毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

続 ・ あらゆる問題の根底に潜む お金 ・ 時間 ・ 法律にまつわる催眠を解く ~ その14

2020年12月25日 11時45分07秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
前の記事で使わせてもらった 「ワンチーム」 という言葉は、2019年のラグビーワールドカップ日本代表チームのスローガンから広まったもので、昨年の流行語大賞にも選ばれたのでしたね。

全員一丸となって事に当たる。。。頼もしく胸熱な光景をイメージさせるこの言葉が多くの人の心を捉えたのはわかる氣がします。

そんな 「ワンチーム」 にも、この二項対立の世界では 二通りの意味が読み取れるように思います。

ひとつは相反するものの存在を想定し それに立ち向かうために結束するという意味でのワンチーム、もうひとつは文字通り例外なく全員がひとつにまとまってのワンチーム。

前者は日常のあちこちに散見されるけれど、後者は理想に過ぎないと思われるかもしれません。

が、いまのこのコロナや経済危機や人種対立や異常氣象などの複合カタストロフを切り抜けようとする私たちに必要なのは、まさにその後者のワンチームなのです。




この二項対立世界では どんな価値観にも必ず対立する価値観が存在し、自身の価値観にそぐわないものは よくない ・ 間違いと見えるため、否定したい氣持ちが湧き起こってきます。

このとき 形ある世界の私たちは、よくない ・ 間違いと思えるものを自分の外に見つけようとします。

ホラー映画で 殺人鬼から逃げ回りながらも 相手の姿や所在を確かめずにおれない犠牲者の姿がよく描かれますが、顕在意識としての私たちは 形の見えない不安や恐れをそのまま抱えているのは耐えられないんですね。

だから、否定したいものを投影する相手を 自分の外の世界に見つけ出し、攻撃する。

しかし、否定したいものは 実は私たちの内にあるのです。

自分の価値観は 無数にある可能性の中から自身の好みで選び出したものであり、その裏には必ず相反する思想や見方がセットで潜んでいます。

ここで思い出していただきたいのが、高低 ・ 寒暖のように一見正反対の要素は、実は程度の差でしかないということ。

状況次第では 自分でも氣づかないうちにじわじわスライドしていって、はっと氣づいたら対極にいたなんてこともあり得るのです。

平和を守るために戦うとか 神の愛を謳う人が他の宗教には容赦ないとか、一見矛盾と思えるようなことがしばしば起きるのは そのため。

そんな不安定なありようを意識の奥ではわかっているからこそ 余計に自分の基準にこだわり、反するものには我慢がならないのです。




しかし。

我慢ならない、許せないと感情的になっているときの私たちは、自身の創作した物語の登場人物、つまり体験者のポジションにあります。

感情はこの体験の世界になくてはならないアイテムで、感情を覚えるからこそ 私たちは喜怒哀楽さまざまな体験にとっぷり浸り込むことができます。

が、この場合はこの感情の性質が仇となり、対極の価値観を持つ相手に反発すればするほど、私たちは俯瞰の視点を忘れ 物語の世界から抜け出せなくなります。

五感の世界には人の数だけ正義があり、誰もが認めるただひとつの絶対的答えなんていうものは存在しませんから、こうなるとどこまでも対立する二極のあいだで争いもがきながら、なぜ正しいはずの私の意見が理解されないのかと悩み続けるしかなくなります。




最近 「持続可能な社会」 という言葉をよく耳にしますが、貴秋が世界のあらゆる問題のおおもとと見なしている現行のお金のシステムは、まさにこの持続可能であった地球の循環システムを壊す元凶となりました。

大きさも内包する資源も一定の地球で 成長する一方の経済システムが続くはずはなく、コロナ騒ぎも手伝って いまや崩壊は目前です。

ここで私たちが迫られている選択は、対立の物語の内にい続けて自滅を待つか、物語を俯瞰で眺める視点を取り戻し解決策を見出すか。

言い換えれば、「顕在意識 = 自分」 という見方を手放さずこのままいくか、「知覚できない意識も含めて自分」 という人間本来のありようを取り戻し、無意識領域から得た答を持ち寄って 力を合わせ事に当たるか、ということ。

もし後者を選ぶなら、現行のお金のシステムについてまわる 「権力者と一般大衆、富を持つ者と持たざる者」 という対立概念も 必然的に手放すことになります。

対立の感情を残したまま 顕在意識の外に出ることはできないのですから。

顕在意識だけのあり方から一歩外に出れば、いま権力を握り世界の富を欲しいままにする人たちとて すべてであるひとつの意識の一部であり 体験するためにこの世界にやってきた魂であることに変わりなく、また一見非情で強欲に見える彼らだって 庶民同様 その裏に真反対の性質を含み持っていることを きっと思い出すはず。

折りしもきょうはクリスマス、対立概念を手放し すべての人間に共通の本質を見出して、愛と寛容の精神から世界が真のワンチームとなり問題解決を図れるかどうか、天は私たちに問うているのかもしれません。