毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

映画「インセプション」考

2013年12月16日 11時22分22秒 | 大好きな本・映画・ほか


2010年に日本でも公開された、クリストファー・ノーラン監督、レオナルド・ディカプリオ主演の映画「インセプション」。

あちこちの映画レビューサイトやブログなどでも話題となり、ずっと氣になっていましたが、翌2011年の10月だったかな?たまたま行ったスーパーで 信じられないような安値(はっきり覚えてないけど、三桁の金額だったのは確か)でDVDが売られているのを発見、即買いして以来、50~60回は軽く見てると思います。

ブログでも以前一度取り上げたことがあったはずだけど、見るたびに そのときの自分の心の状態に応じて なにかしら感じるものがあって、一度見始めると ついつい連日繰り返して見てしまう、不思議な映画。



このところ 心の変化が早いせいか、少し前の記憶もあやふやなのですが、たしか先日風邪を引いておとなしくしていた頃に ふとまた思い出して見始めたんだったかと。

で、例によって数日見続けたところで、どこかのブログで 「映画 『インセプション』 は、公開されているストーリー以上に深く示唆しているものがある」的な内容の文章を見かけて、そのころの精神状態とも相まって 響くものがあり、さらに意識して見続けるようになった。。。というような流れだったと思います。



ここから先、映画内容にどうしても触れることになるので、ネタばれは読みたくないよ、という方は、ここまでにしておいてくださいね。











* * * * * * * * * * *














主人公ドム・コブ(レオナルド・ディカプリオ)は、ターゲットの夢の中に入り込んで 潜在意識から秘密を盗み出す 特殊な産業スパイということで、夢の中の話がたびたび出てきます。

その中で、「夢の中では 死ぬと目覚める」っていうルールみたいなのがあるんだけれど。

ここでふと思い出したんですね。

この世界で 私たちが死んだ後どうなるかについて、死んだことがある人・・・って妙な表現だけれど、実際に死を体験してまた戻ってきた人の話を聞いたときのことを。

ご存知の方もおられるかと思いますが、立花隆さんの「臨死体験」や 映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」の監督・龍村仁さんの「地球(ガイア)のささやき」などでも取り上げられている、彗星捜索家の木内鶴彦さん。

医師によっていったん死亡が確認されてのち 30分後に蘇生したことが 医学的記録に残されている、国内で唯一のケースとして知られています。

この方の講演を数回にわたって聴いたことがありますが、臨終のとき 自分の心臓が「あ、止まった」とはっきりわかったのだそうです。

で、「あれ?じゃあ 『止まった』 と思ってる この自分って?」って。

そして氣がついたら、病室のベッドのそばで 自分の亡骸を見つめていた、と。

足元にぼう然と立ち尽くすお父さんには、この「からだから抜け出した自分」は まったく見えも聞こえもしなかったそうです。



死後のことは、少なくとも今のこの生ではまだ未体験だし、実際そうなってみるまで ほんとうのところはわからないのだけれど。

私は、この木内さんのお話を「あり」だと思っています。

さらに、前から言わせて頂いているように、本来“大いなるひとつ”である自分の素晴らしさを 体験的に知るために、細かく分けられて この世に生まれてきたひとかけらが 今のこのからだをまとう自分である、とも思っている。

となると。

死んだ後、それまでの肉体から抜け出て「あれ?」と思ってるって。。。映画の「死んで夢から覚める」っていうのと同じようなものじゃない?

つまり、魂の見地からすれば、今の私たちの世界が 夢の世界なのだと。

「死ぬ」っていうのは、夢から覚めて 本来の自分の意識に戻るようなものなのだと。



「インセプション」では、夢の中で それが夢であることに氣づいていれば、自由に動けるんですね。

覚めた意識を保ったまま他人の夢に入り込む「設計士」は、相手の夢を乗っ取って 自分の好きな世界を自在に創れるし、同じくコブたち他のメンバーも 夢の中で 覚醒時の計画通りに任務を遂行できる。

逆にコブたちが ターゲットに夢の中であることを氣づかれると、エクストラクト(アイデアの抜き取り)を防がれて 仕事が完遂できなくなってしまう。

これを 「今の私たちの世界 = 夢」という設定に当てはめると、夢、つまりこの三次元世界が 現実でありすべてであると思い込んでいる限り、その状況に流されるしかないけれど、自分が今いるのは自分の意識が創り出している(夢の)世界だとわかっていれば、いくらでも好きなように創り変えることができるよ、っていう話になるんじゃない?

日頃思ってることとぴったり~\(^o^)/



となると、映画のラストで コマが倒れたか倒れなかったかはっきりしないまま終わるのは、現実もまた夢たりうる、ということで、どっちみち夢の中、という見方もあるのだから、倒れようと倒れまいとどちらでもいい、という解釈もできるのかな、と。



この 自分の世界観との重なり具合にすっかり面白くなり、ますます興味が増してきて、それ以来 メモと鉛筆を用意して 思いつくことを片っ端から書き留めながら、さらに繰り返し見ていったわけです。

そうしたら。




また長くなっちゃった・・・・すみません、 次回に続きます m(__)m