毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

久々。。。パニックしちゃった(^^ゞ

2015年01月20日 13時25分29秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


先週金曜日、ふとしたきっかけで 久々に恐れの渦に巻き込まれてしまいました

ちょっとやそっとでは立て直しが効かないほどのパニック状態って 久しぶりだ~・・・・って いや~、あれは何度味わってもキツイわ (T_T)

何よりも、もうそういうのは卒業できたのかって思ってたから、「ええ~?また~!?」 って かなりショックで。




でも、考えたら当たり前だよね。

脳の回路自体がなくなったわけじゃないんだから。

ただ、ここしばらく そこに情報が通るようなきっかけに引っかからずにいられたというだけで(それもおおいに進歩だと思うけれど、ね)。

そして、そこで 「これもまた どこまで感覚感じられるか やってみっか☆」 と思えたのは、今の自分ならでは。




しかし、パニクりながら 感覚に集中するというのは とても難しいことがわかりました。

頭の中は大揺れだし、だいたい パニックを誘発するような体感だから、それ自体氣分悪くて、とてもじゃないけど長時間感じ続けてなんていられません

そんな状況でも、「まあできるところまでトライして、あとは意識外して癒しに走って忘れればいいのよ」 と冷静に観察計算指南している自分がどこかにいるのが、これまでと違うところ

がまんできるギリギリまでフォーカスして、あとはお氣に入りのDVDや好みのおやつで釣っに氣を移して 強制終了☆





最近ときどき こういう話を書いていて、「からだの感覚フォーカス」 の宣伝屋にでもなったようで 氣が重くなることがありますが、それは 「なんのためにからだの感覚にフォーカスするのか」 「なんのためにブログに書いているのか」 というところがブレるからなのでしょうね。

今回も、パニックで頭がグルグルする中 けんめいに踏ん張っていて、「いったいぜんたい何やってるんだ自分」 ってわけがわからなくなったりもしましたが、そのときの私は、ただ無心に見つめる・意味あって来たものを受け取る、というよりも、この不快な感覚を一刻も早く消し去りたい、という氣持ちのほうが先行していたんだと思います。




で、改めて確認すれば、「もっと満ち足りて幸せに生きたい」 と望んだところが そもそもの発端だったかと。

なのになぜか 望みとうらはらな言動をしてしまう自分がいて、なぜそうなるのか、どうすれば変われるのかと模索し続ける中で、「感情よりも 『感情を誘発するからだの感覚』 が先にある」 「抵抗すればますます大きくなる、見つめれば消える」 などの情報と出会い、ぴんときて試し始めたんだったよね。

で、かなり手ごたえを感じるようになってきたから、とりあえず「実験結果」 をシェアしようと。




ここ数日 混乱もありましたが、そんな中でふとピントが合わさって明確になった、「真実」 という言葉の貴秋的意味。

どれほど見つめても消えないものが、真実。

見つめられて消えるのは 幻であり、本来の自分でないもの。

わざわざ制限の多いこの世にやってきて、自分でない情報をいっぱいくっつけたのも、“リーラ”の一環として折り込み済みだけれど、「行き」 から 「かえり」 に転換した今、ほんとうの自分とそうでないものを見分けて 真実を見えなくしている曇りを見つめては解放し 取り去っていく、それが 私の言う 「魂磨き」であり、生きることそのもの。

ともすれば見失いそうになるから、ときどき初心にかえって確認しておかないとね (^^)




政治経済の仕組みやありよう、過激な事件、氣象の変動、ドラスティックな変化があちこちで起こりつつある(ように見える)今、外の環境をコントロールしようとがんばるよりも、内側を調和させ 穏やかな心持でい続けることが なによりの護りであり貢献である、と いつにもまして思えてならない今日この頃です。

外でなにがあろうと、私は私の大好きな暮らしを楽しんでいきたいもの、ね