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落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

負け犬にも三分の理

2008年04月25日 | book
『肝、焼ける』 朝倉かすみ著
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昨日のTBSラジオ「ストリーム!」のコラムの花道は二大書評家・豊崎由美氏と永江朗氏両者による「本はなぜ売れなくなったのか?出版不況の問題」。
おふたりがどう考えてるかは番組を聴いていただくとして、ぐりがあまり本を買わなくなった理由はもう「本屋に行かなくなった」、コレに尽きる。
ぐりはもともと本屋が大好きで、大学に入学して初めてのアルバイト先もまず本屋だった。時給¥620(マクドナルドより¥300以上安かった)ではとてもやってけないので3ヶ月で辞めたけど(爆)、それでも一度はどうしても本屋で働いてみたかったのだ。けど実際にやってみたらコレが意外に重労働で、大好きな本に囲まれて働けるなんてステキー♪なんて浮かれ気分は瞬時に叩き潰されることになった。
ぐりが本屋にいて楽しいのは、棚に並んだたくさんの本たちみんなの「オレを読め!」「あたしをみて!」と呼ぶ声が情報の雨のように脳を刺激して、異様な高揚感を感じるところだ。昂奮しすぎてわりとあっという間に疲れてしまうので、ヘタに長居をするとへとへとになって何も買えないまま退散するか、どうでもいい本を山ほど買ってしまって大後悔するかのどちらかである。
でも昔は今ほど疲れなかったように思う。やっぱり新刊が多過ぎてしかも出版物自体の質が落ちたからなのだろうか。流行りモノ一色の特集コーナーや、頼まれても読みたくないような類いの新刊が山積みされたワゴンや、やたらめったらカラフルなポップまみれの平台を見ただけでげんなりしてしまう。
だから今は、読みたい本はまず図書館で借りて読んで、くり返し読みたいくらい気に入った本や、所有しておきたい本だけを通販で買うようになった。本屋に行くのは気分転換や情報収集のときだけに限られるようになった。
本屋に行けばワクワクウキウキする気持ちには今も変わりはない。けど、正直にいってそれほどひんぱんに行きたいとは思わない。昔のようにゆっくり落ち着いて本が選べるような店なら通いたいけど、そういう店はなかなかないんだよね。

そんなワケでぐりは日本の現代作家にヒジョーに疎い。完全にブックレビュー頼りである。文学賞とか映画化とかはハナからどーでもいい。本屋さんはなんか勘違いされてると思いますが、本読みって人種はそーゆーの大体あんまキョーミないんじゃないかね?
頼りにしてるレビューはほとんどが一般読者のブログと、それと「ストリーム!」。この本もだいぶ前にトヨザキ社長がオススメされてた本です。表題作の他に4編を収録した短編集。いずれも20〜40代の女性を主人公にした結婚をめぐる物語である。どれも社長のいう通りメチャクチャよく書けてて素晴しかったのだが、中でも共感したのは『肝、焼ける』と『コマドリさんのこと』。
『肝〜』は24歳の御堂くんに恋した31歳の真穂子が、御堂くんの転勤先に旅するお話。
『コマドリ〜』は周りに「いいお嫁さんになるよ」といわれながら独身のまま40代になったコマドリさんのお話。
『肝〜』の真穂子は読んでて「これってアタシのことじゃない?!」と怖くなってしまうくらい、ぐりによく似ていた。自分ではいいオトナのつもりで、年甲斐もなく恋愛でみっともないことはしたくなくて、でも結局どうしたいのかがわからない、不器用な真穂子さん。御堂くんと出来るだけ対等でいたくて、対等でいられなくなることがこわくて、それでも御堂くん恋しさを抑えきれない真穂子さん。わかるよそれ!わかるわかる!と読みながら何度も声を大にして叫んでました。心の中で。
コマドリさんは逆にぐりと似たところはあまりない。公務員の家庭に生まれ育って、少女時代からずうっとさっぱりモテなくて、花嫁修業に着付けとお花を習ってはみたものの3度のお見合いは全滅、年齢=彼氏いない歴のまま、処女のまま40代になったコマドリさんだけど、それでも「あ、おんなじだ」と思ってしまうところがあった。まず“ロマンチックは向こうから来てもらわないと困る”ってところと、恋愛で傷つくことに異常に臆病なところ。

どれもこれも設定としてはけっこうイタイ話ばかりだけど、共通しているテーマは「女の矜持」。
21世紀になっても「女は産む機械」なんて大臣の言葉に臆面もなく賛同する人間がいるくらい時代錯誤な日本の男女観。みんな口では当たり障りのないことをいうし、日本の世の中は男女平等だとカンペキに思いこんでいる人も大勢いるに違いない。
けど全然違う。全然平等なんかじゃない。
結婚しない女・結婚できない男が増えた最大の原因は、この建て前と現実のありえないほどの巨大なギャップに他ならない。なんだかんだいって、女は結婚すれば子どもを産むものとみんな思っている。子どもを産めば仕事なんか辞めて家庭に入って当り前だとみんな思っている。子どもが大きくなって家計がしんどくなったら社会復帰するのはアリだけど、所帯持ちの女を出産前と同じ条件で雇ってくれる職場なんか現実には存在しない。そして自分たちの親が年をとってくれば介護するのは女の役目だと、やはりみんなが思っている。結婚もせず子どもも産まない女は生きてる資格ないでしょ?なーんて、ココロのどっかでみんな思ってたりする。
それ、全然平等じゃないじゃん。結婚も出産も育児も家事も介護もそれぞれに人として大事な一大事業だ。それを「やって当り前」「できて当り前」で片づけられては困る。
この本の物語にはとくにそういうことはくどくどと書かれてはいない。でも登場する女性たちにはそれぞれ、未婚・既婚に関わらず「リスぺクトされたい」というプライドがある。モテるとかモテないとか、年増だからとか若いからとか、そういうグローバルスタンダードはどうでもいいから、生きてる人間として、女だって、リスぺクトされたいのだ。せめて今、向かいあっている相手からはリスぺクトされたい。
損得勘定なんかじゃない、ただ大事にされたいだけ、無邪気にそれを夢みることに罪はないはず。

女性が読めば誰でも激しく共感できること請けあいの名著ですが、ぐりはあえてコレ男性に読んでほしいですね。女心のコワイ部分・もろい部分がすごくリアルに描かれてます。
それとこの朝倉さんという作家は文体が独特でおもしろい。一文一文が非常に簡潔で短くて、感触がすごくさっぱりしてる。雰囲気的には落語を聴いてるみたいな感じの文体なの。言葉遣いもちょっと古かったりして。
これから『田村はまだか』と『そんなはずない』も読む予定です。