落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

金の話

2008年04月13日 | movie
『王妃の紋章』

1933年に発表され、中国ではしばしば上演されていて過去にも何度か映画化されている戯曲『雷雨』(曹禺ツァオ・ユイ著)を原作とする時代劇アクション。
武力で国を制圧した皇帝(周潤發チョウ・ユンファ)は政略結婚で二度めの妻(鞏俐コン・リー)を娶るが、以来10数年が過ぎてふたりの間はすっかりひえきっており、皇后は前妻の息子である皇太子元祥(劉燁リウ・イエ)と不倫の恋に溺れている。そんな彼女に皇帝は毎日毒を盛り、皇后は毒と知りつつ黙って服薬し続けていた。重陽の節句にある陰謀を決行すべく計画を練りながら・・・。
まーーーーーーとにかく、豪華。衣装もセットもひたすらキンキラキン。そしてすべてがハンパなくデカイ&多い。宮殿がデカけりゃ食卓もデカい、菊の花も多けりゃ兵士も多い。そーゆー意味でもとっても中国的。色彩感覚やスケール感があまりに中国的なので、中国文化に馴染みのないヒトはちょっとひいちゃうかもです。あ、でもここまでやりきってたら逆に、これはこーゆーファンタジーとして受け入れやすいかも。

ぐりはべつに張藝謀(チャン・イーモウ)ファンではないし、製作費50億円の巨編だからとかオールスターキャストだからとか本国で大ヒットしたからとか、そーゆーことではあんまし映画に期待したりはしないので、これはこれでふつうに楽しめたんだけど、まあ好き嫌いは分かれる作品ではあると思います。
やっぱりねえ、シナリオの完成度がちょっと・・・うーん。もともと家庭内の閉ざされた人間関係の中での話だった原作を無理矢理に王朝絵巻にしてあるので、合戦シーンとかアクションパートが物語から浮き上がって見えるんだよね。なんかあんまし必然性がないとゆーか。
あと物凄く気になったのがライティング。衣装やセットがケバいのにはとくに文句はない。日本だって欧米だって、宮殿や教会などの巨大建築物はみんな権力の象徴だったから本来は極彩色のキンキラキンだったはずで、それに現代人が違和感を感じるのは実際に目にする現物がボロくなってキンキラキンじゃなくなってるから、というだけの話である。でも電気照明のない時代の話なのに、一日中あそこまでガンガンビカビカにライティングせにゃいかん理由はよくわからない。画面の彩度が高すぎて目が疲れるし、大体画面構成として散漫になりやすい。どこ観ていいのかわかりにくい。時報のシーンが定期的に出てくるのになぜ常に同じライティングなのか、せっかくだから時刻にあわせて太陽の位置や明度を変えるくらいの演出があってもいいと思うんだけど。
それと音楽がやたらうるさいのも気になり。もっと自信もって仕上げりゃこんなにBGMいらんハズでしょ。
キャスティングは周杰倫(ジェイ・チョウ)以外(爆)はたいへんすばらしかった。ジェイに才能がないとかゆーつもりはないが、本格的な訓練を受けた大陸俳優や超大ベテラン映画スターに囲まれるとどーしても硬さが目立つし、やっぱし中世の皇子とかそーゆーキャラはイマイチうまくハマってるよーにはみえず。劉燁は毎度ながらスゴイんだけどね。もうぶっちぎりのヘタレっぷりがむしろ天晴れとでもいいますかー。新人の李曼(リー・マン)と秦俊杰(チン・ジュンジェ)はかなりよかったです。将来が楽しみやね。

物語自体が非常におもしろかったので、機会があれば原作を読んでみたいです。
例によって映画館はチョー空いてましたが(爆)、コレおっぱい好きな男性の方には是非ともオススメな作品ですよ(笑)。出てくる女性出演者全員が、見事な爆乳ぷりぷり半出しでがむばっておられます。あそこまでいっぱいおっぱい出て来たらそらもう壮観でございますよー。ははははは。
それと、某所でこの映画のCGがチープだとゆーレビューを書かれてた評論家さんがおられましたが、この映画CGはほとんど使ってないはずです。メイキングをみれば一目瞭然だけど、あの巨大セットも大軍勢エキストラもみーんな実写。カメラワークに全然芸がなかったからねー。クレーンとか使ったダイナミックなフライスルーとかあるかと思ってたんだけど。実写も撮り方によってはウソくさくなってしまうといういい見本(?)ですな。

金の話

2008年04月13日 | movie
『フィクサー』
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B00130HI88&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

マイケル(ジョージ・クルーニー)は大手弁護士事務所に勤務する“もみ消し屋=フィクサー”。離婚を経験し、レストラン経営に失敗したうえギャンブル中毒で、弁護士といえどもキャリアの上でも経済的にも余裕のない45歳。あるとき同僚弁護士のアーサー(トム・ウィルキンソン)が裁判で突如奇行に及んで逮捕されてしまい、事後処理を命じられる。アーサーは農薬による健康被害で3000億円もの損害賠償を求められた企業を6年間弁護していたのだが、その間に原告側の主張の正当性に気づき、刑事告訴に必要な証拠を集め始めていた。
アカデミー賞で助演女優賞を受賞したティルダ・スウィントンは被告である農薬メーカーの法律処理担当・カレン役。

ある種の法廷モノだが裁判のシーンはないし、主演のジョージ・クルーニーはフィクサー役という設定だが、フィクサーとして実際に仕事をするシーンもない。
物語の主軸は主人公やアーサーが大企業の不正を暴くという正義の主張なのだが、映画にはわかりやすいいわゆる“正義の味方”的キャラクターもいない。登場人物のほとんどが、常にカネのことを考えている。冒頭のシーンで轢逃げ事故を起した大口顧客(デニス・オヘア)のシーンが如実にそれを物語る。彼はハナから自分の犯した罪の重さなどいっさい考えていない。考えているのはとにかく一刻も早くその罪から逃れることだけで、かつそれが当然、その権利が自分にあって当たり前としか考えていない。カネと権力を持つ者の傲慢と心の貧しさを象徴的にデフォルメした場面である。

映画には“正義の味方”は出てこないけれど、それに代るキャラクターとして登場するのがマイケルの息子ヘンリー(オースティン・ウィリアムズ)である。利発だがまだ小学生の幼い男の子の彼に、マイケルは父として希望と強く生きていく勇気を教えようとする。父子のやりとりは非常にストレートで、それだけを聞いていると非現実的な綺麗事のように感じてしまうのだが、その他のパートではさんざっぱらカネカネカネカネカネの大合唱なので、観客のアタマをクールダウンさせるにはちょうどいいアクセントになっている。

マイケルもアーサーもカレンも、法律とカネの力で状況を思い通りにコントロールすることを生業としているのだが、3人ともがそのことで自分を見失い、危うく崩れかけた人生をよろよろと生きている。優秀なやり手弁護士や大企業の幹部といった特殊なエリート性は、彼らを苦しめはしても助けはしない。それが彼ら自ら選んだ生き方であるにもかかわらず。
訴訟が産業化して久しいアメリカ社会を強烈に皮肉った物語でもあるのだが、物語の病み方が若干重すぎるような気もしました。けっこう小難しい台詞が多いわりにそれ以外のパートの台詞はイマイチ平凡で、シーンやパートによって会話の完成度にバラツキがあって、なんとなく全体的にバランスがもうひとつとれてないような感じはしましたです。
しかしジョジクルやティルダをみていると、人間の美しさってほんとうに複雑なものだなとしみじみ感じる。ふたりとも役づくりのためもあって、外見的にはわざと“ブラッシュ・ダウン(?とゆーのかな?)”してあるのに、それでもきっちりかっこいい。かっこいい人は何をやってもかっこいいってことなのかなー。