落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

東京は雪です

2009年03月03日 | diary
鳩山総務相「国辱もの」 旧東京中央郵便局を視察

桃の節句とゆーのに東京は雪が降っとりますが。
国辱って・・・ねえ。なんでしょーねこの人はー?かんぽの宿問題でもそーだけど、こーゆー風に感情論でぎゃんぎゃん喚けばマスコミのいいカモになるのは確かだけど、それと国民の支持を得ることとはべつってことがわからん政治家がまだいるのねー(過去にもいろいろおられましたよね。あの人とかこの人とか)。あほらし。勝手に泣いてろ。

ぐりも古い建物は好きですが、この旧東京中央郵便局はぶっちゃけたいしたもんじゃないと思う。学生時代アルバイトのおつかいで何度か足を運んだけど、あのころですら既に暗くてぼろくて不便な建物だった。場所が場所なんだし、とっとともっとちゃんとした建物に改築するべきだし、今だって遅過ぎたくらいだと思う。
だいたい日本はもともとが古いものをあまり大事にしないくせに、いざ壊すとなったらやいのやいのと騒ぎたてるだけ騒ぐとゆー、妙な風潮がある。たいていは騒ぎになった時点で計画は半ば進んでしまっているから、施行者や所有者にしてみれば「何を今さら」である。だから結局騒ぐだけで計画が変更されたりはしない。壊されてしまえば反対運動もいつのまにかなかったことになっている。不思議なものだ。

この数年間ガンガンに進められている銀座・有楽町・日比谷地域の再開発でバタバタと歴史的名建築が消えていくのに、今まで政治家は誰ひとり何も発言してこなかった。歌舞伎座も取り壊しが決まっているし、銀座の象徴である和光だってもうじきなくなるし、かの黒川紀章の初期代表作でオムニバス映画『TOKYO!』の「インテリア・デザイン」に登場した中銀カプセルタワービルだって解体される(もうしてるんだっけ?)。ぐり的には、旧東京中央郵便局なんかよりも交詢ビルや三信ビルや越後屋ビルが解体されてしまったことの方がずっとずっとショックだった。淋しかった。
ぐりは学生時代新富町の小さなデザイン事務所でアルバイトをしていて、このあたりはおつかいでよくてくてくと歩きまわった街である。休日にはギャラリーめぐりもした。表通り沿いは近代的な町並みだけど、裏に一本路地を入ると雰囲気のある古いシャレたビルが並んでいて、まだ十代で田舎者のおのぼりさんだったぐりは「ああ東京で暮してるんだなあ」と実感したものだった。
でもこういう古い建物は安全面に問題もあるし、不便だし、不衛生だし、実際に使っている人たちにとっては面倒なことが多い。だから建て替えて効率を図りたいという意志を他人が、ましてや国家権力が邪魔するなんて馬鹿馬鹿しい話でしかないと思う。

くりかえしになるが、ぐりは古い建物が大好きだ。不便だって不衛生だって危険だって、先人が遺してくれたものをみんなで大事にして欲しいとは思う。けどそれは決して簡単な話ではない。政治家や官僚が差し出口を挟んでどうなるというほどのことではない。
たとえばヨーロッパの人たちは古いものをすごく大事にしている。ワルシャワの市民は第二次世界大戦で壊滅的な被害を被った町並みをそっくり再現して今に伝えている。ドレスデンの聖母教会はバラバラになったレンガを12年をかけてジグソーパズルのように組み合せて再建された。フィレンツェでは11世紀の建物に今も人が住んでいるし、ヴェネツィアでは地盤沈下で海に沈んでいく建物を改装してそのまま使っている。
彼らが古いものをそこまで大事にするのは既に感情論のレベルではなく、民族的な精神論の問題のような気がする。彼らにとって経済効率は文化財を守っていくことよりもずっとプライオリティーが低いのではないだろうか。エレベーターが小さくたって、下水管が細くたって、床がきしんでたわんでたって、窓の立付けが極端に悪くたって、大切にして守れるものなら守って当り前、他のことはいよいよというときになって考えればいいさー。みたいなさ。
それを地震と台風の国・日本が一朝一夕に真似しようったって無理があると思う。するんならまず教育改革からやんなきゃだめなんじゃない?国民の意識そのものの問題なんだからさ。


待ち犬。図書館にて。