『ウリハッキョ』
韓国の映像作家・金明俊(キム・ミョンジュン)監督が2004~5年の1年間、北海道朝鮮初中高級学校に密着取材したドキュメンタリー映画。
131分という長尺ながら去年韓国で一般公開され大変な反響を呼んだ。韓国では戦前戦中に日本に渡ったまま母国に戻らなかった在日コリアンは忘れられた存在となっており、日本に住む韓国・朝鮮人の生活実態はほとんど知られていなかったそうだ。この作品がきっかけになり、韓国でも在日コリアンの捉えられ方は大きく変化しようとしているともいう。
日本に80校ほど存在する朝鮮学校の中でも、この映画の舞台となっている北海道朝鮮学校はやや特殊な学校ではないだろうか。
広大な北海道に朝鮮学校はここ1校しかないので、遠方から入学する子どものための寮が完備されている。日本の小学校にあたる初級から高校にあたる高級までがひとつの学校にまとまっているが生徒数は少なく一学年一クラス、クラス生徒数は10人前後で、長い生徒になると12年間同じ学校同じメンバーで授業を受け、同じ寮で学校生活を送ることになる。
こうなるともう概念的には既存の学校の域は超えている。彼らにとってこの学校は家であり、教師は親、級友は兄弟のようなものだ。また、学校を支える父兄や地元の在日コリアンコミュニティにとっても、年中行事の多い学校は心のよりどころとでもいえるような中心的役割を持っている。
観ていて涙が流れて仕方がなかった。
画面にでてくる子どもたちがあまりにかわいくて、健気で、いたいけで、一途で、自然と涙が出てしまうのだ。
生徒たちだけじゃない、教師も、父兄も、みんなが輝いて見えるのは、みんながひとり残らず「祖国統一」というひとつの方向を向いて一生懸命生きているからだ。視線のゆくてにあるものがなんであっても、人がまとまって同じ目標のために努力する姿は無条件に感動的なものだ。
ぐりも含めて世の中のオトナは、彼らが帰属する社会や政治や歴史の延長にあるものにばかり拘泥するけれど、少なくとも、子どもたちにはそんなものはいっさい関係ない。日が照って雨が降って草木が芽生えて鳥が歌うのと同じように、彼らは当り前にそこに生まれて、そこに生きて、子どもの常として、夢や希望に溢れている。ピュアだ。
それでも、彼らの夢や希望のはかなさゆえに、涙は溢れて止まらない。
学校の外の残酷な現実を、映画ではことさら強調はしていない。事実を簡単に述べるだけにとどめてある。
それだけに、子どもに文化や誇りや喜びを教えたい、仲間同士で愛や友情をわかちあいたいという理想のあたたかさがしみる。
ものごとには何にでも多くの側面がある。朝鮮と聞いて今の日本人は何を連想するだろう。何を連想してもいい、でもそこで終わってしまわないで、できるだけたくさんの日本人にこの映画を観てほしいと思う。
政治や歴史も忘れていいです。ただただ、いい映画だから。
全国の上映会情報はこちらで。
韓国の映像作家・金明俊(キム・ミョンジュン)監督が2004~5年の1年間、北海道朝鮮初中高級学校に密着取材したドキュメンタリー映画。
131分という長尺ながら去年韓国で一般公開され大変な反響を呼んだ。韓国では戦前戦中に日本に渡ったまま母国に戻らなかった在日コリアンは忘れられた存在となっており、日本に住む韓国・朝鮮人の生活実態はほとんど知られていなかったそうだ。この作品がきっかけになり、韓国でも在日コリアンの捉えられ方は大きく変化しようとしているともいう。
日本に80校ほど存在する朝鮮学校の中でも、この映画の舞台となっている北海道朝鮮学校はやや特殊な学校ではないだろうか。
広大な北海道に朝鮮学校はここ1校しかないので、遠方から入学する子どものための寮が完備されている。日本の小学校にあたる初級から高校にあたる高級までがひとつの学校にまとまっているが生徒数は少なく一学年一クラス、クラス生徒数は10人前後で、長い生徒になると12年間同じ学校同じメンバーで授業を受け、同じ寮で学校生活を送ることになる。
こうなるともう概念的には既存の学校の域は超えている。彼らにとってこの学校は家であり、教師は親、級友は兄弟のようなものだ。また、学校を支える父兄や地元の在日コリアンコミュニティにとっても、年中行事の多い学校は心のよりどころとでもいえるような中心的役割を持っている。
観ていて涙が流れて仕方がなかった。
画面にでてくる子どもたちがあまりにかわいくて、健気で、いたいけで、一途で、自然と涙が出てしまうのだ。
生徒たちだけじゃない、教師も、父兄も、みんなが輝いて見えるのは、みんながひとり残らず「祖国統一」というひとつの方向を向いて一生懸命生きているからだ。視線のゆくてにあるものがなんであっても、人がまとまって同じ目標のために努力する姿は無条件に感動的なものだ。
ぐりも含めて世の中のオトナは、彼らが帰属する社会や政治や歴史の延長にあるものにばかり拘泥するけれど、少なくとも、子どもたちにはそんなものはいっさい関係ない。日が照って雨が降って草木が芽生えて鳥が歌うのと同じように、彼らは当り前にそこに生まれて、そこに生きて、子どもの常として、夢や希望に溢れている。ピュアだ。
それでも、彼らの夢や希望のはかなさゆえに、涙は溢れて止まらない。
学校の外の残酷な現実を、映画ではことさら強調はしていない。事実を簡単に述べるだけにとどめてある。
それだけに、子どもに文化や誇りや喜びを教えたい、仲間同士で愛や友情をわかちあいたいという理想のあたたかさがしみる。
ものごとには何にでも多くの側面がある。朝鮮と聞いて今の日本人は何を連想するだろう。何を連想してもいい、でもそこで終わってしまわないで、できるだけたくさんの日本人にこの映画を観てほしいと思う。
政治や歴史も忘れていいです。ただただ、いい映画だから。
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