毎日がしあわせ日和

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続 ・ あらゆる問題の根底に潜む お金 ・ 時間 ・ 法律にまつわる催眠を解く ~ その11

2020年12月19日 15時02分08秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
「ヒューマニエンス ~ 」 では 人の意識の知覚される部分とされない部分について 氷山をモデルに説明していましたが、無意識部分については、あの図では描かれていませんでしたが さらに下の方ではすべての意識がつながってひとつになっていると思われ、その領域を集合無意識などと呼ぶようです。

人の手になぞらえれば、氷山の上部は指と同じように別々に分かれているが 、底の方は 手のひらと同じくひと続き、ということでしょうか。

私たちはそれぞれが個性を持つばらばらの個人であり、同時に “すべてであるひとつ” の意識に属してもいるのですね。




「神との対話」 と同じく貴秋が旅に外出に持ち歩き とことん読み込んでいた本、パウロ ・ コエーリョ著 「アルケミスト」 に、“マクトゥーブ” というアラビア語が出てきます。

「それは書かれている」 という意味だそうですが、貴秋の中では この “マクトゥーブ” とアカシックレコードという言葉が重なります。

アカシックレコードとは 元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念のこと (Wikipediaより) で、「宇宙の図書館」 「高次元のホストコンピューター」 などとも称されるようです。




量子は 形を持つ 「粒子」 と形を持たない 「波」 の二つの性質を持ち、形なきエネルギーの波に私たちの意図や感情が作用することで 形ある粒子に変わり、意図した物質世界を創り出すと言われています。

この波動エネルギーが遍在する領域は 何にでも変わり得る可能性の域で、そのあらゆる可能性が “すでに書かれている” のがアカシックレコードなのだと貴秋はイメージしています。

「神との対話」 にも 「あらゆる可能性は事実として、完了した出来事として存在する。すべてはすでに起こっている」 という話が出てきますが、ここで神が例えに使うのがコンピューターゲーム。

「コンピューターが遊び手のあらゆる操作にどう応じればいいか知っているのは、事前に想定しうるすべての動きと適切な対応がCD-ROMに読み込ませてあるからだ」 と説明する神は、さらに 「宇宙の車輪をCD-ROMだと想像すれば、すべてのエンディングはすでに存在していて、宇宙はただあなた方が今度はどの動きを選択するかを待っている」 とも言われるのですが、そのCD-ROMに当たるのがアカシックレコードだとすると、個の私たちがまっさらなオリジナルだと思っているどんな思いつきも、実はすでに宇宙に読み込まれている情報をダウンロードしたに過ぎないことになる、それが “マクトゥーブ” 、すなわち 「 (なにをどう思いつこうと) それは (すでに) 書かれている」 ということなのだと貴秋は思っています。

で、この過去も未来もひっくるめてあらゆる情報が網羅されている 「高次元のホストコンピューター」 が存在する領域こそ、あのひと続きになった氷山の底 ・ 集合無意識だと思うのですね。

ですから、この集合無意識から受け取る答えに沿って事を運ぶ限り、解消不能な対立や意見の不一致などということはあり得ないはずなのです。

「その7」 の終わりに書いたように 人類が力を合わせて現在のピンチを切り抜けられるかどうかのカギが この 「おおもとの意識と同調し 情報を得て動けるかどうか」 にあると貴秋が確信しているのは、このゆえんです。




「神との対話」 の著者 ニール ・ ドナルド ・ ウォルシュ氏は、ご自身のキリスト教的信念に真っ向から反する文言を書き留めるに及んでようやっと 対話の相手が自身の妄想でも思い込みでもなく神であることを信じられるようになったと書いておられましたが、貴秋もずいぶんと思いがけないものをいろいろと見せられることになりました。

前の 「あらゆる問題の根底に潜む お金 ・ 時間 ・ 法律にまつわる催眠を解く ~ その1~10」 に書いたような世界観は 身につけようと思ってつけたのではなく、古くからの思い込みやわだかまりを手放すにつれて なぜか向こうからひらめきの形をとって勝手に脳内に入り込んできたのです。

そんな体験を重ねるうち 貴秋は確信するようになりました、「顕在意識を駆使してどれほど調べたり実験したりしても得られない答えや情報を、集合無意識からは得ることができる」 と。

たとえ今回のコロナ騒ぎやそこから派生した経済的苦境 ・ 人種対立のような世界規模の問題であっても、アカシックレコードに問うて得られない答などあろうはずがない、いまこの瞬間も貴秋はそう信じて疑いません。