落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

4年め

2015年03月14日 | 復興支援レポート
今年の3月11日も、東北で過ごした。

この4年、その日はいつも東北にいる。毎年、被災された地域の人たちといっしょにいて、なぜか毎年ちらつく雪を見て、あの日のことを思い出す。
とりたててあの日のことを話したりはもうしない。去年はこうだった、その前はこうだった、などと震災後の3月11日の話はする。2時46分には被災された方々とはちょっと離れたところにいって、黙祷する。その時間が過ぎてから献花台にお花を供えて帰る。そしてごくふつうの夕餉を準備して、リラックスして楽しく食卓を囲む。
ほんとにふつうの1日だ。

今年、静かな被災地で2時46分のサイレンを聞いていて気づいたことがあった。
被災された方々の邪魔はしたくないと思いながら、毎年ここに来てしまう理由に、4度目にしてふと思いあたったのだ。
毎年この日が近づくと、世間では、忘れてはいけない、節目の日だなどと震災や原発事故関連の報道が増える。そして過ぎればまた元通りになる。ふだんは大抵の人は忘れているのに、この時期だけ都合よく思い出したように騒がれる。
それが、いつもいつも堪えられなかった。
東北では震災はまだ終わっていない。ずっと続いている。好むと好まざるに関わらず、それが日常だ。忘れることも逃げることもできない。
いつも東北のことが頭から離れない自分にとって、いつも都合よく震災のことを忘れていられる東北以外の空気との温度差を如実に感じるのが、3月11日なのだ。
思い出したように人があの日を語るのを耳にするにつけ、その距離感がむしろつらくなる。
だから毎年、東北に逃げてしまう。
3月11日もふだんと変わらず平和で静かな東北の田舎にいると、心の底からほっとする。

4年の間、堪え難いつらい悲しい出来事もあった。もちろん楽しいことも、嬉しいこともあった。一生背負っていかなくてはいけないこともある。なんでもないような当たり前のことを、心から大切に思うときもある。そんな時間を東北の方々と、これからもいっしょに過ごしていきたいと思う。
もうもうと土ぼこりをあげて復旧工事のトラックがひっきりなしに行き交う現場を歩いて見て回りながら、4年にしてまだやっと入口にたった長い長い復興の道のゴールを、これからも、ここの人たちの傍で見守っていたいと思った。

なにしろ東北はいつ来ても美しい。空は青く広く、海は息を呑むほどに澄んで、夜の星空はまさに宝石の粉をまいたように光り輝いている。ときどき、あまりの美しさに涙が出る。
でもこの美しさも永遠ではない。これから復旧工事が進んで、本格的に防潮堤建設が始まれば風景も一変するだろう。
だがセンチメンタルだけで復興の長い道程を語れるほど災害は甘くはない。個人的には、地元の方々の感情を無視した復興事業のあり方に疑問を感じることは数限りなくある。だからといって、何をする目的もなくただ声高に批判しても誰も救われはしない。
できることをするだけ、いまは、なるべくならそばにいる、それしかできないけど、そうしたいと思っている。


復旧工事中の港。

復興ボランティアレポート

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被災した翌年にはフカヒレを干してた村芳水産を今年もみにいったけど、周りの工事の土ぼこりがひどいせいか、今年は干してなかったです。


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