毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

熟して還る

2016年09月24日 11時55分43秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


これ 何の写真だかわかりますか?




答はこれ☆



熟して黄色くなったゴーヤがはじけて、こぼれ落ちた種です♪

食べごろのゴーヤは濃い緑、ワタはクリーム色で 種は淡ベージュ、それが完熟するとこんな鮮やかな黄色と赤に変わるなんて。。。。

緑の葉っぱの上のつやつやの紅色、なんて美しいんでしょう




以前 ヘチマほどの太さに育って熟しすぎた地這いキュウリを そのまま放置して 後日見に行ったら、実は大地に吸い込まれたように跡形もなく消え失せ、ずらりと並んだ種だけが残っていたことがあります。

命を終えたものは土に還り、次世代の命はその土に守られて時を待ち、やがて芽生えの日を迎える。

自然の循環の妙に 感じ入ったものでした。




そんな植物の営みと 私たちの “行ってかえる” の巡りとが ぴたりと重なったのは、津留晃一さんの 「自他一体」 という文章の この一節を読んだときのこと。

ちょっと長いですが、引用させていただきますね。



”原始時代から我々が進んできた方向は、自我を確立するという方向でした。自我が非力な自分の力によってやっと成果を生み出すという喜びを得、ハイヤーセルフはそれを観察してそんな自分を発見してきました。力のない者が自らの力で、成果を生み出すことの素晴らしさを堪能してきました。そしてハイヤーセルフのその発見と引き替えに、自我はより強化され硬くなってきました。自我は成長し続けました。それは他との分離の課程でもありました。

 成長しきった果実はやがて大地に落下します。大地というまたひとつの場所に戻って行きます。大地から生まれた一本であった幹は、成長とともに枝分かれし、分離していきました。そして自我(個体)という果実を結ばせました。成長した我々の自我は熟れすぎた果物としてやがて種子を内包したまま大地に落ちます。我々の意識は成熟したこの果物自身から、その核である種子へと移行されなければなりません。

 もうあなたは充分に成熟しました。そして成熟したあなたはそこに止まる事は出来ません。次なる神の種子へとその意識をあなたの中心へ移行させる時がやってきました。今、あなたが自分の意識を内側へ内側へと向わせることによって、あなたという種子が必ずまた大地という元なるひとつの場所へ帰っていきます。”



育ち切った自我が外の世界に投影して体験させるさまざまな出来事に、これ以上目を背けることもごまかすこともできなくなって 初めてまっすぐ向き合ったとき、私たちは 分離のプロセスを終え、再びひとつへと還っていくんですね。

言葉で物語を紡ぐのをやめ からだに残る感覚をしっかり味わうと すぅっと消えてゆくのは、熟し切った実が土に還る ・ やってきたところに戻ってゆくということなんだと、キュウリの体験と重ね合わせて すとんと腑に落ちたことでした。




そして、いつを 「ひとつに還る時」 と定めるかは、めいめい自分で感じ取って 自分で決めるんですね (^^)



「自他一体」 全文をお読みになりたい方は、こちらをどうぞ。