毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

居場所と名前

2019年07月18日 18時18分01秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


“こんまりさん” こと近藤麻里恵さんは 世界にその名を馳せる片付けコンサルタントですが、そんなこんまりさんの番組 「KonMari 人生がときめく片づけの魔法」 が米エミー賞候補にノミネートされたと聞きました。

4月に見たこんまりさんの 「NHKスペシャル ・ 密着ドキュメント 片付け ~ 人生をやり直す人々 ~」 は、和歌山引き払いのため怒涛の片付け&処分を体験した直後ということもあり、とても印象深い番組でした。

見始めてじきに、こんまりさんが数年前に見たドラマで仲間由紀恵さんが演じた「のりまきさん」 のモデルだったと氣がつきましたが、調べてみると そもそもこのドラマの原作がこんまりさんのご著書だったんですね。

こんまりさんの言葉はどれも心に響きますが、そんなこんまりさんのアドバイスのひとつに 「手元に置くものにはすべて居場所を与える」 というのがあります。

たしかに 仮の置き場でさえ作る氣にならないものなら、それを持つ意味も必要もないわけですね。

ここでふと思ったのです、「もの」 を 「思考」 「思想」 「情報」 などに置き換えると、居場所を与えるというのは 名前をつけることなのではないかと。

エコ、スピリチュアル、などというのは私が生まれた頃にはなかった言葉だけれど、ある程度人々の意識に浸透すると 話題として取り上げるのに便利なようコンパクトな名称を与えられ、ますます話題に上りやすくなって存在が強化され 市民権を得る。

ということは、目の前から消えてほしい物や事や人を 戦ってどうにかしようとするのは逆効果だということです。

戦えば戦うほど その名を口にする頻度も相手への注目も増し、かえってがっちり脳裏に場を占められてしまうのですから。

ほんとうに自分の世界から消し去りたいなら その逆をいく、つまり相手への注目を外し 印象が薄れ忘れ去られるに任せること、相手を再び “名なしのゴンベさん” に戻してしまうこと。




名を与えるとは、漠然としていた対象物にくっきりした輪郭を与えて分け出すこと。

これが言葉というものの力です。

言葉を付与することで分け出されて個として確立し、言葉を外されて再び境界のない “おおきなひとつ” に戻る。

では言葉を外すとはとういうことかといえば、言葉というレッテルを越えて そのものの本質に焦点を定めることです。

面白いことに これをとことん進めてゆくと、対象に向いていた目がくるりと反転し 自身に向かいます。

対象が物であれ事であれ人であれ、それに氣を留めたのも名を与えていのちを吹き込んだのも 他ならぬ自分であることに氣がつくからです。

スクリーンに映し出された光景を変えたいなら スクリーンに向かってもダメで、向かうべきは映写機のほう、ということですね。




自身に目を向け さらに本質へと踏み込んでいくと、見えてくるのは過去の記憶やそれにまつわる感情。

これらから言葉を取り去ると、残るのはからだの感覚だけ。

ここを見つめて初めて 消えて欲しかったものがじわじわ輪郭線を失い、次第に影響が薄らいで やがてほとんど氣にならなくなっていきます。

そしてあるとき そういえばあんなことがあったっけ、とふと思い出し、いつのまにか自分の中からすっかり姿を消していたことに氣づくのです。

真に消えるとは、消えたということさえ意識に上らないということなんですね。