絵入り随筆 エッセィ・つぶやき

自作の油絵・水彩画、デジタル写真等を入れて、季節の移ろい、雑感などを書いていきます。

小山宿 ② 小山製材店

2008-05-18 00:12:52 | 絵画
古い母屋にちょっとしゃれた感じの歌舞伎門が付いています。材木屋さんだから部材には凝ったものが使われているのでしょう。
小山という街は小山遊園地のTVコマーシャルでご存じの方が多いと思いますが、近くに行っても遊園地が何処にあるのか分かりません。大きな観覧車とかジェットコースターはないのかも知れないです。或いはディズニーランドに客を奪われて廃業したのかも知れません。最近♪オヤマユーエンチ!のコマーシャルソングを耳にしませんから。
私が子供の頃連れていって貰ったのは花月園という遊園地でした。花月園は今では競輪場で名が通って居ますが遊園地は未だあるのでしょうか?
私が好きな遊園地はディズニーではなく浅草の花屋敷です。古くて狭い遊園地ですが、此処のジェットコースターはスリル満点です。宙返りも捻り回転もないですが、細い鉄骨に支えられた錆の浮いた線路を走るコースターは今にも分解するか脱線するかという危なっかしさが肝を冷やしてくれるのです。
お化け屋敷もあって、まさに古き良き浅草の匂いに満ちています。
材木屋の話から脱線しました。こちらの脱線なら怪我人は出ませんね。

小山宿 ① 和菓子店

2008-05-17 01:09:37 | 絵画
野木宿、間々田宿には歴史ある建物は見あたりませんでした。
小山宿にはこの和菓子店を皮切りに3軒探し当てました。
小山駅から50m程の距離に旧日光街道が通っています。その直ぐ左側にこの店があります。
和菓子店は隣に石造りの蔵を従えて盛業中でした。
緑・黄・紫の幟旗が鮮やかにはためいています。この色遣いはよく目立ちますが、どぎつい感じは無く爽やかな印象でした。
美味しい和菓子が食べられそうな予感を与えてくれます。甘いものが好きな人ならつい誘い込まれてしまうのではないではないでしょうか?
甘いものは滅多に食べない私には「猫に小判」(暖簾に腕押し、の方が適当な表現でしょうか?)ですが、、、、

古河宿 ⑫ 鷹見泉石記念館

2008-05-16 00:09:27 | 絵画
記念館は本シリーズ唯一の藁葺き屋根でした。内部も見に行きたいと思いましたが、建物の写生が目的の旅でしたので時間とお金を節約してパスしました。
入館料は400円ですから私にも払えない額ではなかったのですが・・・・
上級武士の屋敷ですからかなり凝ったものだろうと思います。

引用で手抜きですが、展示室をご紹介しておきます。

展示室1(鷹見泉石と洋学)
古河藩家老・鷹見泉石は蘭学者としても名高く、その研学の多様さには目をみはるものがあります。
そうした泉石の各種語学や地理学・幕政・藩政などの業績を展示しています。
展示室2(古河の歴史)
歴史のまち古河を概観できる中央展示、時代の特色を主題別にわけた側面展示の二つで構成されており、原始・古代・中世・近世・近代と各時代の古河の特色が通観できます。
展示室3(古河の文人たち)
江戸時代から明治大正にかけて古河の歴史を彩った文人たちの業績を紹介しています。
代表的なところでは、最後の南画家として知られる奥原晴湖、江戸で活躍した河鍋暁斎などがあげられます。

*引用先URL
http://burari2161.fc2web.com/takamisensekikinenkan.htm

古河宿 ⑪ 鷹見泉石記念館長屋門

2008-05-15 00:04:46 | 絵画
この記念館のある辺りは嘗ては武家屋敷が並んでいたところで現在も記念館の他に博物館などもあり一帯は閑静な環境で江戸時代にタイムスリップした気分になります。
記念館のHPに依れば
「鷹見泉石記念館は古河藩が藩士たちのために用意した武家屋敷の一つで、隠居後もっぱら蘭学にいそしんだ鷹見泉石が最晩年を送った家でした。
建物は寛永10年(1633)古河城主土井利勝が、古河城の御三階櫓を造ったときの残り材を使って建てたと伝えられ、もとの建坪は100坪もあり(現在の2倍以上)、屋敷全体は東西に長い他に比べて一段と広大な(現在の4倍以上)ものでした。」
ということですが、長屋門を見ても衛士の詰める部屋が数部屋もある壮大なものですから母屋はさぞやと思われます。
詳細を見たい方は下記URLを開いて下さい。
http://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/rekihaku/kinenkan%20html/kinenkan.htm

古河宿 ⑩ 不動産屋

2008-05-14 08:01:56 | 絵画
この不動産屋さんも宿場内にありました。
不動産屋の別名は「千三つ屋」と言われているほど信用度の低い業種でした。
つまり、不動産屋の話には、0.3%しか本当のことがないということなのですが、こうゆうドッシリした店構えのお店なら、客も信用して居られるのではないでしょうか?
近頃は公取委の目が光っていて、チラシも文言にもいろいろと制約があるらしいですから利用者は以前ほど眉毛に唾を付けなくても良いようです。
千三つ屋の語源にはもう一説あって、1000件商談があっても、成約に至るのは3件しかない、というものです。これもしんどい話ですね。

古河宿 ⑨ 手作り味噌屋

2008-05-13 17:42:24 | 絵画
手作りの味噌を売っている店です。
味噌も醤油も第二次大戦中の食糧不足と人手不足(男手は兵隊に取られていたから)をカバーするため、お上のお墨付きで促成醸造が行われ、それが未だに踏襲されていて、味噌も醤油も数ヶ月で出来るものが売られていますが、この店の味噌はどうなんでしょう?一年かけてゆっくり発酵させ、その後2年か3年熟成させた本物を売っているような気がします。
この家を描いて左部分を少しカットしたのは、ものぐさで省いたわけではありません。左部分を全部か描くと強調したい暖簾部分が右端になってしまうから全体の印象が暈けてくるのを避けたかったのです。
今こうしてブログに載せてみると、もう少し左も描いた方が良かったかと思います。

古河宿 ⑧ 新旧取り混ぜた家

2008-05-12 07:54:33 | 絵画
この家は改築を重ねて来た家のようです。
本体はしっかり作られた木造建築ですが、右の部分は防火壁様の煉瓦造りになっています。
正面部分は開放された店舗様式ではなく腰壁と窓で道路から区画された住居か事務所風になっていてアルミのサッシに取り替えられています。
二階部分は板羽目なのに一階の腰壁部分だけは板羽目ではなく石壁です。
今まで描いてきた家とはまるで違う形です。
改築された時々の様々な建築資材が巧に取り入れられて、面白い建物になっています。
左に見える小旗は古河宿の古い建物であるという表示です。

古河宿 ⑦ 幟を立てた薬屋

2008-05-11 22:40:40 | 絵画
この薬屋さんは古河市指定の旧宿場エリアにあります。大衆薬の宣伝幟を立てて懸命にアピールしている様は歴史ある建物にはそぐわない感じもしますが、今流行の大型ドラッグストアーに精一杯対抗している店主の心意気が伝わってきます。
建物は表戸をアルミサッシに変えている以外は昔のままで風格のあるお店です。
この薬屋さんなら、ただ薬を売るだけではなく、客の相談に乗って身体の症状に合わせた最適薬を売ってくれそうな信頼感があります。

古河宿 ⑥ 棟続きの家

2008-05-10 00:00:51 | 絵画
この家も棟続きですが、鍵の手ではなく並んでいます。屋根の作りから別棟だったのを後から繋げた感じです。隣の家を買い取って使い勝手の良いように繋げたのではないかと思います。左側の家の二階は背が低く窓も小さなのが1個あるだけです。何故わざわざ軒高を低くしたのか不思議です。右側の二階部分と比べると大人と子供の背ほども違います。
昔、西洋の王様が窓の大きさで税金を決めたから、庶民は窓を小さく作って節税したと言う話を聞いたことがありますが、古河の殿様も軒の高さで税金を取ったのかも知れないな?なんて考えてしまいました。軒を低くしても柱の長さの規格は決まっているから建築費は安くはならないので、軒を低く作る理由が私には考えつかないのです。
屋根から草が生えているのも気になります。屋上緑化でないことは確かですからね。

古河宿 ⑤ 松とポストのある黒い家

2008-05-09 04:19:56 | 絵画
黒板塀に見越しの松なら「お富さん・切られの与三郎」の世界ですが、この家は黒い漆喰の塗られた蔵作りです。
松の緑とポストの赤、黒壁の色彩の対比が見事な調和を見せています。
ポストが昔の丸形タイプなのも素晴らしいです。
看板もなく表戸も閉ざされているから何の店なのか分からないのが残念です。いつか店の開いているときにもう一度描きに来たいものです。
こんな佇まいのものがさりげなく存在する街が未だ残っているなんて本当に嬉しいことです。大切にして行きたいです。

古河宿 ④ 緑の縞暖簾の家

2008-05-08 01:50:27 | 絵画
緑と白の縞模様に赤が入ればイタリア国旗です。暖簾の色は紺・紫・等ですと和風の感じですが、緑となるとどうしてもイタリアンですね。
この店は表戸にもショウインドにもベタベタと張り紙がしてあります。それでも足りずに煉瓦の壁部分にまで何か貼っています。お店の扱い商品は化粧品をメインにしているようですから、品良く飾る方が客の心を捉えられると思うのですが、経営者は張り紙でアピールしたいようです。
実用品の売り場なら泥臭く張り紙するのも効果があると思いますが、化粧品は夢を売る商売です。これを使えば美しくなれると錯覚を誘う商売なんですから、品良く行くのが良いのではないかな?なんて考えました。
女心を捉えるのは不得意な私の言うことですから当てにはなりませんが・・・

古河宿 ③ 稲荷神社隣の蔵

2008-05-07 00:08:28 | 絵画
鍵の手の家近くに稲荷神社があり参堂に接して重厚な造りの蔵がありました。
蔵の前にあった家は改築されていて新しい物になってしまっているから私の絵心をそそられませんが蔵の方は良い面構えなので描いてみました。
稲荷神社の赤い鳥居とのコントラストも面白いと思いました。
蔵の手前にある家の羽目板も渋板の横張りになっていて関東地方特有の作りです。
関西の羽目板は縦張りが多く関東とは違う面白い対比になっています。近頃ではこういう地域による建築様式の違いが無くなってきています。
大手メーカーによる大量生産のプレハブ住宅の普及と、それらのデザインに影響され注文住宅までが似通った形になってしまったのが原因だろうと考えられます。

古河宿 ② 大谷石と煉瓦の家

2008-05-06 00:11:52 | 絵画



この家は母屋と倉庫は大谷石で、物置と塀は煉瓦で作られています。
角店でかなり大きな敷地です。
現在は燃料をメインに扱っているようですが、この立派な構えからして以前は手広く大きな商いをしていたのでしょう。
此処も市指定の宿場とは離れていますが、古河の町自体が宿場としての機能以外に政治と商業の中心としての働きも併せ持っていて繁栄していたのだと思われます。
古河藩の城下町として政治経済の中枢であった時代もありますから、その名残が今も色濃く残されています。

古河宿 ① 棟続きの家

2008-05-05 00:36:04 | 絵画
埼玉県の栗橋宿から利根川を渡ると茨城県に入ります。栗橋宿の対岸にあった中田宿には古い建物を見つけることが出来ませんでした。
利根川に橋が架かって渡し場としての役割が終わったことで、中田宿は寂れてしまったのでしょう。
次の古河宿にはかなり多くの建物が残っています。古河市が指定してる宿場跡の他にも由緒ありそうな建物がありました。
市の指定外とは言ってもこれらを描かないのでは、せっかく保存してきた方々に申し訳ないと思い、描かせて頂きました。
前置きが長くなりましたが、この家も宿場指定区域外の建物です。鍵の手に二棟の家屋が繋がっています。どちらの棟も前面を改装してお店になっていますが、屋根の部分には往時の面影が残っています。かなり大きな商家だったのでしょう。
勝手口の窓越しに若い女性がなにやら話し込んでいました。
女性の登場と鍵の手になっているという事で古河宿のトップに座って貰いました。
下の絵は同じ家屋を角度を変えて描いたものです。


栗橋宿 ⑤ 屋根の破れた家

2008-05-04 00:02:27 | 絵画
この家は屋根が破れていて、ブルーシートで応急手当がなされています。
間口は10間近くあり今まで見た街道筋の家では最大級の大きさです。
残念なことに痛み方も最大級で、屋根の瓦が外れるほどの痛手ですから下見板から垂木、屋台骨である棟木まで腐食が進んでいると思われます。
戸が開いていたので中を覗かせて貰いました。広い土間にも上がり框にも何も置いておらず、がらんどうでした。物置の用もなさない状態のようです。
家人はこの家の裏側に今様の住宅を造ってお住まいのようです。
この家の持ち主は、壊すのは忍びない、さりとて補修する程の意欲も無い、とりあえずブルーシートで応急の手当てはしておこう、といったお気持ちなのでしょう。
個人の力でこれだけの大きさの建物を維持してゆくのは困難であることは分かります。修理に金をかけても持ち主にとっては何のメリットもないのですからね。
祖先から受け継いだ文化財を守り通す、という矜持だけでは維持管理は出来ません。一度失ったら取り返しの付かないこれらの文化財を守り通すには、国のしっかりした支援体制を確立することが急務です。