
モスクワでは現在「ARTDOCFEST」というラトビア発の国際ドキュメンタリー映画祭が行われており、この映画祭の枠内で2日間だけ上映された、ドキュメンタリー映画「クナシル(KOUNACHIR)」。
ロシア国営通信社「ロシア・セヴォードニャ」の日本人記者徳山あすかさんが、そのさわりを紹介しておられます。
内容の詳細については当然ながら紹介はされていませんが、ドキュメンタリー映画としての現在の住民の声が紹介されています。
現在の住民は、ロシアジ人というよりソビエト人。ベラルーシ出身で、現在はパリに住むウラジーミル・コズロフ監督も自分のことを「ソビエトの人間」だと呼ぶ。
国後島がテーマなのに、れっきとしたフランス映画である。コズロフ監督のやりとげたことはすごいと思うと徳山さん。
この映画が魅力的なのは、タブーと考えられてきたテーマに直球で切り込み、リアルな国後島の姿と、そこに生きている人々の生活を垣間見せてくれるからだと徳山さん。
監督自らが国後島に住むロシア人たちと対話し、日本について質問を投げかける。
「日本人がいなくても良い生活をしている」と言う人もいれば、「ここには仕事がない、クリル発展計画には意味がない」とこぼし、日本と組んで雇用を創出すればいいと考える人もいる。
海洋汚染で海産物の質が落ちていることを憂慮し「日本人ならもっとうまくやるだろう」と話す人もいる。
心から言っていそうな人もいれば、本音は違うところにあるのではないかと思わせる人もいる。人の数だけ意見がある。
領土問題のデリケートさを考えれば、これだけの人がカメラの前で臆せず話したというのは素晴らしいし、撮る方も撮られる方も勇気が必要だったと思うと。
国後島に暮らす人々は国籍こそロシアだが、ソ連崩壊前に移住してきた人も多く、民族的にはウクライナ人だったりベラルーシ人だったりと、多彩。
ソビエト人としての共通したバックボーンを持っているので、自分のことを「ソビエトの人間」だと呼ぶコズロフ監督と住民とは相通じるものがあるのかもしれない。ソビエト人だがロシア人ではないという絶妙な距離感と、監督本人の人柄・力量が合わさって、これらの対話が実現したのだと思うと徳山さん。
「クナシル」は日本のドキュメンタリー映画祭にエントリーしているのだそうですが、もし日本人が見たらどう思うだろうか、監督の予想を聞いてみたと。
答えは、
「映画は挑発的で、日本にとってもロシアにとっても不都合な真実が描かれている。喜ばしくない真実を目にして、ショックを受けるかもしれない」
「日本人のように礼儀正しく、美しく伝えるわけじゃない。しかも皮肉、サルカズムが散りばめられている。皮肉というのは全員に通じるものではなく、文化背景によるところが大きい」
「もしかしたら一部の人は、皮肉を文字通り受け止めて、僕が日本人を怯えさせようとしている、と思うかもしれない」
等。
なぜこの映画が気に入ったかよく考えてみたら、その裏には、何もできない自分自身への苛立ちもあると思うと徳山さん。
コズロフ監督は、元島民の多くが住む根室市に行き、登場人物を探すつもりだと。彼らの故郷に対する想いが理解できると。
「人を、土地から物理的に追放することはできるかもしれないが、生まれ故郷というのは、追放することができない」
「これは大きな悲劇で、故郷に戻れないのはとても痛ましいことだ。故郷を離れてフランスに住んでいる私にも、それがよく分かる」
とも。
国後島に暮らす人々には、国後産まれの国後育ちの方々。つまり、国後島が故郷という方々が多くなっていることでしょう。
元島民の日本人の方々、移住してきたソビエト人の現在の住民の方々。国後島生まれの国後島が故郷の方々。
人の数だけ意見があるという、現在の国後島の住民の方々。
北方四島の日露間の交渉は途絶えてしまい、ロシアは憲法で領土交渉を禁じてしまいました。
「人を、土地から物理的に追放することはできるかもしれないが、生まれ故郷というのは、追放することができない」とコズロフ監督。
この映画に魅かれたのは、何もできない自分自身への苛立ちもあると思うと徳山さん。
未来に向けて、「(現状でも)よい生活をしている」という住民ばかりではなく、「ここには仕事がない、クリル発展計画には意味がない」とこぼし、日本と組んで雇用を創出すればいいと考える人や、海洋汚染で海産物の質が落ちていることを憂慮し「日本人ならもっとうまくやるだろう」と話す人もいる。
勿論日本の元住民の方々の故郷への想いはいかばかりか。
両国の住民の想いを閉ざしてしまったプーチン大統領。少ない住民の声や、日露の平和交渉よりも、自分の地位確保に往時の力がなくなってしまっているということなのですね。
何も出来ないのは、徳山さんだけではなく、日露両国の政府も国民も!
#冒頭の画像は、国後島に残された戦車の上に立つウラジーミル・コズロフ監督

この花の名前は、シャクナゲ
↓よろしかったら、お願いします。







ロシア国営通信社「ロシア・セヴォードニャ」の日本人記者徳山あすかさんが、そのさわりを紹介しておられます。
内容の詳細については当然ながら紹介はされていませんが、ドキュメンタリー映画としての現在の住民の声が紹介されています。
現在の住民は、ロシアジ人というよりソビエト人。ベラルーシ出身で、現在はパリに住むウラジーミル・コズロフ監督も自分のことを「ソビエトの人間」だと呼ぶ。
国後島がテーマなのに、れっきとしたフランス映画である。コズロフ監督のやりとげたことはすごいと思うと徳山さん。
日本人に衝撃? 国後島の不都合な真実を暴いた映画 ベラルーシ出身の監督、根室を舞台に次作も準備中(1/5) | JBpress(Japan Business Press) 2021.4.9(金) 徳山 あすか
モスクワでとても面白い映画を観た。タイトルは「クナシル(KOUNACHIR)」。
2018年5月に国後島で撮影され、2019年に公開されたドキュメンタリーだ。メガホンを取ったのは、ベラルーシ出身で、現在はパリに住むウラジーミル・コズロフ氏。
国後島がテーマなのに、れっきとしたフランス映画である。モスクワでは現在「ARTDOCFEST」というラトビア発の国際ドキュメンタリー映画祭が行われており、本作はこの映画祭の枠内で2日間だけ上映された。
この映画が魅力的なのは、タブーと考えられてきたテーマに直球で切り込み、リアルな国後島の姿と、そこに生きている人々の生活を垣間見せてくれるからだ。
監督自らが国後島に住むロシア人たちと対話し、日本について質問を投げかける。
「日本人がいなくても良い生活をしている」と言う人もいれば、「ここには仕事がない、クリル発展計画には意味がない」とこぼし、日本と組んで雇用を創出すればいいと考える人もいる。
海洋汚染で海産物の質が落ちていることを憂慮し「日本人ならもっとうまくやるだろう」と話す人もいる。
心から言っていそうな人もいれば、本音は違うところにあるのではないかと思わせる人もいる。人の数だけ意見がある。
領土問題のデリケートさを考えれば、これだけの人がカメラの前で臆せず話したというのは素晴らしいし、撮る方も撮られる方も勇気が必要だったと思う。
64歳のコズロフ監督は、自分のことを「ソビエトの人間」だと呼ぶ。
国後島に暮らす人々は国籍こそロシアだが、ソ連崩壊前に移住してきた人も多く、民族的にはウクライナ人だったりベラルーシ人だったりと、多彩である。
ソビエト人としての共通したバックボーンを持っているからこそ、監督とは相通じるものがあるのかもしれない。
ソビエト人だがロシア人ではないという絶妙な距離感と、監督本人の人柄・力量が合わさって、これらの対話が実現したのだと思う。
美しい場所であえて自然を撮らない
監督は、筆者からのインタビュー申し入れを快く受け入れてくれた。
そもそも国後島をドキュメンタリーの題材にしようと思ったのは「世界の果てを見てみたい」という気持ちからだったという。
下準備のため、2013年に3週間、国後島に滞在した。その大自然を目の当たりにすれば、「恋に落ちないことは不可能だ」と言う監督。
筆者自身、ビザなし訪問に参加してすっかり大自然に魅了され、何とか領土問題解決の役に立ちたいと思ってロシア語を始めた。それだから、監督の気持ちがよく分かる。
しかし監督が描きたかったのは、政治的、社会的、民族的な要素だ。
国後島には「材木岩」や「ろうそく岩」などの景勝地があるが、それらは全く映画に出てこない。
映画祭での上映後、観客からの「なぜあなたは自然の素晴らしさを伝えなかったのか?」という質問に対し、監督は「僕は、美しいものをただそのまま撮ることはできない」と答えた。
確かに、自然を題材にした映画はこれまでにもあった。そしてそういう映像は、政治的に気を使わなくていい。何より、コンテンツとして売り物になる。
しかしそういう当たり障りのないアプローチは、監督の望むところではなかった。
ただ、撮影中にヒヤリとしたことはあった。偶然自転車で通りかかった若い男性のインタビューをしていたら、制服姿の男性に「あなたはアンチ・ロシアの映画を撮るつもりか」と声をかけられたという。
監督は、「誰にでも、自分の思っていることを話す権利がある」と答え、その場はそれで収まった。
しかし、下手をすればフィルムを没収されるかもしれないと考え、それ以降はより慎重に、細心の注意を払って行動するようにした。
知られざる日本の足跡
映画の冒頭には、地面を掘り起こし、日本の茶碗の破片を発見する男性が出てくる。
こういう人たちは一人ではなく、アマチュアの考古学者のようなことを趣味でやっている。
掘り出したものをつなぎ合わせて元の形にし、家に飾ったり、コレクター同士で交換したり、時には売ったりするのだそうだ。
日本のものはお墓以外ほとんど何も残っていないと思っていたが、こういう個人宅を回っていけば、思わぬ思い出の品に出会えるかもしれない。
監督によれば、国後島の泊村があった辺りは、かつての人口が多かったこともあり、雨が降ると地面からたくさんの破片や、日本人の持ち物だったと思しきものが出てくるのだそうだ。
アマチュア考古学者たちは、作業に疲れると海水浴をしたり、温泉に入ったりして疲れを取る。これがとても気持ちよさそうだ。
映画には出てこないが、国後島の海岸には、昭和天皇の名から取った「ヒロヒト」と呼ばれる温泉(浴槽)があるという。
ネーミングには驚くが、その浴槽につかって海を眺めるのはさぞ気持ちのよいことだろう。残念ながらそこへ行くには特別な通行許可証が必要なので、ビザなし訪問で行くのは不可能だ。
日本人が見たらショックかもしれない
「クナシル」は日本のドキュメンタリー映画祭にエントリーしており、もし選ばれれば秋に日本で上映される可能性がある。
もし日本人が見たらどう思うだろうか、監督の予想を聞いてみた。
「映画は挑発的で、日本にとってもロシアにとっても不都合な真実が描かれている。喜ばしくない真実を目にして、ショックを受けるかもしれない」
「世の中に、真実を知りたくない人というのは一定数いる。映画は日本人からすると難解で、乱暴かもしれない。テーマはデリケートだが、映画自体はデリケートではない」
「日本人のように礼儀正しく、美しく伝えるわけじゃない。しかも皮肉、サルカズムが散りばめられている。皮肉というのは全員に通じるものではなく、文化背景によるところが大きい」
「もしかしたら一部の人は、皮肉を文字通り受け止めて、僕が日本人を怯えさせようとしている、と思うかもしれない」
筆者は、いくつかの皮肉やメタファーがとても気に入ったが、そこまで書くとネタバレになってしまうので、自粛しておく。
次作「ネムロ」を準備中
なぜこの映画が気に入ったかよく考えてみたら、その裏には、何もできない自分自身への苛立ちもあると思う。
筆者は日本人だが、ロシアのジャーナリストでもある。何かを書くとき、つい無意識に、日本の立場はこうで、ロシアの立場はこうだなと、誰にも何も言われていないのに自動的な忖度が始まる。
本当はそういう懸念や怯えを抜きにして、ただあるがままを取材して書きたいと思いながら、何も実現できていない。
そう考えれば、コズロフ監督のやりとげたことはすごいと思う。
監督は「コロナが落ち着けば一刻も早く日本へ行きたい」と言う。「クナシル」と対になるドキュメンタリー「ネムロ」製作に着手するためだ。
元島民の多く住む根室市に行き、登場人物を探すつもりだ。元島民の平均年齢は86歳。その数は5660人にまで減ってしまった。監督は、彼らの故郷に対する想いが理解できると言う。
「僕が映画『クナシル』にこめた最も大切な想いは、故郷を追放することは不可能だということ」
「人を、土地から物理的に追放することはできるかもしれないが、生まれ故郷というのは、追放することができない」
「これは大きな悲劇で、故郷に戻れないのはとても痛ましいことだ。故郷を離れてフランスに住んでいる私にも、それがよく分かる」
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徳山 あすかのプロフィール
とくやま・あすか 在ロシアジャーナリスト
1984年兵庫県神戸市生まれ。2006年早稲田大学第一文学部卒業、時事通信社に入社。2013年、同社を退社しロシアに拠点を移す。サンクトペテルブルク工科大学、モスクワ教育大学修士課程を経てロシア国営通信社「ロシア・セヴォードニャ」に入社、日本人初の記者となる。現在は記者として活動する傍ら、モスクワ教育大学博士課程に在籍しロシアジャーナリズムの研究を行なっている。
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モスクワでとても面白い映画を観た。タイトルは「クナシル(KOUNACHIR)」。
2018年5月に国後島で撮影され、2019年に公開されたドキュメンタリーだ。メガホンを取ったのは、ベラルーシ出身で、現在はパリに住むウラジーミル・コズロフ氏。
国後島がテーマなのに、れっきとしたフランス映画である。モスクワでは現在「ARTDOCFEST」というラトビア発の国際ドキュメンタリー映画祭が行われており、本作はこの映画祭の枠内で2日間だけ上映された。
この映画が魅力的なのは、タブーと考えられてきたテーマに直球で切り込み、リアルな国後島の姿と、そこに生きている人々の生活を垣間見せてくれるからだ。
監督自らが国後島に住むロシア人たちと対話し、日本について質問を投げかける。
「日本人がいなくても良い生活をしている」と言う人もいれば、「ここには仕事がない、クリル発展計画には意味がない」とこぼし、日本と組んで雇用を創出すればいいと考える人もいる。
海洋汚染で海産物の質が落ちていることを憂慮し「日本人ならもっとうまくやるだろう」と話す人もいる。
心から言っていそうな人もいれば、本音は違うところにあるのではないかと思わせる人もいる。人の数だけ意見がある。
領土問題のデリケートさを考えれば、これだけの人がカメラの前で臆せず話したというのは素晴らしいし、撮る方も撮られる方も勇気が必要だったと思う。
64歳のコズロフ監督は、自分のことを「ソビエトの人間」だと呼ぶ。
国後島に暮らす人々は国籍こそロシアだが、ソ連崩壊前に移住してきた人も多く、民族的にはウクライナ人だったりベラルーシ人だったりと、多彩である。
ソビエト人としての共通したバックボーンを持っているからこそ、監督とは相通じるものがあるのかもしれない。
ソビエト人だがロシア人ではないという絶妙な距離感と、監督本人の人柄・力量が合わさって、これらの対話が実現したのだと思う。
美しい場所であえて自然を撮らない
監督は、筆者からのインタビュー申し入れを快く受け入れてくれた。
そもそも国後島をドキュメンタリーの題材にしようと思ったのは「世界の果てを見てみたい」という気持ちからだったという。
下準備のため、2013年に3週間、国後島に滞在した。その大自然を目の当たりにすれば、「恋に落ちないことは不可能だ」と言う監督。
筆者自身、ビザなし訪問に参加してすっかり大自然に魅了され、何とか領土問題解決の役に立ちたいと思ってロシア語を始めた。それだから、監督の気持ちがよく分かる。
しかし監督が描きたかったのは、政治的、社会的、民族的な要素だ。
国後島には「材木岩」や「ろうそく岩」などの景勝地があるが、それらは全く映画に出てこない。
映画祭での上映後、観客からの「なぜあなたは自然の素晴らしさを伝えなかったのか?」という質問に対し、監督は「僕は、美しいものをただそのまま撮ることはできない」と答えた。
確かに、自然を題材にした映画はこれまでにもあった。そしてそういう映像は、政治的に気を使わなくていい。何より、コンテンツとして売り物になる。
しかしそういう当たり障りのないアプローチは、監督の望むところではなかった。
ただ、撮影中にヒヤリとしたことはあった。偶然自転車で通りかかった若い男性のインタビューをしていたら、制服姿の男性に「あなたはアンチ・ロシアの映画を撮るつもりか」と声をかけられたという。
監督は、「誰にでも、自分の思っていることを話す権利がある」と答え、その場はそれで収まった。
しかし、下手をすればフィルムを没収されるかもしれないと考え、それ以降はより慎重に、細心の注意を払って行動するようにした。
知られざる日本の足跡
映画の冒頭には、地面を掘り起こし、日本の茶碗の破片を発見する男性が出てくる。
こういう人たちは一人ではなく、アマチュアの考古学者のようなことを趣味でやっている。
掘り出したものをつなぎ合わせて元の形にし、家に飾ったり、コレクター同士で交換したり、時には売ったりするのだそうだ。
日本のものはお墓以外ほとんど何も残っていないと思っていたが、こういう個人宅を回っていけば、思わぬ思い出の品に出会えるかもしれない。
監督によれば、国後島の泊村があった辺りは、かつての人口が多かったこともあり、雨が降ると地面からたくさんの破片や、日本人の持ち物だったと思しきものが出てくるのだそうだ。
アマチュア考古学者たちは、作業に疲れると海水浴をしたり、温泉に入ったりして疲れを取る。これがとても気持ちよさそうだ。
映画には出てこないが、国後島の海岸には、昭和天皇の名から取った「ヒロヒト」と呼ばれる温泉(浴槽)があるという。
ネーミングには驚くが、その浴槽につかって海を眺めるのはさぞ気持ちのよいことだろう。残念ながらそこへ行くには特別な通行許可証が必要なので、ビザなし訪問で行くのは不可能だ。
日本人が見たらショックかもしれない
「クナシル」は日本のドキュメンタリー映画祭にエントリーしており、もし選ばれれば秋に日本で上映される可能性がある。
もし日本人が見たらどう思うだろうか、監督の予想を聞いてみた。
「映画は挑発的で、日本にとってもロシアにとっても不都合な真実が描かれている。喜ばしくない真実を目にして、ショックを受けるかもしれない」
「世の中に、真実を知りたくない人というのは一定数いる。映画は日本人からすると難解で、乱暴かもしれない。テーマはデリケートだが、映画自体はデリケートではない」
「日本人のように礼儀正しく、美しく伝えるわけじゃない。しかも皮肉、サルカズムが散りばめられている。皮肉というのは全員に通じるものではなく、文化背景によるところが大きい」
「もしかしたら一部の人は、皮肉を文字通り受け止めて、僕が日本人を怯えさせようとしている、と思うかもしれない」
筆者は、いくつかの皮肉やメタファーがとても気に入ったが、そこまで書くとネタバレになってしまうので、自粛しておく。
次作「ネムロ」を準備中
なぜこの映画が気に入ったかよく考えてみたら、その裏には、何もできない自分自身への苛立ちもあると思う。
筆者は日本人だが、ロシアのジャーナリストでもある。何かを書くとき、つい無意識に、日本の立場はこうで、ロシアの立場はこうだなと、誰にも何も言われていないのに自動的な忖度が始まる。
本当はそういう懸念や怯えを抜きにして、ただあるがままを取材して書きたいと思いながら、何も実現できていない。
そう考えれば、コズロフ監督のやりとげたことはすごいと思う。
監督は「コロナが落ち着けば一刻も早く日本へ行きたい」と言う。「クナシル」と対になるドキュメンタリー「ネムロ」製作に着手するためだ。
元島民の多く住む根室市に行き、登場人物を探すつもりだ。元島民の平均年齢は86歳。その数は5660人にまで減ってしまった。監督は、彼らの故郷に対する想いが理解できると言う。
「僕が映画『クナシル』にこめた最も大切な想いは、故郷を追放することは不可能だということ」
「人を、土地から物理的に追放することはできるかもしれないが、生まれ故郷というのは、追放することができない」
「これは大きな悲劇で、故郷に戻れないのはとても痛ましいことだ。故郷を離れてフランスに住んでいる私にも、それがよく分かる」
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徳山 あすかのプロフィール
とくやま・あすか 在ロシアジャーナリスト
1984年兵庫県神戸市生まれ。2006年早稲田大学第一文学部卒業、時事通信社に入社。2013年、同社を退社しロシアに拠点を移す。サンクトペテルブルク工科大学、モスクワ教育大学修士課程を経てロシア国営通信社「ロシア・セヴォードニャ」に入社、日本人初の記者となる。現在は記者として活動する傍ら、モスクワ教育大学博士課程に在籍しロシアジャーナリズムの研究を行なっている。
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この映画が魅力的なのは、タブーと考えられてきたテーマに直球で切り込み、リアルな国後島の姿と、そこに生きている人々の生活を垣間見せてくれるからだと徳山さん。
監督自らが国後島に住むロシア人たちと対話し、日本について質問を投げかける。
「日本人がいなくても良い生活をしている」と言う人もいれば、「ここには仕事がない、クリル発展計画には意味がない」とこぼし、日本と組んで雇用を創出すればいいと考える人もいる。
海洋汚染で海産物の質が落ちていることを憂慮し「日本人ならもっとうまくやるだろう」と話す人もいる。
心から言っていそうな人もいれば、本音は違うところにあるのではないかと思わせる人もいる。人の数だけ意見がある。
領土問題のデリケートさを考えれば、これだけの人がカメラの前で臆せず話したというのは素晴らしいし、撮る方も撮られる方も勇気が必要だったと思うと。
国後島に暮らす人々は国籍こそロシアだが、ソ連崩壊前に移住してきた人も多く、民族的にはウクライナ人だったりベラルーシ人だったりと、多彩。
ソビエト人としての共通したバックボーンを持っているので、自分のことを「ソビエトの人間」だと呼ぶコズロフ監督と住民とは相通じるものがあるのかもしれない。ソビエト人だがロシア人ではないという絶妙な距離感と、監督本人の人柄・力量が合わさって、これらの対話が実現したのだと思うと徳山さん。
「クナシル」は日本のドキュメンタリー映画祭にエントリーしているのだそうですが、もし日本人が見たらどう思うだろうか、監督の予想を聞いてみたと。
答えは、
「映画は挑発的で、日本にとってもロシアにとっても不都合な真実が描かれている。喜ばしくない真実を目にして、ショックを受けるかもしれない」
「日本人のように礼儀正しく、美しく伝えるわけじゃない。しかも皮肉、サルカズムが散りばめられている。皮肉というのは全員に通じるものではなく、文化背景によるところが大きい」
「もしかしたら一部の人は、皮肉を文字通り受け止めて、僕が日本人を怯えさせようとしている、と思うかもしれない」
等。
なぜこの映画が気に入ったかよく考えてみたら、その裏には、何もできない自分自身への苛立ちもあると思うと徳山さん。
コズロフ監督は、元島民の多くが住む根室市に行き、登場人物を探すつもりだと。彼らの故郷に対する想いが理解できると。
「人を、土地から物理的に追放することはできるかもしれないが、生まれ故郷というのは、追放することができない」
「これは大きな悲劇で、故郷に戻れないのはとても痛ましいことだ。故郷を離れてフランスに住んでいる私にも、それがよく分かる」
とも。
国後島に暮らす人々には、国後産まれの国後育ちの方々。つまり、国後島が故郷という方々が多くなっていることでしょう。
元島民の日本人の方々、移住してきたソビエト人の現在の住民の方々。国後島生まれの国後島が故郷の方々。
人の数だけ意見があるという、現在の国後島の住民の方々。
北方四島の日露間の交渉は途絶えてしまい、ロシアは憲法で領土交渉を禁じてしまいました。
「人を、土地から物理的に追放することはできるかもしれないが、生まれ故郷というのは、追放することができない」とコズロフ監督。
この映画に魅かれたのは、何もできない自分自身への苛立ちもあると思うと徳山さん。
未来に向けて、「(現状でも)よい生活をしている」という住民ばかりではなく、「ここには仕事がない、クリル発展計画には意味がない」とこぼし、日本と組んで雇用を創出すればいいと考える人や、海洋汚染で海産物の質が落ちていることを憂慮し「日本人ならもっとうまくやるだろう」と話す人もいる。
勿論日本の元住民の方々の故郷への想いはいかばかりか。
両国の住民の想いを閉ざしてしまったプーチン大統領。少ない住民の声や、日露の平和交渉よりも、自分の地位確保に往時の力がなくなってしまっているということなのですね。
何も出来ないのは、徳山さんだけではなく、日露両国の政府も国民も!
#冒頭の画像は、国後島に残された戦車の上に立つウラジーミル・コズロフ監督

この花の名前は、シャクナゲ
↓よろしかったら、お願いします。



