【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

『歴史の道を辿ろう(西の京寺社巡り)』 2018.2.22(木)

2018-03-01 | いきいき健康ウォーク

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
せいか健康づくりプロジェクト:いきいき健康ウォーク


近鉄西ノ京駅からスタートです。
①しばらく薬師寺に沿って歩き踏切を渡り

②「養天満宮」に立ち寄りました。

養天満神社社叢(ようてんまんじんじゃしゃそう) こちら
主祭神は、菅原道真です。

社叢(しゃそう)とは
神社において社殿や神社境内を囲うように密生してる林。植生ではなく自生によって成立した樹叢であることが多い

③お濠に囲まれたこんもりとした森が見えます、垂仁天皇陵 こちら


垂仁天皇とは こちら

④菅原はにわ窯公園 【すがわらはにわかまこうえん】




菅原東遺跡埴輪窯跡群は約1500年前の古墳時代に埴輪を焼いた窯跡で、発掘調査により出土しました。菅原はにわ窯公園は、この遺跡を保存し、展示公開するために整備したものです。「菅原」の地は古墳築造に関わっていた土師(はじ)氏が居住していた場所で、土師氏により埴輪づくりが行われていたとみられます。公園には、埴輪窯を発掘した状態で展示しており、また、出土した埴輪を元に作成された馬形埴輪などのレプリカを設置しています。

⑤喜光寺





奈良時代の養老5(721)年、高僧・行基(ぎょうき)が創建したと伝える古刹。後に東大寺造営に尽力した行基が喜光本堂を参考にしたとの伝承から「試みの大仏殿」の異称も。付近の地名に因んで菅原寺と呼ばれていたが、参詣した聖武(しょうむ)天皇が、本尊から放たれる光を見て喜び「喜光寺」の寺号を賜ったという。室町時代再建の本堂などが重要文化財。境内には多数の蓮の鉢植えがあり6月下旬から8月上旬が見頃。(スタッフ手作りパンフより)
喜光寺の蓮 こちら

⑥菅原天満宮







 


菅原道真は梅を愛した人でした 

平安時代の文人政治家、右大臣・菅原道真などを祀る神社。道真は、この付近を本拠地とし、垂仁天皇に埴輪の採用を勧めたことで知られる野見宿祢(のみのすくね)の子孫という。
全国に菅原神社や天満宮は多いが、この菅原天満宮は菅原家発祥の地にあり、道真生誕地も近いことから、太宰府天満宮とともに別格の存在。境内には130品種200鉢の梅の木があり、早春にはすばらしい香りが漂う(スタッフ手作りパンフより)

⑦西大寺






菩提樹の実(丸印の中)西大寺では種で数珠を作ってはります。

奈良時代の女帝・称徳天皇の発願により創建された官寺(かんじ)創建当時は、東の東大寺と並ぶ西の大寺にふさわしく東西約1200m、南北約800mの寺域に東西両塔など百数十もの堂塔が建ち並んでいたという。再三の自然災害で衰退したが、鎌倉時代に再興され、現在は真言律宗の総本山。本堂や本尊・釈迦如来立像など重要文化財も多数。巨大な茶碗を使って毎年春秋などに実施される茶会・大茶盛が有名だ。(スタッフ手作りパンフより)
西大寺境内で解散でした、ちょうどお昼時「ランチは奈良ファに行きましょうか?」
CHIKAちゃん、カヨちゃん、みかちゃん、Uさん、わんちゃんとランチの後「さて、ウチまで歩く?ヒトは?」「それはちょっとムリですよ、近鉄高の原までなら・・・」
わんちゃん提案「御陵の中を歩いて平城に出てそっから高の原駅に行くステキなコース、知ってますよ」
御陵(垂仁天皇皇后陵)のそばを歩き平城の駅の踏切を渡りもう一つの御陵(成務天皇陵)のそばを通りちょっと田園風景な山陵町(みささぎちょう)を歩きました。東大寺学園高校・中学校の下校時の生徒さんたちも高の原駅まで歩いてはりましたよ。ここで電車に乗ったのはUさん、わんちゃんの二人、他の三人は山田川駅まで歩いて電車に乗った人、とうとう祝園の自宅まで歩き通した人と。
わんちゃん的には歩数計23138カウントしてました。
ところで「わんちゃん、どうして、この裏通りみたいな道を知ってるの?」
「うん、それは、わんちゃん行きつけのカラオケのお店がね・・・さっきお店の前を通ったのよ」
「それやったら、お店に入りたかったんじゃないの?」とかなんとか話は盛り上がったモンでした。


奈良公園の鹿と桜。
中央に、奈良市の花・ナラノヤエザクラと「奈」をデザインした市章があります。