Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

しゃべれども、しゃべれども

2008-12-02 | 日本映画(さ行)
★★★★☆ 2007年/日本 監督/平山秀幸
「静けさの一体感」


やっぱり映画って、自分で見てみないとわからない。平山作品は好きなので、公開時に見ようかと思ったのですが、あまりいい話を聞かなくて辞めてしまいました。ところが、蓋を開けてみると、俄然私好みの作品でした。

とても静かな映画です。カメラもゆっくり動きます。そして、「間」がいいです。音楽も少ないです。無音で下町の景色をするする~っとカメラが動いていくシーンが大変心地いいのです。主人公の男女は、典型的なテレビ俳優ですが、平山監督は見事に変身させています。国分太一演じる三つ葉のぶっきらぼうな東京弁と、香里奈演じる五月の仏頂面。この実に味気ない、素っ気ないムードが最初から最後まで徹底されていて、ある意味平山監督、己を貫いたな、と感心しました。

描かれている世界も大変小さい。教室を開いたとはいえ、生徒はたった3人。後は祖母役の八千草薫と師匠の伊東四朗くらい。余計な人物設定はありません。小さく始まって、大して膨らみもせず、小さいまま終わっていく。三つ葉が「火焔太鼓」をやり遂げても、五月が三つ葉の胸に飛び込んでも、すべてがゆるゆると一定のスピードで流れていく。それに、身を任せてただぼうっと眺めている、そんな映画でした。また、八千草薫が庭先でほうきを片手に三つ葉の落語を真似してみせる。ほんの少し挿入されるこれらの何気ないシーンにしても、どうでもいいわけではなく、むしろ絶対に必要なシーンだろうと思わされます。しかし、それぞれが突出することは決してなく、見事な一体感を保っています。

敢えて、心理描写には迫っていないですね。先日、「エリザベス」の感想で「もっと心の揺れをクローズアップさせて欲しい」と書きましたけど、それが欲しくなる作品と、そうでない作品があるのだな、と思います。本作の場合、一番心情がわからないのは、五月でしょう。いくら男と別れたとは言え、あの性格ブスの根源は何だろうと思うし、そんなに三つ葉に惹かれてたか?とも思いますし。でも、敢えてそこを突っ込んでくれなくとも、私には十分満足できる映画でした。このゆるやかなの流れの中で展開される小さな、小さな人情劇、その佇まいに魅了されました。