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落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

accept the good

2008年04月05日 | movie
『モンゴル』

おもしろかったよ。
アカデミー賞は結局穫れなかったしIMDbのレビューも賛否両論だし、試写の評判もイマイチな感じだったけど、ぐり個人としては充分、ばっちり楽しめました。大体チンギス・ハーンって社会科とか歴史の授業では習ったけど、人としてどういう人物だったかは今に至るまでほとんどなんも知識ないもんね。そーゆー無知な一観客としては、娯楽アクション・スペクタクルとしてまったく何の抵抗もなく観れましたです。
浅野忠信のモンゴル語も思ったより不自然じゃなかったし。てゆーかそれをいいだしたら孫紅雷(スン・ホンレイ)だってネイティブじゃないしねえ。浅野氏は今までもいろんな言語で海外作品に出てるけど、毎回それなりにうまく対応してるよね。言語感覚が敏感なんじゃないでしょーか。

映画ではチンギス・ハーンが「チンギス・ハーン」になる前、テムジンという名で呼ばれていた若かりし頃を描いている。監督によればこの作品は三部作の一作めだそうで、ラストシーンも思いっきり途中、物語が完結しないまま終わる。
けどぐり的にはこれはこれで完結してもいいような気もする。映画では史実にかなり大胆な新解釈を加味して従来の「チンギス・ハーン」像とはまったく異なる人物像を描いているのだが、それは彼がまだ「チンギス・ハーン」になる以前の時代を題材にしているからこそ可能だった表現であって、「チンギス・ハーン」になった以後を描くとなったらこれほどの自由がきくかどうか多いに疑問だから。
ただこういう自由なアレンジがもともとの「チンギス・ハーン」像を裏切るものとして一部の観客に否定されてもいるのだろうとは思う。ぐりは別にいいと思うけどね。もう800年も前の人なんだしさ。ほとんど伝説なんだし。

孫紅雷は嬉しいことに準主役でしたです。主人公の盟友ジャムカ役。ファンは必見です。ちょーかっこええですよ。キャラは『セブンソード』の風火連城とカブりまくってますけど。いいんです。似合ってるからー。ホントこの人はこういう「ちょっと悪っぽい豪傑」役がすっごくすんなりハマる。実は浅野くんの友だち役にしては貫禄ありすぎじゃ?とか思ってたけど、1970年生まれって意外と若いのね(爆)。ははははは(汗)スイマセン。

伝説的なほどに人を殺しまくったチンギス・ハーンの話なので、暴力描写がエグかったらどーしよー?と思ってましたが、大丈夫、全然なんてことなかったです。エグさでいうなら『女帝 エンペラー』とか『ヒマラヤ王子』の方がずっとクドかったです。
あと監督が自分で撮影してるってのもあってカメラワークが独特でおもしろかった。アクションシーンの見せ方にもなかなか新鮮な工夫もあったし、アクションあんまし興味ないぐりでも充分臨場感満喫できました。
前評判もアレだし観よっかな?どうしよっかな?と考え中の方もおられるかとは思いますが、『セブンソード』とか『女帝』とか『ヒマラヤ王子』が楽しめた人なら普通にオススメですよ。

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2008年04月05日 | movie
『悲しみが乾くまで』

『ある愛の風景』『アフター・ウェディング』のスサンネ・ビアのハリウッド進出初監督作品。
オードリー(ハル・ベリー)の夫ブライアン(デヴィッド・ドゥカヴニー)は子どもにせがまれてアイスクリームを買いに出て偶然暴力事件に巻きこまれ、呆気なく死んでしまう。葬儀の日、オードリーはブライアンの幼馴染みジェリー(ベニチオ・デル・トロ)に訃報を知らせる。ジェリーが麻薬中毒で周囲の人々に見捨てられていくなか、ブライアンだけは彼を見捨てなかったのだ。

『ある愛〜』『アフター〜』と同じく、死の影に揺れる大人の男女の三角関係を描いたメロドラマ。
妻が絶世の美女で後から登場する男がいわゆる“だめんず”という設定では『ある愛〜』の別バージョンともいえる物語になってます。とくにブライアンの死後、彼の不在を埋めるように一家を癒そうとするジェリーのキャラクターは『ある愛〜』の弟ヤニックとぴったり重なる。
だが『ある愛〜』と違って『哀しみ〜』のヒロインの夫は決して戻ってこない。彼はほんとうに死んでしまった。死んで、つめたい地面の下にしんと横たわっているだけ。妻や娘や息子がどれだけ彼を恋しがってももう抱きしめてはくれない。その欠落は何をもってしても埋まることはない。遺された者は、欠落の存在を自ら受け入れ、認め、慣れていくしかない。
言葉でいうほど簡単なことではない。突然愛する者を奪われた人間の常ながら、オードリー一家もなかなかブライアンの死を現実として受け止められない。ジェリーは彼らの傍にいて、ただ黙って時間が解決するのを待っているようにもみえる。だがジェリーもまた親友を失った哀しみを抱えている。

ほかの2作もそうだけど、この監督の作品にはかなり大胆な省略と、異常に繊細なディテールの蓄積という、一見相反する要素の化学変化が特色になっている。
たとえばこの『哀しみ〜』でいえば、登場人物それぞれの背景や内面はあまり細かくは描かれない。たとえばブライアンのジョギング仲間だった隣人のハワード(ジョン・キャロル・リンチ)や、オードリーの弟ニール(オマー・ベンソン・ミラー)などは物語に相応に重要な役割を果たしているのだが、彼らと主人公たちとの関係や彼ら自身の人物設定を具体的に説明する表現はほとんどない。ただただ何気ない生活の情景を淡々と描写したシーンの連続だけで、一家と周辺の人々との関わりが表現されている。
それとは逆に、ドアをノックするシーンがくどいほどしつこく登場する。ドアの場所はさまざまなのだが、誰かが誰かを訪ねるシーンでドアを挟んだやりとりが省略されることはまったくない。どのシーンでも必ず、ノックと応答の会話がリアルに再現される。おそらくこれは、劇中で繰り返される「accept the good(善は受け入れろ)」というキーワードの象徴でもあるのだろう。傷つき悲しみ、自らの無力におののく人の多くは自分の殻に閉じこもり現実から逃避することで痛みを慰めようとしてしまいがちだが、ほんとうはいつまでそうしていても何も解決はしない。前に進むために、おとなう者を拒まずに受け入れることから始めるくらいなら誰にでもできる。

原題は「Things We Lost in the Fire」。「accept the good」と同じくブライアンの生前の台詞による。
一家はしばらく前にガレージを火災で失ったのだが、ブライアンは取り乱した妻に「燃えたのはただのモノだよ」と諭す。家族はみんな無事だったんだからいいじゃないかと。
死んだブライアンはもう二度と妻や子を抱きしめてはくれない。だがたとえ肉体は滅びても愛は滅びはしない。確かな愛の思い出を支えに、遺された者たちがしっかりと次の一歩を踏み出していく、その過程を実に情緒豊かに描いた、非常にいい映画でした。
また残念なことに映画館ガッラガラだったんだけどね。なんでじゃ〜。
監督はまだ無名でも製作はサム・メンデス、撮影はイーストウッド組のトム・スターン、テーマ音楽はグスターボ・サンタオラヤとスタッフはけっこう豪華だし、すごく完成度の高い傑作なんだけどね。