Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ホームレス中学生

2010-02-04 | 日本映画(は行)
★★★★☆ 2008年/日本 監督/古厩智之  

「もう一つの“大阪物語”」


なかなか厳しい評価も散見するが、カメラがとてもいい。家族が解散してから、やたらとウンコネタが連発されるが、カメラはとても上品だ。主人公のぐるりを静かに回り、時折遠くから見守る。そして、ほとんどローアングル。文字通り、地面を這いつくばっていきる裕と同じ目線でカメラはゆっくりと動く。とても優しい目。そして、兄弟3人の暮らしが始まり、銭湯の前で待ち合わせをして家路に着く時、姉の幸子がぽつりとつぶやく。「あたし今ちょっと幸せやわ」。そこで、今まで地面をうろついていたカメラがするすると上昇し、少し高いところから姉と弟の後ろ姿をとらえるのだ。

正面アングルの巻きフン公園や、絶妙なタイミングで入る料理のアップといった短いカットしかり、部活帰りの中坊がブラブラ歩いていて友人がスクリーン右側から捌けると後ろからオトンの自転車が現れるといったシークエンスしかり、非常に見心地が良く、映画らしいカメラワークにあふれている。また、小池徹平23歳で、中学生。池脇千鶴28歳で、高校生。キンコン西野29歳で大学生。このキャスティングは大した度胸だと思う。しかも、大阪が舞台で田中裕子と池脇千鶴って、亡くなった市川準監督「大阪物語」へのオマージュじゃないかしら。「大阪物語」は夫婦漫才の話だし、夫は典型的なダメ男(演じる沢田研二がこれまた最高にいい味)。トーンもよく似ている。

後半の転調ぶりも見事だと思う。身近な女性の死によって、母の死をまともに受け止められなかった小さい頃の傷がじわじわと疼き出すという、まるで「ラースと、その彼女」ばりの展開。家ナシ、飯ナシ、便所ナシの頃は、ただひたすら食って生きることで必死だったのに、そうした飢餓の危機を乗り越えると、とたんにくよくよ悩んだりし始める。これ、何気に人間の本質を突いてはいまいか。

さてと。

古厩監督は、本作で「これを一番伝えたい」という見せ方は何一つしていないと思う。子供の逞しさを前面に出したいわけでもなく、市井の人々の人情を前面に出したいわけでもない。キャラクターやエピソードに食い込むというより、むしろ引いて演出している。人によっては、中途半端と感じる演出だろうし、好き嫌いも分かれるかも知れない。でも、私はこの絶妙な引き具合が好きだったりする。120分の中に、キラリとした輝きが2度3度あればそれで十分。そんな思いで古厩監督は映画を撮っているんじゃないだろうか。

最近、麒麟の田村くんはテレビに出ては、このオトンに家を買ってあげたから(番組の企画で再会したらしい)、印税はほとんど残ってないと話している。子供を捨てて、ダンボール食わしたオトンでっせ、みなさん。何とも、血の繋がりとは不思議なものよ。そして田村くんが会うんじゃなかったと思っているのか、何があっても父は父と思っているのか。そんなことは、誰にもわからない。でも、もしこの作品が人情味あふれる感動作に仕上がっていたら、田村くんが印税でオトンに家を買ってあげたという事実とはたぶんしっくり来ない。そんな気がしてならないのだ。