『昨日の戦地から 米軍日本語将校が見た終戦直後のアジア』 ドナルド・キーン編 松宮史朗訳
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1945年9月から翌46年2月まで、日本、韓国、中国、ハワイに駐在した米軍日本語将校9人の間で交わされた書簡集。
以前読んだ『日本兵捕虜は何をしゃべったか』には、米軍が前線で回収した?{語文書(機密文書、地図、備品明細書から日記、手紙など)や日本兵捕虜の供述から米軍がどんな情報を得てそれによってどんな対日戦略?メみ出したかが書かれていたが、この本には、それらの日本語情報を英語に翻訳する仕事をしていた若者たち自身の生の言葉が書かれている?B
彼らは1915年から22年にかけて、あるものは在日アメリカ人として日本に生れ、あるいは日系人として、また生粋のアメリカ人として生れ、それぞれが開戦後日本語将校養成学校で日本語と日本文化、日本人について日系アメリカ人教官の指導を受けた。終戦時まだ20代だった若者たちにとって、ろくな専門知識もないジャーナリストの不完全な日本報道は、今後の日米関係のために何の利益ももたらさないものとしてうつった。そこで、ちゃんと「日本」について知っているはずの自分たちの目を通した記録を交換しようと書き始められたのがこの40通の手紙である。
雰囲気は今のBlogにかなり近い。ただ書いておくだけじゃなくて、はっきりと読み手を意識した口語体で書かれているところなんかもろにBlogである。
ここでまず注目するべきなのは、これらの手紙を書いたのが、全員当時20代初めから30歳ちょうどの若者だったことだ。彼らは除隊・帰国後それぞれに学問の道に復帰し、長じて名門大学で教鞭を執る研究者となったり外交官になったりした。結果からみれば9人全員が第一級のインテリたちだったわけだが、それにしても若い柔軟性に富んだ観察眼から描き出される日本とアジアの情景のリアリズムのみずみずしさはまさに圧巻というほかない。
それだけに、ここに書かれた真実の重さと意外さには慄然とさせられもする。現代の日本で一般常識とされる戦後史の誤摩化しがここにはない。彼らの視線が常に最大限公明正大であったとはいわない。偏見も誤解ももちろんある。だがそれだからこそ、日本人に完全に伏せられ、なかったことにされている真実が改めてあざやかに浮かび上がってくる。
これらの手紙には具体的には、捕虜や軍人・民間人や皇族(!)を含めた日本人・中国人・朝鮮人・在外アメリカ人などとの会見とインタビューの内容、現地で見聞きした人々の生活、風俗、経済状況、戦況(中国は当時内戦中)、任務とされた調査活動など多岐に渉る内容が書かれている。また、彼ら自身の日本復興に対する考察も述べられている。
どの手紙も非常に新鮮で興味深い。1945年8月15日の玉音放送を以て戦争は終わったが、現実にはそれからすぐ「戦後」がやってきたわけではない。長く苦しい軍国主義の下で生きていた日本人は、敗戦によって道標を失い、呆然と立ちすくんでいた。誰も彼も、どうすればよいのか、どこへいけばよいのかわからなかった。この書簡集には、そうしたモラトリアムの時期を経て自ら「戦後」を歩きだすまでの日本人たちの、ごく自然な在り様が実にクールに、かついきいきと描かれている。時期としても立場としてもかなり貴重な記録ではないだろうか。
逆にいえば、こんな混乱期を記録しておく余裕のある人間が、当時の日本にはいなかったのかもしれない。
ゆるやかに右傾化していく21世紀の日本。
もう60年も前のことだからと事実をねじ曲げて平気な顔をしている方々に、是非とも読んでいただきたい一冊です。
読めば必ず、なぜ戦争が起きたのか、あの戦争のどこが間違っていたのかも、おのずとわかってくるはずです。
まだ若かった執筆者たちは確かに理想主義的すぎるかもしれない。でも理想主義者にしかいえない言葉には時代を超えて普遍の重みがあると、ぐりは思います。
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1945年9月から翌46年2月まで、日本、韓国、中国、ハワイに駐在した米軍日本語将校9人の間で交わされた書簡集。
以前読んだ『日本兵捕虜は何をしゃべったか』には、米軍が前線で回収した?{語文書(機密文書、地図、備品明細書から日記、手紙など)や日本兵捕虜の供述から米軍がどんな情報を得てそれによってどんな対日戦略?メみ出したかが書かれていたが、この本には、それらの日本語情報を英語に翻訳する仕事をしていた若者たち自身の生の言葉が書かれている?B
彼らは1915年から22年にかけて、あるものは在日アメリカ人として日本に生れ、あるいは日系人として、また生粋のアメリカ人として生れ、それぞれが開戦後日本語将校養成学校で日本語と日本文化、日本人について日系アメリカ人教官の指導を受けた。終戦時まだ20代だった若者たちにとって、ろくな専門知識もないジャーナリストの不完全な日本報道は、今後の日米関係のために何の利益ももたらさないものとしてうつった。そこで、ちゃんと「日本」について知っているはずの自分たちの目を通した記録を交換しようと書き始められたのがこの40通の手紙である。
雰囲気は今のBlogにかなり近い。ただ書いておくだけじゃなくて、はっきりと読み手を意識した口語体で書かれているところなんかもろにBlogである。
ここでまず注目するべきなのは、これらの手紙を書いたのが、全員当時20代初めから30歳ちょうどの若者だったことだ。彼らは除隊・帰国後それぞれに学問の道に復帰し、長じて名門大学で教鞭を執る研究者となったり外交官になったりした。結果からみれば9人全員が第一級のインテリたちだったわけだが、それにしても若い柔軟性に富んだ観察眼から描き出される日本とアジアの情景のリアリズムのみずみずしさはまさに圧巻というほかない。
それだけに、ここに書かれた真実の重さと意外さには慄然とさせられもする。現代の日本で一般常識とされる戦後史の誤摩化しがここにはない。彼らの視線が常に最大限公明正大であったとはいわない。偏見も誤解ももちろんある。だがそれだからこそ、日本人に完全に伏せられ、なかったことにされている真実が改めてあざやかに浮かび上がってくる。
これらの手紙には具体的には、捕虜や軍人・民間人や皇族(!)を含めた日本人・中国人・朝鮮人・在外アメリカ人などとの会見とインタビューの内容、現地で見聞きした人々の生活、風俗、経済状況、戦況(中国は当時内戦中)、任務とされた調査活動など多岐に渉る内容が書かれている。また、彼ら自身の日本復興に対する考察も述べられている。
どの手紙も非常に新鮮で興味深い。1945年8月15日の玉音放送を以て戦争は終わったが、現実にはそれからすぐ「戦後」がやってきたわけではない。長く苦しい軍国主義の下で生きていた日本人は、敗戦によって道標を失い、呆然と立ちすくんでいた。誰も彼も、どうすればよいのか、どこへいけばよいのかわからなかった。この書簡集には、そうしたモラトリアムの時期を経て自ら「戦後」を歩きだすまでの日本人たちの、ごく自然な在り様が実にクールに、かついきいきと描かれている。時期としても立場としてもかなり貴重な記録ではないだろうか。
逆にいえば、こんな混乱期を記録しておく余裕のある人間が、当時の日本にはいなかったのかもしれない。
ゆるやかに右傾化していく21世紀の日本。
もう60年も前のことだからと事実をねじ曲げて平気な顔をしている方々に、是非とも読んでいただきたい一冊です。
読めば必ず、なぜ戦争が起きたのか、あの戦争のどこが間違っていたのかも、おのずとわかってくるはずです。
まだ若かった執筆者たちは確かに理想主義的すぎるかもしれない。でも理想主義者にしかいえない言葉には時代を超えて普遍の重みがあると、ぐりは思います。