毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

しがみつく

2015年01月31日 23時08分59秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


前回からの続き。


まあこの話は、からだは死んでも魂は生き続ける という見方を選ばなければ、成立しないんですが。

私はなぜか、かなり前から この見方を抵抗なく受け入れていて、さらにそこに やはり死後の生命を描いた本だの映画だのの情報が集まってくるので、ますますそのイメージが増強されてきたんですね。

映画 「ゴースト/ニューヨークの幻」 や 「オールウェイズ」 「ラブリー・ボーン」 などは まさにそんなテーマのお話だし、もっとダイレクトに死後の世界の有り様を描いた 「奇蹟の輝き」 というのもあります。

この映画 「奇蹟の輝き」 は、わが愛読書 「神との対話」 でも言及されているんですね。

また、同じく愛読書の 「ONE」 にも、凶暴なフン族の王・アッティラに背後からいきなり切り殺された衛兵の魂が 自分の死に氣づかぬまま 持ち場に戻っていく話が出てきます。

こういう映画や本も、やはり死後の世界を信じる人たちによって生み出され、類友の法則で集まってくる、ということなんでしょうか。




そして 極めつけは、臨死 (死亡) 体験者 ・木内鶴彦さんのお話を聞く機会があったこと。

前にも書いたと思いますが、この方は 医師によって 一度死亡を宣告されながら、30分を過ぎたところで蘇生が確認されました。

死後蘇生がカルテに記録されている 国内唯一の例だそうです。

今 心臓が止まった! とわかり、じゃあそう思っているこの自分は? となった、その目の前に 息を引き取ったばかりの自分のからだが。。。なんて体験を、ご本人が あるときは淡々と あるときは面白そうに語られるのですから、インパクトが違います。

講演で直接お話をうかがって、ご本人は 「第三者の証明が得られるようなことではないので、真偽の判断はお任せします」 と慎ましくおっしゃっておられましたが、私は きっとお話のとおりだったのだろうと感じました。




加えて、私は 思いが自分の世界を創るということも信じています。

いや、最近では、それはもう単なる信条ではなく 明確な事実として認定されつつあります。

思いが世界を創る、そして 死後も思いは続く・・・・このふたつが結びつくと、つなぎ止められる魂の話は がぜん真実味を帯びてきます。




先日書いたように、暮らしの楽しみを綴ったブログが大好きですが、一方で 五感を超えた世界について書かれたものにも 関心が向きます。

そちらの分野でも 愛読させてもらっているブログがいくつかありますが、その中に まさしく “この世ならざるもの” が見える方の書かれたものがあります。

その方の記事によると、生前のさまざまな思いから すぐには成仏せず 「中間地点」 に留まる人 (魂) がけっこういるのだとか。

しばらく穏やかに過ごした後 すんなり旅立つ人については、別段心配はないようですが、不安・悲しみ・恨み・執着などのネガティブな感情に捕われたまま 次の段階に進めずにいる人の場合、その感情が 思いを残した相手や たまたま出くわした見ず知らずの人など 生きている人間に向くことが しばしばあるのだそうです。

自分の死を受け入れられず 生者にしがみついてこの世に留まろうとする、恨みや思い残しを晴らそうと 対象者にとり憑く、中には 八つ当たり的に 無関係の人に害をなすことも。

ホラー映画のように 直接身体生命に危害を加えるほどの力はないそうですが、やはりネガティブなエネルギーを発しているので、生身の人間がうっかり共鳴してしまうと、影響を受ける場合もあるようで。

こうなると、その魂の意識が変わらない限り いつまでもこの世に執着し続け、此岸と彼岸の狭間に宙ぶらりんのまま 身動きが取れなくなってしまうのですね。

「のっぺらぼう」 のお蝶さんの身の上は、あながち ただの作り話というだけでは済まされないのかもしれません。




この話で 私が反応したのは、

  生きてようが 死んでようが、結局は 自分の思い込みに影響されるのか!

っていうところ。






もう少し続きます。