【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

桜紀行4:桜咲く斑鳩の里へ(法隆寺~三室山)2018-4-06

2018-04-17 | いきいき健康ウォーク

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
いきいき健康ウォーキング


JR法隆寺駅→法隆寺→藤ノ木古墳→斑鳩文化財センター
→龍田神社→吉田寺(きちでんじ)→竜田公園→三室山→昭和橋→王寺駅

「明日は法隆寺やけど新聞の桜情報はどない?」
ウ~~ン「法隆寺・桜・終わり」

法隆寺は昔、宗次郎さんのオカリナ演奏で境内での野外コンサートに・・・以来でした。

   
うまやど の みこ の まつり も ちかづきぬ 
 まつ みどり なる いかるが の さと
                 会津八一(あいづ・やいち)
(厩戸の皇子の祭も近づきぬ松みどりなる斑鳩の里)

歌意
厩戸の皇子のお祭も近づいた。松の緑が美しいこの斑鳩の里に。
聖徳太子千三百年忌を前に詠んだ4首の第1首、法隆寺の内外に美しく広がる松の緑を取り上げて、斑鳩の里を簡潔にさわやかに歌う。
数々の偉業を成し遂げた聖徳太子への懐古の情を感動を持って展開している

真っ赤な大きなモノは?何?

藤ノ木古墳から発掘された石棺のレプリカと説明版にあった。




詳しくは こちら


斑鳩文化財センター
藤ノ木古墳をより詳しく知りたいときは・・・そうだ斑鳩文化財センターに行こう

龍田神社


崇神天皇の時代に創立され、法隆寺の鎮守とされていた。伝承によれば、聖徳太子が法隆寺の建設地を探し求めていたときに、白髪の老人に化身した龍田大明神に逢い、「斑鳩の里こそが仏法興隆の地である。私はその守護神となろう」と言われたので、その地に法隆寺を建立し、鎮守社として龍田大明神を祀る神社を創建したという。元々の社名は「龍田比古龍田比女神社」で、その名の通り龍田比古神・龍田比女神の二神(龍田大明神)を祀っていた。延喜式神名帳にもこの名前で記載され、小社に列している。しかし、後に龍田大社より天御柱命・國御柱命の二神を勧請したため、元々の祭神は忘れられてしまった。現在は天御柱命・國御柱命を主祭神とし、龍田比古神・龍田比女神を配祀している。
明治の神仏分離により法隆寺から離れ、三郷町立野の官幣大社龍田神社(現・龍田大社)の摂社となった。独立の請願の結果、大正11年3月に龍田大社より独立し、県社に列格した。
かつて経蔵、三重塔等が存在したが現在では失われている。⇒Wikipedia参照

ぽっくり往生の寺「吉田寺」


わんちゃんの舅・姑は揃ってこのお寺にお詣りしてます、なので、ホンマに寝たきりになることなく、特に姑はぽっくり亡くなりました。
霊験あらたか、わんちゃんもジックリお詣りしたかった、次回の宿題にしましょう・・・と決心しました。

竜田公園でお弁当タイム




千早(ちはや)ぶる 神代(かみよ)もきかず 龍田川(たつたがは)
   からくれなゐに 水くくるとは

         在原業平朝臣(17番) 『古今集』秋・294
詳しくは こちら

三室山は返す返すも残念無念、今年の桜は、あわてんぼさん。


ところが探せばヤエザクラが・・・





聴くと全山ピンクに染まるらしい、そんならいつかリベンジですね。(紅葉の頃も良いらしいですよ)
そんなこと話しながらJR王寺駅から帰路につきました。

斑鳩町


三重塔と竜田川とモミジ。町の花・サザンカと町の木・クロマツも描かれています。
周囲の模様は、寺の金堂の高欄に使われている万字くずしの模様。「いかるが」「げすい」の文字。
※斑鳩町の関係部署へマンホールに描かれている仏塔は「法起寺」「法輪寺」のどちらのものか。 と問い合わせた経緯が御座います。 「特定の塔ではない」との回答でした。 町内には斑鳩三塔が建ちますね。 五重ならば「法隆寺」を想起されますが、 描かれているのは、三重と見て取れます 「法隆寺」に在らず「法起寺」か、はたまた「法輪寺」か三方丸く治めた処でしょうか。(幻論乙坊さんより)
下水管マンホール蓋

王寺町


町の木ウメ、町の花サツキと、 聖徳太子の十七条の憲法第一条「以和為貴」(和をもって貴しとなす)の精神を引継ぐ地域のシンボルの和(やわらぎ)の鐘のカラーデザイン。 周囲は4重の凸模様。「おうじ」「おすい」の表記。
汚水管マンホール蓋

いきいき健康ウォーキング 平成29年度皆勤賞
 
長さロングで汗かきなわんちゃんにはとてもありがたいです。