Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

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2011-03-26 | 外国映画(さ行)
★★★★★ 2010年/アメリカ 監督/デヴィッド・フィンチャー
<TOHOシネマズ二条にて観賞>

「道具を生むのも人間、使うのも人間」

すいぶん前に映画館にて観賞。間違いなくアカデミー最優秀作品賞&監督賞だと思ったけどね。アカデミーの会員はやっぱり爺さん、婆さんばっかりだってのが、ようくわかった。おぼろげにアカデミー賞の選考なんて適当なんじゃないかと思ってたけど、今回の件でちょっとその権威が失墜したように感じてしまう。

さて、時代を切り取るという点において、こんなによくできた作品はないと思う。2時間があっという間で、気づいたらエンドクレジット。それくらい作品の持つ疾走感がすばらしかった。のべつまくなしに人物、とりわけ主人公のマークはしゃべりっぱなしなんだけど、全くウザく感じることがない。カット割りもめちゃくちゃ多いんだけど、目も疲れなかった。驚異的なセリフの多さとカットの多さがありながら、作品全体がガチャガチャしてないってのは、紛れもなくデヴィッド・フィンチャーの巧さだと思う。前作「ベンジャミン・バトン」が実にスローで静謐な画面作りに徹していたことを考えると、彼の映画監督としての懐の深さが伺われる。テムズ川でのカヌー大会のシーンではトイカメラ風の映像も盛り込んだりしていて、とにかく様々なチャレンジスピリットにあふれた作品だった。

映像、演出のすばらしさに加えて、この作品の底力となっているのは、人物造形の巧さ。マーク・ザッカーバーグという若き天才の描写が実に魅力的だ。彼は鼻持ちならないイヤな奴(実際、本人がそうかどうかは置いておいて)として描かれているわけだが、彼が持つ劣等感や寂しさも含めて、社会にうまく適応できない人間のひずみのようなものが実にうまく描かれていたと思う。冒頭のガールフレンドとの噛み合わない会話でマークの性格を観客に知らしめてしまう演出もいい。

マークが様々な試みを行うのは、要は「ふられた彼女を見返したい」ってことなワケ。その歪んだ、ねじ曲がった根性が(笑)、思いも寄らぬ金を生んだり、社会現象になったり、使用者によってはメリットを生んだり、喜びや幸福をもたらしたりする。それが、実に今っぽいんだ。道具を作るのに高邁な精神なんて、必要ないんだ。現にFacebookのおかげでエジプトでは民主化運動が起きたんだけど、その道具はもともとふられた女を見返すために作られたんだよ。滑稽というか、皮肉というか。これが今なんだってこと。

ハーバードという閉ざされた社会の裏情報もとても興味深かった。
それにしても、ウィンクルボス兄弟ってえのは、アイデア盗まれたか知らんが、結局600億ドル勝ち取ったって、上流社会の人間にしては、えげつないよなあ。