遊爺雑記帳

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ミャンマーのクーデター 早速バイデン政権に試練

2021-02-04 01:33:55 | my notice
 ミャンマー国軍はクーデターで権力の座を奪い取り、アウン・サン・スー・チー国家顧問を含む民間人指導者らを拘束しました。
 バイデン新政権にとって、米中冷戦時代での早速の試練の場に直面することとなりました。
 中国の支配力から脱して民主化するのか、経済依存するのかので揺れ動くミェンマー。それには、米国の関与が大きく影響すると、WSJ。
 
ミャンマー、クーデターで米中対立の焦点に  - WSJ 2021年 2月 3日 By Niharika Mandhana, Warren P. Strobel and Feliz Solomon

 【シンガポール】ミャンマーの軍事政権から民主主義政権への体制移行は10年前に始まった。それは中国の裏庭で米政府が戦略上の勝利を挙げたことだと宣伝された。中国政府の影響を弱めたいと考えていたミャンマーは、外交・通商面で西側諸国に向けて門戸を開いた

 
2月1日、ミャンマー国軍はクーデターで権力の座を奪い取り、アウン・サン・スー・チー国家顧問を含む民間人指導者らを拘束した。国軍の支配下に入った同国のテレビは、国軍トップの司令官が国政を握ったと宣言した。

 米中対立が深刻化する中で起きた
今回のクーデターは、両大国に外交戦略上の対決の場を作り出すことになる。それはまた、世界のリーダーシップをめぐって激しさを増す地政学的競争の最前線に、ミャンマーを立たせることにもなる。

 
米国は、ミャンマーへの対応を、民主主義と人権尊重を推進するための取り組みととらえていた。一方、他国の内政に干渉しない政策をとっていると主張する中国政府の対応は、経済的・戦略的利益の実現に焦点を合わせたものだった。米中両国の違いはクーデターへの反応を見ても明らかだった。

 
ジョー・バイデン米大統領はミャンマー国軍に対し、権力の座を明け渡すよう圧力を掛けるとともに、制裁を科す可能性を示唆した。バイデン氏は、ミャンマー周辺地域の友好諸国に働き掛けるつもりだと語った。こうした対応は、独裁諸国に対抗するため世界の民主主義諸国を結集するという彼の公約の実効性を試すものとなる。米国務省は2日、ミャンマーで今回起きた出来事を正式にクーデターと認定した。

 
中国は、すべての勢力が「相互の違いに適切に対処する」ことを期待するとして、控えめな反応を示した。

 米ワシントンのシンクタンク、スティムソン・センターの中国問題専門家であるヤン・サン(Yun Sun)氏は「中国の戦略は常に『相手が誰であれ、権力の座に就いた者と付き合っていく』というものだった。私はこれを、中国の道徳観の柔軟性と呼んでいる」と語った。

 
中国政府にとって隣国のミャンマーは、インド洋への戦略的玄関口を提供する国であり、鉱物・木材・その他の資源を提供する国だ。ミャンマー国内をうねるように走る中国の石油・ガスパイプラインは、中国内陸部の雲南省とベンガル湾を結んでいる。中国政府は、このルートを、道路や鉄道を伴う、もっと広範囲な経済回廊に変えていきたいと考えている

 米政府にとってミャンマーは違う意味を持つ場所だ。
米政府当局者らは、孤立した国をパートナーに変え、民主主義の得点を稼ぎ、中国の支配を弱めるための突破口になる場所だと考えている

 元国務省高官でオバマ政権とトランプ政権でホワイトハウスのアジア専門家の役割を果たした
ダニエル・ラッセル氏は、ミャンマーの米国内での呼び名であるビルマという言葉を使って「バイデン新政権のジレンマは2つある。その1つは、米国の制裁がビルマ軍にほんのわずかな影響しか与えないことだ。ビルマ軍は米単独の措置ではほとんど打撃を受けない」と語った。

2つ目は、中国が同国に喜んで介入し、同国軍を支援するとみられることだ。南アジアに及ぼす影響力を最大化するという、現在行っている取り組みの一環だ」と同氏は述べた。

 
ミャンマーの軍政からの移管を加速させ、中国から引き離そうとする動きは、ヒラリー・クリントン氏が国務長官だったときに始まった。クリントン氏は2009年に当時国務省のアジア担当トップだったカート・キャンベル氏をミャンマーに派遣した。キャンベル氏は現在、バイデン政権の国家安全保障会議でアジア担当の調整官を務めている

 キャンベル氏は、ミャンマー訪問時に民主化を押し進めた政治家のスー・チー氏と面会した。スー・チー氏はノーベル平和賞を受賞している。キャンベル氏は当時、米国として、ミャンマー政府が互恵的な措置を取るのであれば関係を改善する意向を示した。

 関係改善には最初から、計算済みのリスクがあった。スー・チー氏が自宅軟禁を解かれ、政治家として成長した後、クリントン国務長官は2011年に同国を訪問した。同氏は「ミャンマー」という国名を言うのを避けるという微妙な綱渡りを演じた。米国はミャンマーが、ビルマに対して軍が付けた名前だと考えているからだ。オバマ大統領は翌年にミャンマーを訪問した初の米国大統領になった。

依存と抵抗
 中国とミャンマーの関係は、何十年にもわたり、双方の政治的な変化を乗り越えてきた。
ミャンマーは軍のクーデターと人権侵害の事例によって世界から孤立する中、中国に近づいて行った

 西側諸国はミャンマーに対して全面的な制裁を科し、投資・貿易と渡航を禁じた。中国はその空白を埋めるべくミャンマーに飛び込み、資源採掘などの分野への投資を通じて軍幹部らに富をもたらし、ミャンマーの主要な貿易相手国になった。

 
中国への依存は、ミャンマーの軍人たちを神経質にした。多くのアナリストおよび米国の元当局者らはそれが、軍が2010年に部分的な民主化に向かったきっかけの一つだったと考えている。

 そのため、中国には問題が生じた。ミャンマーは2011年、中国最大の投資案件の一つを中止した。カチン州に6000メガワットの発電能力を持つミッソンダムを建設する36億ドル(現在のレートで約3800億円)規模の計画だ。ミャンマーの河川に沿って建設が予定されていた多数の水力発電ダムの一つだった。

 中国はおおむね、スー・チー氏との関係構築を避けていた。軍との関係維持がその理由の一つだった。しかし、
軍人らが同国の開放に傾き、スー・チー氏が政治的により有力な人物になろうとする中、中国政府は新たな関係に向けた土台作りを始めた

 
中国はミャンマーの政党員らを無料で中国に招待した。その中には、スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)のSandar Min氏も含まれていた。Min氏は2012年以降に中国を5回訪問し、経済発展・中国の司法制度から震災後の復興に至るまでのテーマについて学んだ。同氏によれば、何百人に上る他のメンバーも同様の訪問をしたという。

 ヤンゴンに本拠を置くミャンマーのシンクタンク、インスティテュート・フォー・ストラテジー・アンド・ポリシー(Institute for Strategy and Policy)によると、
2013年以降にミャンマーの政治家、宗教指導者、市民社会のメンバーやジャーナリストなど、少なくとも1000人が中国に招待されたという。

 
ミャンマーは2015年、過去数十年間で初の自由選挙(総選挙)を実施し、スー・チー氏率いるNLDが民政移管後の政権を獲得した。軍部は主要な省を引き続き管理下に置き、不安定な共同運営体制が生まれた。それでも、投票は転換点と受け止められた。

 
スー・チー氏は(事実上の政権トップである国家顧問に)就任後の2016年8月、初の外遊先として中国を訪問した。ワシントン大学ヘンリー・M・ジャクソン国際学部のメアリー・キャラハン准教授は、「この訪問は、中国にとって悪夢が現実のものとはならなかった明確なシグナルを示した。つまり、西側の支援を受けた存在、あるいは西側のかいらいと中国が見なしていたNLDが西側に積極的に向かおうとしなかったということだ」と指摘した。

大きな期待
 ミャンマーが西側に門戸を開いた時、多くの人々は米国企業にとって新しいホットな市場になると考えた。オバマ政権は、制裁解除が米国企業の投資開始に道を開き、それが一層の民主化へのきっかけになるものと期待した。

 しかし、欧米企業の進出がそれほど進むことはなかった。その当初の理由は、経済の改革ペースが遅く、厳しい規制環境があったこと、その後二つ目の理由として浮上したのは、同国の評価を危うくし、制裁の再適用につながる可能性のある(西部ラカイン州の)イスラム系少数民族ロヒンギャ問題の深刻化だった。その代わりに大半の投資は、中国および、日本、インド、韓国を含む他のアジア諸国からのものとなった。

 ミャンマー内ではスー・チー氏の側近たちが欧米の大使に対し、ミャンマーへの圧力は同国を中国にさらに近づけていると警告した。
ロヒンギャへの暴力的な扱いの停止を求める欧米諸国による国連安全保障理事会の決議案採択に向けた動きを阻止することで、中国はミャンマーの明確な擁護者となった。安保理は拘束力のない声明を出すことで落ち着いた。

 
スー・チー氏のオフィスは、中国を念頭に、「主権国家の内政に不干渉の原則を維持した人々」に感謝の意を表明した。

 
昨年1月、中国の習近平国家主席がミャンマーを訪問した。中国の国家主席のミャンマー訪問は、ほぼ20年ぶりのことだった。習氏は、インフラ、貿易、エネルギープロジェクトなどに関する数十億ドルの包括経済計画である「中国・ミャンマー経済回廊」を積極的に推進するため、多数の合意文書に署名した。

 スー・チー氏が率いる政権は最初の任期期間中、中国政府が望むものを全て与えたわけではなかった。中国の利益にとって重要な港湾プロジェクトの規模を縮小したほか、その他の大規模計画も迅速に承認することはなかった。それでも、鉱山、エネルギー分野の小規模な投資は前進した。

 ヤンゴンにあるインスティテュート・フォー・ストラテジー・アンド・ポリシーの投資案件情報によれば、中国が支援するプロジェクトは少なくとも34件で240億ドル相当となっている。この中には、金鉱や水力発電の計画など、さまざまな段階の開発が含まれている。

 
昨年11月、スー・チー氏率いるNLDは総選挙で地滑り的勝利を収め、国軍が支持する野党は屈辱的敗北を喫した。国軍は選挙に不正があったと主張している。選挙後初めての国会が開催される予定だった1日、国軍はクーデターを起こした

 
ワシントンのシンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)のシニアフェロー、グレゴリー・ポーリング氏は、オバマ政権がミャンマーに開放策を継続させるためにとった促進策は正しかったと述べた。その上で、同氏は、当時の問題は、現在と同様、米政府の影響力が限定的にとどまっていることだと指摘した。

 ミャンマーの軍事政権から民主主義政権への体制移行と、脱中国一辺倒が10年前にあったことは諸兄がご承知の通りです。
 ミャンマー新政権は、軍政が中国政府と契約したダム建設を中止 - 遊爺雑記帳

 しかし、2月1日、ミャンマー国軍はクーデターで権力の座を奪い取り、アウン・サン・スー・チー国家顧問を含む民間人指導者らを拘束しました。

 米国は、ミャンマーへの対応を、民主主義と人権尊重を推進するための取り組みととらえていた。一方、中国政府の対応は、経済的・戦略的利益の実現に焦点を合わせたものだった。米中両国の違いはクーデターへの反応を見ても明らかだとWSJ。
 
 バイデン米大統領はミャンマー国軍に対し、権力の座を明け渡すよう圧力を掛けるとともに、制裁を科す可能性を示唆。
 独裁諸国に対抗するため世界の民主主義諸国を結集するという彼の公約の実効性を試すものとなると。
 米政府当局者らは、孤立した国をパートナーに変え、民主主義の得点を稼ぎ、中国の支配を弱めるための突破口になる場所だと考えている。

 中国は、すべての勢力が「相互の違いに適切に対処する」ことを期待するとして、控えめな反応。
 中国政府にとって隣国のミャンマーは、インド洋への戦略的玄関口を提供する国であり、このルートを、道路や鉄道を伴う、もっと広範囲な経済回廊に変えていきたいと考えている。

 元国務省高官でオバマ政権とトランプ政権でホワイトハウスのアジア専門家の役割を果たしたダニエル・ラッセル氏は、バイデン新政権のジレンマは2つあるのだと。
 その1つは、米国の制裁がビルマ軍にほんのわずかな影響しか与えないことだ。ビルマ軍は米単独の措置ではほとんど打撃を受けない。
 2つ目は、中国が同国に喜んで介入し、同国軍を支援するとみられることだと。

 軍が脱中国一辺倒から、2010年に部分的な民主化に向かったことで、中国政府は、スー・チー氏が政治的により有力な人物になろうとする中、新たな関係に向けた土台作りを始めたとWSJ。
 中国はミャンマーの政党員らを無料で中国に招待。2013年以降にミャンマーの政治家、宗教指導者、市民社会のメンバーやジャーナリストなど、少なくとも1000人が中国に招待されたのだそうです。
 スー・チー氏は国家顧問に就任後の2016年8月、初の外遊先として中国を訪問。このことは、西側の支援を受けた存在、あるいは西側のかいらいと中国が見なしていたNLDが西側に積極的に向かおうとしなかったのでした。

 ミャンマーが西側に門戸を開いたにもかかわらず、欧米企業の進出がそれほど進むことはなかったのでした。
 理由は、経済の改革ペースが遅く、厳しい規制環境があったこと、その後二つ目の理由として浮上したのは、同国の評価を危うくし、制裁の再適用につながる可能性のある。イスラム系少数民族ロヒンギャ問題の深刻化。
 中国は、ロヒンギャへの暴力的な扱いの停止を求める欧米諸国による国連安全保障理事会の決議案採択に向けた動きを阻止することで、ミャンマーの明確な擁護者となったのでした。
 昨年1月、中国の習近平国家主席がミャンマーを訪問、「中国・ミャンマー経済回廊」を積極的に推進するため、多数の合意文書に署名したのでした。

 ワシントンのシンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)のシニアフェロー、グレゴリー・ポーリング氏は、問題は、米政府の影響力が限定的にとどまっていることだと指摘しておられるのだそうです。
 
 WSJの社説も、米国の関与の不足を指摘しています。
 
【社説】ビルマ政変とバイデン氏の選択 - WSJ 2021年 2月 2日

<前略>
 トランプ前大統領の大国外交はともすれば雑な取引になりがちだった。一方、バイデン氏のチームは逆方向に大きく旋回しすぎ、米国の核心的利益を犠牲にしてもリベラルな価値観を強調する可能性がある

 
アジアにおける米国の優先課題はビルマのような独立国家に対する中国の支配力を制限することだ。同国はインド太平洋の戦略的な位置にある。中国はクーデターを非難するのを控えているが、恐らく軍事政権との外交ルートを築こうとする思惑があるのだろう

 欧米で
かつて人道主義の英雄とみなされたスー・チー氏は、イスラム系少数民族ロヒンギャへの自国政府の対応を巡り、自身のリベラルな強みの一部を犠牲にした。同氏は不幸にも、緊張をはらんだ民族政治に屈することになった。

 ビルマは民主主義と人権を巡る困難なジレンマを突き付けている。だが
同国がこれ以上中国の意向に沿うことになれば、米国の関与する余地は限られてくる。軍事クーデターへの米国の対応はアジアの戦略的状況を考慮しなければならない。そのためには道徳上の非難だけでなく、現実的な外交政策が必要となる

 スーチーさん側にも、中国への接近や、ロヒンギャ問題対応姿勢といった問題点を抱えています。
 バイデン新大統領が掲げる、独裁諸国に対抗するため世界の民主主義諸国を結集するという公約。早速の現場に直面してのお手並み拝見ですね。



 # 冒頭の画像は、アウン・サン・スー・チー国家顧問と中国の習近平国家主席(2016年8月、北京)




  この花の名前は、ザゼンソウ

 
2月 7日は、北方領土の日


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