もう何回も書いていることなんですが。
あなたの世界は あなたの意識の投影、あなたの思いが創っています。
だから、否定的なことを考えるのはおやめなさい。
自分に制限を設けるのもおやめなさい。
明るい氣持ちでいなさい。
前向きでいなさい。
はい、ほんとうにそのとおりだと思います。
だから アドバイスにぜひとも従いたい。
従いたいんですが、どうもうまくいかないんです。
心が、感情が、言うことを聞いてくれません・・・・自分のものだというのに (T_T)
ここ数年の私の悩みは、煎じ詰めれば これに尽きました。
感情をコントロールできない。
欲しくない感情に捕まっては振り回されるばかり。
時にうんざりし 時に絶望しながら、この問題に取り組んでどれほど経ったことか。。。よくあきらめなかったものだなぁ。。。あきらめなくてほんとうによかったよ♪
これまで自分そのものと思い込んでいた ネガティブな感情が、きっかけひとつで自動的に立ち上がるクセ付けを ついに解かれました。
まだ現われはするけれど、それを選ぶ選ばないの選択は 自由意志でできるように (^^)v
半世紀 息も絶え絶えに乗り続けるしかなかったロデオの荒馬から、とうとう降りることができたのです。
・・・と こんなふうにきっぱりと言い切ると、すぐ「でもまたクセが戻るかもしれないよ」とささやく声が追いかけてくる。
これは以前と同じ。
でも、今の私は自信を持って言うことができます。
「いや、もう戻らない。私がそう決めたから」
クセが私をコントロールしていた頃は、私に選択の自由はありませんでした。
人生とは理不尽で抗えないもの、次に何が起こるのかとびくびくしながら従うしかないものだと思い込んでいたのです。
でも、クセが消えて たづなを取り戻してみると、世界観がおのずと大きく変りました。
これまで外側からずっと言い続けてきたこと、「すべて自分が創っている」が、いまや実感として内側から口をついて出るようになったのです。
人生は 自分の思いどおりに創られる。
私が「過去のネガには戻らない」と決めれば戻らない。
怖氣づいて 再び不安にたづなを渡せば、戻る。
どちらでも好きなように選べる、選ぶ。
私の意に染まないことなど 起こりようがない。
これを「私の現実だ」と自信を持って言えるようになったのです。
見える景色はこれまでと同じ。
でも、それを映す自分の意識が変ると、世界がこうまで変るものなのか、と知りました。
もしかすると、今いるのは 同じように見えて 道1本別の方向に曲がったところの パラレルワールドなのかもしれない。
今まで現実と思い込んでいたものは、実は夢の世界だったのかもしれない。
映画「マトリックス」や「インセプション」を地でいくような話です(笑)
ここ数日 そんな世界を生きています。
これを“解放”と呼んでもいいのでしょう。
とりわけ大きく変わったのは、夢の中と起き抜けの意識。
目覚めている間は かなり安定した感情を保てるようになってからも、この二つは 心が無防備になりやすいのか、過去の枠組みに引き戻されることが多かったのです。
でも、もう以前の私とは違うのだ、と ふと思いついて、寝る直前に 布団の中で「悪夢はもう過去のものとなりました。夢の中であれ 置き抜けであれ、二度と戻ることはありません」と宣言してから眠りにつくようにしてみたら、自分でも驚くほどぴたりと止みました。
そうしたら、以前よく見たのとそっくりのシチュエーションの夢から すごく大きな氣づきを受け取れるようになったのです。
それは、以前だったら確実に「悪夢」と分類されていたであろう、今でもあまり楽しいとはいえない夢なのですが、不安や侘しさ、心細さなどで色づけされていないため、目が覚めるなり慌てて払いのけることなく吟味でき、そのおかげでメッセージに氣づけたのだと思います。
また、目覚めてすぐというのは、これまでも一番冴えたひらめきが起こりやすい時間帯だったのですが、加えて ネガな氣分に絡め取られることがなくなったので、さえぎるものなくダイレクトに メッセージを受け取り 意味を読み取れるようになったのでしょう。
半覚半睡の中 びっくりするほどの鋭さ鮮やかさで インスピレーションが次々湧き起こり、むしろはっきり目覚めてから「忘れないうちにメモしなきゃ」と慌てるぐらい。
おかげで、これまで無自覚に直視することを避けていたらしい思考癖を 抗うことなく氣づかせてもらい、ますます前向きな変化が加速しそうな流れに。
今はまだ 変化の真っ最中で、あまりにも近過ぎるので、こんな調子で 近視眼的な途中経過しか ご報告できません。
もっと大きな絵が見渡せるようになり、この体験全体の意味がわかってくるのは、もうしばらく経ってからのことだと思います。
それでも敢えてこんなブログを書かせていただいたのは、「自分をよく見つめる = からだの感覚を観察する」というのが 私の場合 とても効果的だったことを、一刻も早くお知らせしたかったから。
ここに書いたことは、あくまでも私個人の体験であり 答えであって、そのすべてが誰にでも当てはまるというものではないでしょう。
ただ、感情ではなく そのおおもとである「からだの感覚」を追うことで 大きな変化を遂げたという情報は、手がかりになる方もおられるかもしれない。
そんな思いプラス、私自身 ここから先どんなことになるのか 見当もつかないのですが、真逆に戻ることはまずあるまいという手応えを感じつつ、アップさせてもらいました。
またまた長文にお付き合い下さり、ほんとうにありがとうございます。