落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

オタクをめぐる冒険

2007年01月23日 | book
『ヘルファイア・クラブ』 ピーター・ストラウブ著 近藤麻里子訳
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おもろかったです。
去年、豊崎由美氏のブックレビューで紹介されてて勢いで図書館で予約入れたんだけど、順番来るまで3ヶ月かかってる。てゆーかこの番組で紹介されてる本いっつもこんななんだよねー。すげー。
実はぐりはこの手のミステリーは普段ほとんど読まない。とくに理由はないけどね。まあ読書に充てられる時間が限られてるから、どーせ読むならもうちょっと芸術性の高いものを読みたい、みたいな、単なる欲の問題かも。

とはいってもミステリ作家のなかでもピーター・ストラウブは「文学性が高い」としてミステリファンからは敬遠されがちなんだそーだ。ミソは「文学性が高い」んであって、ストラウブ作品=文学ではない、ってとこです。
この小説も完全に娯楽作品だし、娯楽小説にありがちなご都合主義的に安易な展開やプロットの甘さ、矛盾はいろいろあるんだけど、どこが文学的ってディテールがすごい気取ってんの(笑)。ひねりにひねった人物造形とか、エピソードひとつひとつを繰返し多面的に描き出すアプローチ方法とか。
たとえばこの小説の主人公はノラという49歳の主婦なんだけど、出産経験のないその年齢の女性によくあるように、更年期障害が始まり、情緒不安定にもなっている。近所で連続殺人事件が起きて異常に不安にはなっているのに、かつてベトナム戦争で従軍看護婦として働いてた経歴が、必要以上に彼女の正義感をかきたててしまう。
彼女にはごくふつうなところもあればふつうじゃないところもある。知的な部分もあれば単純に思いこみの激しい部分もある。だから読者には彼女の目を通してみている「事実」をどこまで信用していいのかわからない。
でもこのトーンに一度慣れてしまうと、「事実」はひとつでも「真実」はひとつじゃない、という真理に簡単にたどり着いてしまう。ノラという女性はひとりだけど、彼女の周囲の人たちにみえている「ノラ」はそれぞれまったくの別人で、それぞれが少しずつ似ているだけかもしれない。たとえていうならそんな具合だ。

もっとおもしろいのはノラと周囲の男性たちとの関係の変遷が、非常にヴィヴィッドに大胆に描かれているところ。
ノラはおそらくもともと男性にもてる女性なのだが、自分ではまったくそのことに気づいていない。気づいていても、そのことに一切意味を感じていない。
当然のことながら作中にも彼女に言い寄ったり、丸めこんだり、利用したりしようとする男が幾人も登場するのだが、彼女が一貫して信じ理解し、愛そうとするのはデイヴィーという10歳も年下の夫ひとりなのだ。
デイヴィーは妻をまるきり理解していないだけでなく、ファザコンのアダルトチルドレンで虚言癖があり、男性としても大人としても基本的な自立心にすら欠けたどうしようもない夫なのだが、ノラは最後の最後まで彼を信じることを当り前のこととして考えている。そんなノラが読んでいてついかわいくなってしまう。
ノラを誘拐する殺人犯リチャード・ダートのキャラクターもおもしろい。弁護士にしてクライアント専門のジゴロ、直観像素質者にして驚異的な体力と不死身の肉体をもったモンスター。ホントこの人なんでもできるんだよね。ここまで天才的だとコワイの通りこして逆に笑える。

それともうひとつおもしろかったのは、この小説のメインのモチーフになっている『夜の旅』というファンタジー小説の扱われ方。
『夜の旅』の作者は生前にこれ1作しか書いていないのだが、発表以来半世紀以上も熱狂的な読者数十万人の心をつかんで離さないカルト小説だという。なのに文学的にはほとんど評価されていない。出版社は装丁を変えたり「遺稿から発見された」というフレコミで続編を出したり映画化したりして、この『夜の旅』を商品として利用し続ける。文学的価値はないのに、出せばちゃんと売れるからだ。しかも、『夜の旅』を出版した創業者から会社を受け継いだ2代目─デイヴィーの父─は、自社で出版する本を絶対に読まないし、自分ではビジネスレター以外の文章をいっさい書かない人間ときている。
いってみれば、この『ヘルファイア・クラブ』は出版界・文学界も含めたアメリカのインテリ層や、アメリカ社交界の階級意識のインチキを激しく辛辣に皮肉ったブラックコメディーという硬派な面ももってるんじゃないかと思う。
しかし上下2巻は長かった。途中で話忘れまくり。どーなってんだアタシの脳味噌はー。

ちなみに“The Hellfire Club”とは、18世紀イギリスで不良貴族たちが乱交パーティーなどを催して遊んだ秘密クラブのこと。メンバーにはかのサンドウィッチ伯爵、詩人ポール・ホワイトヘッド、財務長官トマス・ポッター、後にジョージⅢ世となるウィリアム・フレデリック、後の首相ビュート伯などがいたらしー。後世になって噂に尾鰭がついてあれこれと伝説やら怪談がまことしやかに噂されたり、小説になったり映画化されたりもしたけど、実質はそんな大したもんじゃなかったっぽいです。
幽霊の正体みたり枯れ尾花、ってか。