6月2日午後2時、名古屋市のホテルで高須克弥氏や百田尚樹氏らが会見し、大村秀章愛知県知事のリコール運動を始めることが発表された。
昨年の「あいちトリエンナーレ」の中の「表現の不自由展・その後」の内容の作品などが問題となり、これに税金が投入されたことに対して、高須氏が「我々の税金が使われるのは許さない」と異議を申し立てた。
しかし、翌3日付の東京紙面では、産経のみ〈愛知知事解職へ運動 高須院長「支持できぬ」〉という記事が掲載されたものの、他紙は完全無視した。
「あいちトリエンナーレ」の展示については、新聞は展示されていた少女像のみを取り上げ、同展に非難が殺到したのは、一部の右翼や反韓勢力が「少女像の展示に反発して起こったものだ」と印象操作する報道をくり返してきた。
しかし、実際には、昭和天皇の肖像がバーナーで焼かれ、足で踏みつけられたり、戦死した先人を揶揄(やゆ)し、冒涜(ぼうとく)するお墓の作品などが問題となり、日本に対するヘイト作品群に税金が投入されたことが問題になっていた。
日本への度を越えたヘイト作品群であることを隠すため、各紙は申し合わせたように「少女像の展示に批判が殺到」と報じ、問題を矮小化していたと門田氏。
そして今回はリコール運動自体を黙殺した。新聞は「報道しない自由」を行使したと。
“真実はネットから”という意識が国民に定着。自らの主義・主張に都合のいい記事しか出ない新聞は見捨てられ、部数は激減の一途を辿(たど)っていると門田氏。
私は高須氏らの会見を見ながら、これを報じるか否かで新聞にまだ「明日」があるかどうかが分かるなあ、などと漠然と考えていた。結果は前述のとおり、産経以外は報じなかったと。
長い間、情報を独占し、自分の主張に沿って都合よくこれを加工して大衆に下げ渡してきた新聞。
いまだ改革できない組織。やはり新聞は「消え去る」しかないのだろうかと門田氏。
新聞はあくまで、中立の立場での報道から逸脱してはならないのが原則。しかし、各社が独自の考えを主張し自由に報道し、読者がそれを自由に選択して読む世界もある。
どちらを選ぶかは、読者が決めること。
かつて、情報の入手ルートが、大手メディアに独占されていた時代は、世論を大手メディアが洗脳・リードすることが出来た。
戦前・戦中、戦後もごく近年まで、そうだった。
二大政党による政治体制が必要との金看板で、大手メディアが風を吹かせ、世論誘導に成功し、旧民主党政権を誕生させた。
掛け声に乗せられて、内容や実力を吟味できなかった人々によって、政策より政局優先の烏合の衆の旧民主党政権が誕生してしまった。
しかし、多くの人々が、政策が薄っぺらいポピュリズムで、日本を沈没させかけたことに気づき、政権を交代させて自民党に戻した。
政局優先の烏合の衆の集団の旧民主党は、分裂・野合を繰り返し、今や野党は、世論調査の支持率が 1桁しか得られない些末政党ばかり。
ネット社会となり、情報入手ルートが多様化し、多面的に情報を入手できるようになった国民は、報道しない自由を駆使するメディアの正体を見破ることが出来る様になり、“真実はネットから”という意識が国民に定着。
あるいは、多種多様な情報を入手、比較検討し、信頼できる情報はどれかを選択できるようにリテラシィが高まっている。
読者が変化しているのに、いまだに報道しない自由が通用すると思っている新聞やテレビ報道(まだ通用していることも少なくないが。直近の例=朝日新聞が仕掛けたとされる「#検察庁法改正案に抗議します」ツイート騒動)。
いまだ改革できない、オールド偏向メディア組織の新聞。消え去るか、特定読者層に特化して細々と生き延びるしかない時代になりつつありますね。
# 冒頭の画像は、大村秀章愛知県知事の解職請求運動開始についての記者会見で写真撮影に応じる、美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長等
この花の名前は、オドリコソウ
↓よろしかったら、お願いします。
昨年の「あいちトリエンナーレ」の中の「表現の不自由展・その後」の内容の作品などが問題となり、これに税金が投入されたことに対して、高須氏が「我々の税金が使われるのは許さない」と異議を申し立てた。
しかし、翌3日付の東京紙面では、産経のみ〈愛知知事解職へ運動 高須院長「支持できぬ」〉という記事が掲載されたものの、他紙は完全無視した。
【新聞に喝!】真実を「書かなくて済む」時代は終わった 作家・ジャーナリスト・門田隆将 - 産経ニュース 2020.6.7
6月2日午後2時、名古屋市のホテルで高須克弥氏や百田尚樹氏らが会見し、大村秀章愛知県知事のリコール運動を始めることが発表された。
昨年の「あいちトリエンナーレ」の中の「表現の不自由展・その後」で昭和天皇の肖像がバーナーで焼かれ、足で踏みつけられたり、戦死した先人を揶揄(やゆ)し、冒涜(ぼうとく)するお墓の作品などが問題となり、これに税金が投入されたことに対して、高須氏が「我々(われわれ)の税金が使われるのは許さない」と異議を申し立てたのだ。
会見は2時間もつづき、地元記者との質疑もあった。だが翌3日付の東京紙面では、産経のみ〈愛知知事解職へ運動 高須院長「支持できぬ」〉という記事が掲載されたものの、他紙は完全無視した。
私はこの問題を昨年から事(こと)あるごとに取り上げてきた。新聞は展示されていた少女像のみを取り上げ、同展に非難が殺到したのは、一部の右翼や反韓勢力が「少女像の展示に反発して起こったものだ」と印象操作する報道をくり返してきたからだ。
しかし、実際には先に挙げたものをはじめ、日本に対するヘイト作品群に税金が投入されたことが問題になっていた。私自身は開会直後に観覧していたので、マスコミがなぜ隠蔽(いんぺい)するのかも分かった。一部の右翼によって表現の自由が日本では侵されていると報じたいのである。そのためには、日本への度を越えたヘイト作品群であることは隠さなければならなかったのだ。
各紙は申し合わせたように「少女像の展示に批判が殺到」と報じ、問題を矮小化(わいしょうか)した。そして今回はリコール運動自体を黙殺したのだ。この運動に対して大阪の吉村洋文知事や名古屋の河村たかし市長まで賛意を表明するなど、ニュース性は高い。それでも新聞は「報道しない自由」を行使したのである。
かくして“真実はネットから”という意識が国民に定着した。自らの主義・主張に都合のいい記事しか出ない新聞は見捨てられ、部数は激減の一途を辿(たど)っている。
私は高須氏らの会見を見ながら、これを報じるか否かで新聞にまだ「明日」があるかどうかが分かるなあ、などと漠然と考えていた。結果は前述のとおり、産経以外は報じなかったのである。
長い間、情報を独占し、自分の主張に沿って都合よくこれを加工して大衆に下げ渡してきた新聞。もう「真実を書かなくてもいい時代」はとっくに終わっているのに、いまだ改革できない組織。やはり新聞は「消え去る」しかないのだろうか。
◇
【プロフィル】門田隆将
かどた・りゅうしょう 作家・ジャーナリスト。昭和33年、高知県出身。中央大法卒。新刊は『新聞という病』。
6月2日午後2時、名古屋市のホテルで高須克弥氏や百田尚樹氏らが会見し、大村秀章愛知県知事のリコール運動を始めることが発表された。
昨年の「あいちトリエンナーレ」の中の「表現の不自由展・その後」で昭和天皇の肖像がバーナーで焼かれ、足で踏みつけられたり、戦死した先人を揶揄(やゆ)し、冒涜(ぼうとく)するお墓の作品などが問題となり、これに税金が投入されたことに対して、高須氏が「我々(われわれ)の税金が使われるのは許さない」と異議を申し立てたのだ。
会見は2時間もつづき、地元記者との質疑もあった。だが翌3日付の東京紙面では、産経のみ〈愛知知事解職へ運動 高須院長「支持できぬ」〉という記事が掲載されたものの、他紙は完全無視した。
私はこの問題を昨年から事(こと)あるごとに取り上げてきた。新聞は展示されていた少女像のみを取り上げ、同展に非難が殺到したのは、一部の右翼や反韓勢力が「少女像の展示に反発して起こったものだ」と印象操作する報道をくり返してきたからだ。
しかし、実際には先に挙げたものをはじめ、日本に対するヘイト作品群に税金が投入されたことが問題になっていた。私自身は開会直後に観覧していたので、マスコミがなぜ隠蔽(いんぺい)するのかも分かった。一部の右翼によって表現の自由が日本では侵されていると報じたいのである。そのためには、日本への度を越えたヘイト作品群であることは隠さなければならなかったのだ。
各紙は申し合わせたように「少女像の展示に批判が殺到」と報じ、問題を矮小化(わいしょうか)した。そして今回はリコール運動自体を黙殺したのだ。この運動に対して大阪の吉村洋文知事や名古屋の河村たかし市長まで賛意を表明するなど、ニュース性は高い。それでも新聞は「報道しない自由」を行使したのである。
かくして“真実はネットから”という意識が国民に定着した。自らの主義・主張に都合のいい記事しか出ない新聞は見捨てられ、部数は激減の一途を辿(たど)っている。
私は高須氏らの会見を見ながら、これを報じるか否かで新聞にまだ「明日」があるかどうかが分かるなあ、などと漠然と考えていた。結果は前述のとおり、産経以外は報じなかったのである。
長い間、情報を独占し、自分の主張に沿って都合よくこれを加工して大衆に下げ渡してきた新聞。もう「真実を書かなくてもいい時代」はとっくに終わっているのに、いまだ改革できない組織。やはり新聞は「消え去る」しかないのだろうか。
◇
【プロフィル】門田隆将
かどた・りゅうしょう 作家・ジャーナリスト。昭和33年、高知県出身。中央大法卒。新刊は『新聞という病』。
「あいちトリエンナーレ」の展示については、新聞は展示されていた少女像のみを取り上げ、同展に非難が殺到したのは、一部の右翼や反韓勢力が「少女像の展示に反発して起こったものだ」と印象操作する報道をくり返してきた。
しかし、実際には、昭和天皇の肖像がバーナーで焼かれ、足で踏みつけられたり、戦死した先人を揶揄(やゆ)し、冒涜(ぼうとく)するお墓の作品などが問題となり、日本に対するヘイト作品群に税金が投入されたことが問題になっていた。
日本への度を越えたヘイト作品群であることを隠すため、各紙は申し合わせたように「少女像の展示に批判が殺到」と報じ、問題を矮小化していたと門田氏。
そして今回はリコール運動自体を黙殺した。新聞は「報道しない自由」を行使したと。
“真実はネットから”という意識が国民に定着。自らの主義・主張に都合のいい記事しか出ない新聞は見捨てられ、部数は激減の一途を辿(たど)っていると門田氏。
私は高須氏らの会見を見ながら、これを報じるか否かで新聞にまだ「明日」があるかどうかが分かるなあ、などと漠然と考えていた。結果は前述のとおり、産経以外は報じなかったと。
長い間、情報を独占し、自分の主張に沿って都合よくこれを加工して大衆に下げ渡してきた新聞。
いまだ改革できない組織。やはり新聞は「消え去る」しかないのだろうかと門田氏。
新聞はあくまで、中立の立場での報道から逸脱してはならないのが原則。しかし、各社が独自の考えを主張し自由に報道し、読者がそれを自由に選択して読む世界もある。
どちらを選ぶかは、読者が決めること。
かつて、情報の入手ルートが、大手メディアに独占されていた時代は、世論を大手メディアが洗脳・リードすることが出来た。
戦前・戦中、戦後もごく近年まで、そうだった。
二大政党による政治体制が必要との金看板で、大手メディアが風を吹かせ、世論誘導に成功し、旧民主党政権を誕生させた。
掛け声に乗せられて、内容や実力を吟味できなかった人々によって、政策より政局優先の烏合の衆の旧民主党政権が誕生してしまった。
しかし、多くの人々が、政策が薄っぺらいポピュリズムで、日本を沈没させかけたことに気づき、政権を交代させて自民党に戻した。
政局優先の烏合の衆の集団の旧民主党は、分裂・野合を繰り返し、今や野党は、世論調査の支持率が 1桁しか得られない些末政党ばかり。
ネット社会となり、情報入手ルートが多様化し、多面的に情報を入手できるようになった国民は、報道しない自由を駆使するメディアの正体を見破ることが出来る様になり、“真実はネットから”という意識が国民に定着。
あるいは、多種多様な情報を入手、比較検討し、信頼できる情報はどれかを選択できるようにリテラシィが高まっている。
読者が変化しているのに、いまだに報道しない自由が通用すると思っている新聞やテレビ報道(まだ通用していることも少なくないが。直近の例=朝日新聞が仕掛けたとされる「#検察庁法改正案に抗議します」ツイート騒動)。
いまだ改革できない、オールド偏向メディア組織の新聞。消え去るか、特定読者層に特化して細々と生き延びるしかない時代になりつつありますね。
# 冒頭の画像は、大村秀章愛知県知事の解職請求運動開始についての記者会見で写真撮影に応じる、美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長等
この花の名前は、オドリコソウ
↓よろしかったら、お願いします。
自治体は、首長と議会の二本立てです。自治体運営にとって、最も強烈なインパクトを与える出来事は、報道でも、署名でもなく、首長と議会との「ズレ」です(ちなみに、名古屋市は「ズレ」経験済み)。
https://blog.goo.ne.jp/hakusou_onlinechecker/e/6865ff8d3cc5c26dbb52d58fcb29c7d1
https://blog.goo.ne.jp/hakusou_onlinechecker/e/dc0a12c956b64266bc7da0aca774b780