する。我々が引き続き良好な雰囲気を深めるのが重要で、互いに敏感(センシティブ)な問題に正しく対応し、関係を大事にしていきたい」
「2国間関係が変わってきている兆候が見られる」
けん制は、習が「敏感な問題」と口にした歴史認識などだ。一方、分析を要するのは「2国間関係の変化の兆候」と表現した秋波の方である。中国の対日姿勢は変化している。その証拠は10月以降、中国側の主導で突然、活発化した人的往来だ。
■日本の地方・経済界に照準
12年秋、沖縄県の尖閣諸島の国有化を巡って中国側は一方的に対日交流を停止した。14年11月の日中首脳会談の実現で底を打ったとはいえ、関係の修復は道半ば。不透明な状態が続いていた。
ところが習は10月中旬、外交政策を統括する国務委員の楊潔篪を突如、日本に送り、安倍と会談させた。副首相級の要人の訪日は習政権発足後、初めてだった。これを号砲に様々な交流が中国側主導で始まった。主なターゲットは日本の経済界と地方自治体だ。
中国の元副首相、曽培炎は11月中旬、中国の有力企業約50社の首脳を引き連れて訪日した。中国石油天然気集団、宝鋼集団など、習の「反腐敗運動」で血祭りにあげられていた企業も目立つ。とりわけ中国石油天然気は無期懲役になった最高指導部経験者、周永康の出身母体だ。習の裁可なしには実現不可能な特別な訪日団だった。
その少し前には、中国の大手国有銀行の中堅幹部らが突然、日本視察を命じられていた。直前まで欧米視察を想定していたのに、上からの急な指示で、まさかの隣国訪問になった。関係者は「がっかりした幹部も多かった」と苦笑いする。中国では全て上意下達である。
中国は従来と打って変わって日本からの客も丁重にもてなし始めた。11月初旬、訪中した経団連会長の榊原定征ら経済界代表団には首相の李克強が会った。経済界の訪中団が中国の首相と会談するのは実に6年ぶりだった。昨年まで最高指導部メンバーではない副首相の汪洋だったのと比べても豹変(ひょうへん)だ。
同じ11月の半ば、長崎県知事、中村法道は中国側の招きで北京と上海を訪問。北京では「統一戦線戦略」を担当する副首相、劉延東が会談に応じた。習政権下で副首相級が訪中した日本の県知事らに会うのは異例だった。
そこには理由があった。習は国家副主席だった2010年夏、北京で中村に会っている。習が地方幹部として17年間近くを過ごした福建省は長崎県と姉妹関係にある。鎖国時代の江戸期でも長崎・出島が窓口の対中貿易が続いた長い交流史を背景としている。
地域経済の底上げが使命の自治体トップや、高い技術力を持つ地方企業を呼び込むため、過去の人脈、縁をフル活用する手法だ。
12月に入ると自民党幹事長の谷垣禎一らが訪中。中国共産党との日中与党交流協議会が6年ぶりに再開した。中国による対日攻勢である。
■胡耀邦、胡錦濤時代のブレーン“復活”
中国はなぜ豹変したのか。それは習の政治的な指示によるものだ。9月、ワシントンでの米中首脳会談が南シナ海の埋め立て問題を巡る中国の強硬姿勢で失敗。習は国際的な孤立を恐れ、近隣国との関係修復へ急にカジを切った。米国の同盟国で、東南アジア諸国に影響力を持つ日本も重要だった。
「中国には真の友達が少ない。皆、中国マネー目当てにすぎない。なんとかしたい」。国際派といわれる中国幹部が語った本音だ。
国際的な「友人づくり」に向けて、習が再び起用した人物がいる。83歳になった老知識人の鄭必堅。学生デモへの対処の甘さを責められて失脚した元共産党総書記、胡耀邦の政治秘書だった。
習がパリでの立ち話で安倍に説いた「共通の利益」という言葉も、鄭必堅が提起した「利益共同体」の概念そのものだ。国際協調イメージが強い鄭必堅の最近の演説は11月中旬、党機関紙、人民日報にも掲載された。習指導部のお墨付きを得ている証拠だった。
鄭必堅は、前国家主席、胡錦濤の時代には党幹部の養成機関、中央党校の常務副校長を務めた。2000年代前半には、国際協調に軸を置きつつ中国の国際的な役割を拡大する「平和台頭論」を提唱し、注目を集めた。
だが、軍や元国家主席、江沢民派の抵抗もあり、突然、その言葉は使われなくなった。人民日報評論員だった馬立誠らが訴えた「対日新思考」と呼ばれる日本との関係改善戦略も似た理由からお蔵入りになった。複雑な権力闘争が絡んでいた。
鄭必堅は今、10年に発足した中国政府のシンクタンク「国家創新と発展戦略研究会」(国創会)の会長を務めている。中国の実情を理解してもらう国際宣伝と、先端技術を持つ海外企業の引き込みで中国経済の質的充実を図る2つの使命を帯びる。
政経一体の総合戦略の重点は、上海・虹橋地区だ。新設した広大な国際展示場では今年から「現代科学技術創新成果展」と銘打った展示会を長期にわたって開催する。日米独など各国企業の参加を想定している。豊富な中国政府の資金が投入され、施設利用は無料としている。
中国経済が減速する中、海外の経済界を巨大市場である中国に再び引き込むことは重要だ。しかも、元国家主席、江沢民のお膝元の上海で、習が主導するプロジェクトが進むのも面白い。上海では反腐敗で江派に連なる面々の摘発が続く。新事業の結果、上海でも習の求心力が高まるのは間違いない。
■安倍首相を警戒、日本批判は制限
12年にトップに立った習は、爪を隠して力を養う小平以来の外交戦略「韜光養晦(とうこう・ようかい)」を事実上、捨てた。当然、米国や近隣国との摩擦が激化し、危うい状況に陥った。すると方向を微修正した。
とはいえ中国は、米国と歩調を合わせ南シナ海問題に言及し続ける安倍への警戒感は隠さない。党宣伝部の管理下にある中国の公式メディアは今、安倍批判の記事掲載は一定の範囲で許されている。だが、一般の日本人社会、経済界を標的にする記事は厳しく制限されている。
習の変化は便宜上の見せかけにすぎないのか、それとも戦略的な方向修正なのか。南シナ海での中国の行動を含め、じっくり観察する必要がある。(敬称略)
中国の対日姿勢の変化は、先ず経済界と地方に対して、中国側からの積極的アプローチから始まっているのだと。
有力企業団の訪日や、大手銀行の幹部らの訪日、榊原経団連会長ら経済界代表の訪中での李克強首相の面談、長崎県知事の招聘と劉延東副首相の面談と、続いています。
自民党の谷垣幹事長と公明党の井上幹事長ら与党訪中団が訪中し、日中与党交流協議会が6年ぶりに再開しています。
想い起せば、4月に、河野訪中団と共に、翁長沖縄県知事とも、李克強首相は面談していました。こちらは、経済復興というより、反安倍陣営支援の目的なのですが。
翁長知事、中国首相と面談 那覇―福州の定期便開設を要望 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
習近平は、孤立からの脱却の為、胡耀邦・胡錦濤路線で、国際協調イメージが強い鄭必堅を取り立てていて、安倍首相との立ち話に「中日両国は『共通の利益』を有する。」と語っているのだそうです。
小平以来の外交戦略「韜光養晦(とうこう・ようかい)」を捨てて、衣の下の鎧を表に出してきた習近平。毛沢東が説いた、日本の共産主義国化戦術での、国のトップを非難攻撃し、反対に国民を懐柔接近する戦術を周到するかのように、安倍首相への非難は続けています。
安倍首相は、かつてソ連の南下戦略に対抗して日本軍が展開した「防共回廊」よろしく、地球儀俯瞰外交で対中包囲外交を展開しています。
経済成長鈍化による破綻回避が、死活的課題となってきている習近平。対日姿勢の変化は、何処まで本気なのでしょう。
毛沢東流の、政権トップを攻撃して、足場を懐柔し崩す戦術が功を奏すかは、日本国民の自覚次第と言えますが、習近平の戦術(世論戦)に、どれだけのメディア、評論家、学者、政治家が籠絡されるのか。
日本人の文化度が試されてもいます。
# 冒頭の画像は、鄭必堅と李克強首相
この花の名前は、ポピーマロウ・ワインカップ
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