モノノ怪となるまで 自分の心を押し殺し続けた 「のっぺらぼう」 のお蝶。
そこまでしても見合うだけの利益とは、いったい何か。
お蝶の母親もまた、武家の娘にふさわしく成長するよう 厳しい躾を受けて、本心を見失ったまま長年過ごしてきたのでしょう。
回想場面での母とお蝶は、どちらも面をつけた姿で描かれています。
母娘とも 素顔を忘れ、偽った心で生きてきたということなのでしょうね。
一度は失った武家の身分を取り戻すことが、何よりも大事。
そんな教えが あまりにもがっちり植えつけられていて、娘を犠牲にすることもいとわなくなった。。。。というか、それが娘にとっても何よりの幸せなのだ、と言い聞かせ、それ以上は考えないようにしてきたのでしょうね。
そんな母親が ほんものの愛情を注げる人ではないことを、お蝶も 心の奥ではわかっていたのだと思います。
それでも、「私は母上様が大好きでした」 と言い続けるお蝶。
その大好きな人のために 自分はこんなにまでして尽くしている、母の望みを全力で叶えている。
だから いつかきっと母も応えてくれるはず。
実際のところ、真に愛情深い母親だったなら それほどの苦しみを味わう必要もなかったわけで、いくら待ったところで そんなのは空しい希望でしかなく、また そこまでするに値する母親でもない・・・と 薄々氣づいていたのでしょうが、そんなつらい現実を認めるよりも、幻の期待を持ち続けるほうを選んだ。
それが、お蝶の利益。
決して叶う日はこないのだけれど、だからこそ 「いつかは叶うのだ」 と偽り続けることもできるわけで。
うれしくない現実を直視するよりも、ニセのはかない希望を選ぶ、そうまでしても 母に愛されたかった。
本心を殺し続け、モノノ怪になってでも。
親から愛されたい、たとえ無理とわかっていても諦めきれない、という願いの強さ。
そんな無理から生まれる苦痛や怒りを押し殺そうと、爆発させようと、願う氣持ちに変わりはないわけです。
叶わないとわかっていても諦められないから 怒りが湧くのであって、その矛先が 自分に向くか親に向くかの違いだけ。
いずれにせよ、そのままでは 怒りと執着の堂々巡りから抜け出すことはできません。
私は 親に怒りを向けたクチだけれど、だいたいお蝶さんにせよ 私にせよ、自分を殺したり 親を強引に変えようとしたりしている時点で、自身の親への思いも ほんとうの愛情ではなくなっているんですね。
自分が愛されることに 執着しているだけ。
ここにも、被害者が同時に加害者にもなるという あのからくりが働いています。
お蝶さんや私が子どもを持ったら、まず間違いなく ありのままのその子を認めて おおらかに愛することはできないでしょう。
だから、それはもう親の問題ではなく 自分の問題、なんとかしなければならないのは 親ではなく 自分自身なのです。
現実世界では、自分の歩んできた道のりを芝居のように見せられたり、生み出してしまった魔を斬ってもらったりするわけにはいきませんが、ブレイクスルーのチャンスは 誰にでもあります。
手立ては人によってさまざまでしょうが、私には まずはからだの感覚にフォーカスすることだったわけです。
肝心なのは、ほんとうの自分を知ること。
ほんとうの自分は、愛であり、喜びであり、豊かさ、安らぎ、自由であり。
からだをほぐすとか 自然の中に佇むとかして リラックスしているときに、ふとそんな自分に触れることもあるでしょう。
愛情豊かな人との交流によって 呼び覚まされることもあるでしょう。
大好きなことに没頭していて、氣づかぬうちにそうなっているかもしれない。
さえぎるものがあまりにも大きいなら、まずそれを溶かすことから始めればいい。
どんな方法であれ、愛そのものであるほんとうの自分を感じることができたら、問題はもう問題ではなくなるんですね。
タイトルの 「トキハナツ」 は、薬売りさんが 退魔の剣を抜くときの、剣とのやりとりから。
「モノノ怪の形・真・理によって、剣を解き放つ!」との薬売りさんの声に、剣が 「トキハナツ!」と応じる。
この剣を抜くには、モノノ怪の形と 真(まこと)と 理(ことわり)が必要なのです。
人に害をなすからといって やみくもに斬っていいというわけではないのですね。
モノノ怪が生まれるにも、それなりの理由や筋道があり、それを見定めて初めて 剣が使える。
モノノ怪は 人の情念に 人ならざるアヤカシがとり憑いて生まれるのだそうで、退魔の剣は それを殺すというよりも、人とアヤカシの結びつきを断ち切ることで 悪しき想いを解放し、モノノ怪を祓い清めるような働きをするんじゃないかと思っています。
斬るべきものの形や真や理を得ることで 退魔の剣が解き放たれ 魔が浄化されるように、ほんとうの自分を知ることで 偽りの自分が消えて 心の闇から解放される。
現実とやたら重なって見えるところの多い 「モノノ怪」、奥深い作品のような氣がします。