Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

バリー・リンドン

2011-02-01 | 外国映画(は行)
★★★★★ 1975年/イギリス 監督/スタンリー・キューブリック

「185分とためらわれることなかれ」



狂気の宿る殺戮者だろうと、優雅な貴婦人だろうと、キューブリックのカメラは観ている人間が思わず背筋を伸ばしてしまう緊張感を持っている。襟を正して、きちんとスクリーンを見つめなければならない。そんな気分にさせられる。例えば、貴婦人のアップからどんどんカメラが引いて、豪華な宮殿の部屋全景が映し出されるという、ただそれだけのシーンでもその力強さは変わらない。その理由がどこにあるのか、不思議でならないよ。完璧なアングルってことなんだろうけど、その完璧さを生み出す構成要素は何なんだろうってこと。トリミングの仕方?色の配置?風景と人物の比重?一回誰か徹底的にデータ分析してくれないかな。

単調な行進曲の調べに乗って、大勢の兵士が次々と死んでゆく戦闘シーンの馬鹿馬鹿しく虚しいことと言ったら。ただ並列に並んだ軍隊の最前線の者が銃をぶっ放し、運が悪けりゃ銃弾を浴び、その場で即死。運が良けりゃ、後列に回って、また行進に参加する。ほんとにヨーロッパでは、こんな戦争の仕方をしていたのかしら?まさに無駄死に。

登場人物は兵士や将校ばかりですが、衣装にも心奪われる。赤が基調のイギリス軍、濃紺が基調のドイツ軍。ボタンや飾りなど細かい部分まで手抜きがなく、衣装さんが用意しました!というあつらえ感がなく、どれもこれも着こなした感じが良く出ている。俳優の体に衣装がとても馴染んでいてお見事です。

背筋は伸ばして見ているけれど、決して窮屈な気分ではない。静謐で厳かに、すらすらと流れるように物語は紡がれる。185分だけど、あっという間。アイルランドの青年、バリーが激動のヨーロッパで大貴族に成り上がり、そして落ちぶれてゆくお話。このバリーという主人公(ライアン・オニールがとても魅力的)、頭がいいわけでもなく、特別な才覚があるわけでもなし。長いものには巻かれろ精神であれよあれよと大貴族。「エリザベス」とか「つぐない」などのヨーロッパ大河ロマンが好きな方なら、きっと気に入ってもらえる作品。こんなところから、キューブリックに入るっていうのもアリじゃないかな。