毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

試行錯誤のその果てに

2016年09月15日 10時08分41秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


先日 愛読するブログで この文章を目にして 「おおお~ \(^o^)/」 という氣分になったのは、例の 「こころとからだの相関関係」 の試みの最中に 似たようなことがあったから。




古い思い込みを手放せても、その空いたスペースに 新しい世界観を書き込まないと すぐまた不快な記憶が戻ってきてしまうとわかったので、なんとかきっかけをつかんで 心地いいイメージをふくらませ 持続させようと けんめいでした。

以前より ポジティブイメージが浮かびやすくなっていたおかげで、うまくいくと なんともいえずいい氣分で 長時間過ごすことができました。

ところが その反動なのか、翌日ぐらいに 必ずといっていいほど どーんとネガに引き戻されるのです。

今明るい氣分になれたら、それを火種に さらに明るい氣分が引き寄せられて 前向きな氣持ちがぐんぐん育っていくはずじゃなかったの!?

これまでネガな心境がそうだったように、いったん反転したら あとはポジのほうが どんどん積み重なり 優勢になっていくんじゃなかったの!?

のままでいくはずが、なんでいちいちに戻っちゃうんだろう?

すんなり仮説どおり進まない現象に、意氣消沈しながら見直しをすることに (T_T)




やがて氣がつきました。

これは結局 ネガポジという二極を行ったり来たりしているだけで、二つの感情の割合の変化こそあれ やっていること自体は 以前とさして変わっていないのだと。

意図して肯定的なものに肩入れすれば、その対極も当然大きくなる。

ネガあってのポジ、ポジあってのネガなのだから。

二極の世界とは、そういうものなのだから。

ほんとうに過去の思い込みから自由になりたければ、二極対立の構図から抜け出さなくては。

そのためには、忘れていた感覚を引っ張り出すきっかけとして 楽しいことを思い出したり想像したりするのはいいけれど、いったん思い出せたら 負の感覚フォーカスと同じく 言葉をすっかり脇に押しやって、からだの感覚だけに集中する必要があるらしい、とわかってきました。




プラス思考でいなさい、明るい見通しを持ち続けなさい、肯定的な発言をしなさい、等々は 引き寄せの法則などでよくアドバイスされることですが、これを文字通り実行しようとしても、必ずといっていいほど 途中でネガイメージが入り込み 邪魔をするので、これは自分のやり方が悪いのか、集中力が足りないのか、と ずっと氣になっていました。

が 今回、「言葉」 という形あるものにした時点で どうしてもそういうことにならざるを得ないのだと よぉくわかりました。

言葉の世界とは、五感で捉えられる世界 すなわち二極対立の世界だからです。

私たちの本質も、あえて言葉を用いれば 明るく軽やかで前向き、豊かで安らかで満ち足りている、などと表現されるのでしょうが、本質としてのそれは 対比の及ばない絶対的なものであり、どれだけフォーカスしても ぶれも揺るぎもしません。

それが 言葉でつかもうとしたとたん ネガに対してのポジに置き換えられ 対立する二極間で大揺れしてしまうのは、形あるものの性質として 避けられないことのようです。

うまくやろう、前向きでいよう、などと意図すればするほど、「うまくいかなかったらどうしよう」 という不安も大きくなってしまうのは、やりかた云々ではなく とにかくそういうものなのだ ということ。

だから いったん本質の波動を引き出したら、その感覚だけを残し 言葉はすっかり手放すのが肝心なようです。




前から何度も書かせてもらっているように、素晴らしい情報がいくらあっても それをほんとうに自分の智恵や力にするには とにかく試行錯誤しながら 実地でやってみるしかありません。

そうして 幾多の失敗の中からつかんだ 「これだ」 という答は、決して失われることのない強力アイテムとして その先の道のりを おおいに助けてくれます \(^o^)/


これをこつこつ増やしてゆく大きな喜びがあるから、内なる世界の探究ってやめられないんだよね