Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ゼロの焦点

2011-09-20 | 日本映画(さ行)
★★★ 2009年/日本 監督/犬童一心


「女優競演の裏に隠されたもの」


同じ白いパンタロンでも、こうも違うものでしょうか。
「サンダカン八番娼館」においてサキさんを侮蔑するように見えたあの白いパンタロン。

本作では中谷美紀がスクリーンに初めて登場するその時です。
幅広のひらひらした白いパンタロンを履いた佐知子が広末涼子演じる妻・禎子の前に颯爽と現れる。
その白さは目の前でおどおどする新妻を威嚇すると同時に、
己の過去の闇を消し去りたいという決意を身にまとっているように見える。
宣伝ポスターでもどっかと中心に居座る広末涼子の斜め後ろから、私が主役よ!のオーラを飛ばす中谷美紀。
いいですねえ。女優はこれくらい気概がないと。ドラマ「仁」の花魁役、野風の演技でも彼女を見直しました。

そして、犯人がまとう真っ赤なビロードのコートと美しい対比。
時代がかった演出で確かに2時間サスペンス的ですが、こういうのがないと松本清張作品は盛り上がりません。

と、少しばかり褒めてはみたものの、この中谷美紀の存在感あってこその作品。
松本清張と言えば、誰しも野村芳太郎監督を思い浮かべると思うのだけど、
社会的弱者である犯人が抱える苦悩とか、生への執着とか、そういう清張作品の根幹的な部分が弱い。
戦後体を売ることでしか生きていけなかった女性たちの悲しい人生が浮かび上がらないといけないんだけど、
ともかく三人の女優競演を際立たせないといけない事情があるんでしょう。
特に広末が絡むと、そういう作品事情が前面に感じられるのは私だけかしら。
こういうところも、彼女が女性映画ファンから嫌われる大きな理由の1つだと思います。

そして、女優共演にスポットを当ててしまったから、すっぽり抜け落ちてしまったものがもう一つ。
それは、3人の女を天秤にかけていた男の心理。
西島秀俊演じる憲一は、禎子と結婚することですべてを精算して新しい人生を始めたかったって言うんだけど。
あのさ。
じゃあ、なんですかい?
佐知子や久子と付き合っている自分は穢れているとでも?
憲一のやり直したいという思いは、戦後のそういう生き方しかできなかった女性に対する侮辱なんですよね。
だから、この男は途方もなくずるいし、狭量。そのずるさをえぐれば、もっと違った展開が生まれたはずで残念です。