【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

大仏鉄道遺構めぐり 2021-11-13

2021-11-22 | 健康ウォーキング

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう
ふるさと散歩:NPO法人 ふるさと案内・かも

★大仏鉄道とは
現在のJR関西本線の前身「関西(かんせい)鉄道株式会社」が、名古屋方面から大阪に向けた路線を計画していました。その内、加茂から奈良の路線は山の中を最短距離で大仏駅へとつないでいました。距離は8Kmです。この路線の通称が「大仏鉄道」です。
この大仏駅は明治31年4月に開業しました。このお蔭で伊勢や名古屋からの、大仏参拝客が大勢利用し始め、一条通から東大寺転害門近辺の通路は大いに繁盛しました。翌32年5月には念願の奈良駅までの延長、乗り入れを果たし大阪への交通の便も大幅に改善されました。
しかしその結果、大仏駅の利用客は減り奈良駅からの利用客が増加するようになりました。おまけに大仏線は急坂の黒髪山をトンネルで超える難所がある一方で、加茂から木津へ新設した平坦路線が明治38年に奈良線・片町線とともに木津駅で直結することになり、大仏線の客は急減していきました。その上に鉄道の国有化法が明治40年から施行されることになって、ついに大仏線は明治40年8月廃線となってしまいました。わずか9年の営業でしたが、加茂の町の発展にとってはとても有意義な鉄道であったと言えます。

1ランプ小屋




機関車の前照灯や客車内の照明灯、列車の尾灯などには石油ランプが使われました。この建物は、石油やランプ類を保管するための倉庫です。
オランダ積みの赤レンガ造りで、切り妻瓦屋根の倉庫としては珍しく明治30年10月完成の建物です。

2.C57型蒸気機関車




静態保存されたC57型(SL)で、昭和47年4月に残っていた旧大仏線の線路を使ってここに設置され、保存・展示されることになりました。主に客車を引いて、急行列車として走りスピードも出ていました。昭和3年4月当時の皇太子殿下(現上皇様)がご結婚報告の為。伊勢神宮及び畝傍御陵参拝の折り、お召列車を引いた機関車です。

3.4.観音寺橋台。

「わんちゃん、電車の音が聞こえるよ」っと。そばにはここを通る大和路線の時刻表がありました。

鹿背山橋台


加茂駅から西に向かって南側に、大和路線と並行に築堤跡といくつかの橋台が見られますが、代表格がこの二つです。これは御影石の切り石積みで、100年を過ぎた今も亀裂もなく、当時の工事の素晴らしさが伺えます。

5.梶ケ谷隧道(トンネル)


線路の築堤を造る際、農道と水路を確保するために設けたトンネルです。築堤は少し前まで道路として使っていました。近くのゴルフクラブの入り口から見ると、一目で軌道跡と分かる風景が残っています。
今は城山台の開発で新しい広い道路ができています。したがって今は全く使われていません。このトンネルのアーチはイギリス積みレンガ、側壁は御影石という贅沢な造りです。赤橋とともに大仏鉄道遺構の代表格と言えます。

6.赤橋


下梅谷への旧市道に架かる大仏鉄道線路架橋で、赤レンガ造りで角のところには御影石で補強をされています。他の橋台と比べて、一番高くきれいで見ごたえがあります。見上げると今にも赤い機関車が走ってきそうな景観を残しています。

7.井関川橋梁跡
井関川を跨ぐ鉄橋があった所です。現在では、当時を偲ぶ痕跡は見当たりません。南北に走る道路に、線路跡を思い浮かべるぐらいでしょうか。

8.松谷川隧道


ここは大仏線築堤の下を農道として長い間使用されてきました。高さ4m,巾2.3m,長さ15mのトンネルです。今は宅地開発で一方が塞がれ、通り抜けることは出来ません。

9.城山台公園(大仏鉄道公園)

芝生の広場が広がるこの公園は、別名を「大仏鉄道公園」と呼び、廃線モニュメントが置かれています。

ここで解散、梅美台西バス停からバスで加茂駅前へ、その前にランチです。

松谷川隧道のそばから見えてました。
梅美台西:幡 本店 Lier幡 | 幡・INOUE (asa-ban.com)

1茶美豚のソテー
2オニオンソース副菜
3 蓮根のマスタード和え
4人参の卵炒め
5胡桃じゃこかぶと薄揚げの味噌汁
6 古代米のごはん

中食ランチ ¥1,760(税込)
中食とは外食と家庭料理(お家ごはん)の中間を意味し、素材を大切にした味付けを心掛けています。
季節により献立は異なります。とのメッセージあり。
このお店は近鉄大和西大寺駅の駅ナカ(タイムズプレイス)にもあります。

大仏鉄道の大仏駅まで歩いたことがありました。こちら