毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

人生を 「快 ・ 好き ・ 楽しい」 で埋め尽くせ

2019年07月20日 14時25分51秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


物事にいい ・ 悪いはない。。。。このところしょっちゅう思うことです。

「私」 の本質は意識体だと認めると、外からの判断解釈よりも 内側からどう感じるかのほうが重要になってきます。

正誤や良し悪しよりも、快か不快か ・ 選びたいか選びたくないかといった基準で物事を決めるようになります。

快不快 ・ 選ぶ選ばないというのはこの上なく主観的で、大事なのはもっぱら自分が楽しめるかどうか、氣分いいかどうかだけ。

一方 正誤や良し悪しには、他者の価値観も関わってきます。

対象が自分の好みに合わないと判断するだけでなく 好みに合わないものを否定しようとするため、価値観が異なる者との軋轢が生じ、結果好まないほうにばかりフォーカスし エネルギーを注いでしまうのです。

もちろんそれすらもいい悪いではないので、そういう体験をすることにもしっかり意味があるのですが。




好きなものであれ嫌いなものであれ 関わることを望んで関わっているのなら問題ありませんが、もっと楽しく暮らしたいのに意に反して出会うのはイヤな奴ばかり、起こるのはイヤなことばかりと思っているのなら、あれは良くない ・ これは正しくないと批判し責め立てたくなる自身の感情とじっくり向き合うことをお勧めします。

引きの視点から見れば 正誤や良し悪しはなく、ただそれぞれの世界 ・ それぞれの体験があるだけ。

そして五感の視点に戻れば、その中から自分が好きなもの体験したいものを選び、そうでないものからは離れればいいのです。

好きなものばかり選んでいいし、好きなことばかりしていて構わない、だって世界は自分が創っているのだから、誰かの取り決めた世界につながれている必要はないのだから。

そう思うことに不安や罪悪感を覚えたり そんなのムリだよという反発が即座に上がってきたりするなら、ただ意識の奥に それを認めない思い込みが潜んでいるというだけのこと。

その思い込みと向き合い 手放せばいいのです。




遊んでばかりいたら将来ろくなことにはならないとか 対価と引き換えでなければ欲しいものは手に入らないとか 幸せは苦労の果てにあるのだとか さんざん刷り込まれてきた貴秋、それはそれで意味ある体験だったと思うけど、楽しくないことはもうお腹いっぱいノーサンキュー、観念を書き換えて宗旨替えです。