落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

誰が子どもを殺したのか

2008年04月21日 | book
『秋田連続児童殺害事件―警察はなぜ事件を隠蔽したのか』 黒木昭雄著
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秋田連続児童殺害事件とは、2006年5月18日に秋田県の川べりで前日から行方がわからなくなっていた当時小学一年生の男児が遺体で発見され、その後、被害者宅の2軒隣の主婦が死体遺棄容疑で逮捕された事件。容疑者は事件の前月に当時小学4年生だった娘を“水死”で亡くしたばかりだったのだが、取調べが進むと娘も自ら殺害したことを自供、ふたりの子どもの殺害容疑で逮捕起訴され、先月一審で無期懲役の判決がおりたが、弁護側・検察側の両者ともに控訴中である。

ぐりはこの事件のころ既にTVをまったくみなくなっていたのだが、それでもこの時期のマスコミの狂乱ぶりは記憶に新しい。電車で通勤していればイヤでも目につく週刊誌の車内吊りには、娘を亡くした悲しみから近所の子どもを発作的に手にかけたという当初の被告の供述が翻されて以来、やれ水商売だの売春婦だの男狂いだのセックス狂だの、ろくに食事も与えず娘を虐待してただの、直視に堪えないほど醜悪なゴシップが満ちあふれていた。
いうまでもないがそれらの報道の大半は真っ赤なウソ、完全なデタラメだった。そしてその根源は、被告の娘の死をほとんど捜査もせずに事故と決めつけた警察からのリークだった。
ここまでは大してショッキングな話ではない。ストーカー規制法成立のきっかけとなった桶川ストーカー殺人事件(『遺言─桶川ストーカー殺人事件の深層』)で、被害者と遺族がさんざんに嘗めた屈辱を思い返せばいいだけの話だ。あの時、埼玉県警は何度も被害者にストーカー被害の相談を受けたにもかかわらずまったく捜査をせず、結果として被害者は殺されてしまうという悲劇を招いただけでなく、ごくふつうの学生だった被害者をあたかも派手好きで遊び好きな風俗嬢であるかのように仕立て上げ、「殺されて当り前の女」というウソのイメージを宣伝した。後に警察内部で捜査上の不正が発覚、署員3名が実刑判決を受けたものの、遺族が起した国家賠償請求訴訟は一昨年夏に最高裁で原告敗訴が確定している。

ところがー。この秋田連続児童殺害事件では秋田県警では誰ひとり、いっさい何の処分すら受けていないのである。やるべき捜査を完全に怠った上、事実に反する広報を垂れ流し、捜査内容を捏造までしたことが明らかになっているのに、である。少なくとも、4月に被告の娘が遺体で発見されたときにきちんと捜査をしていれば、もうひとりの被害者はでなかったはずなのだ。
コレ、秋田県民はもっと怒るべきなんじゃないの?だってケーサツは市民の安全を守るのが仕事でしょ?なんでこんなことが起こり得る?どーしてー?容疑者がウソツキだの聞き込みで住民の協力が得られないだの、そんなことケーサツがゆーことじゃないじゃん。このヒトたちカンペキに市民をコケにしてるとしか思えないんですケド。
結論からいえば、この本には“警察はなぜ事件を隠蔽したのか”という肝心な答えは書かれていない。まだ公判中の事件でもあるし、わからない事実が多すぎるからだ。そこは著者もかなりはっきりと潔く述べている。
なのでこの本のテーマは“警察が事件を隠蔽し得る”環境、つまり大本営発表しか報道できない記者クラブ制度の腐敗である。
著者は元警察官なのでそこのその部分についてはさほど厳しく追及はしていない。だが、暗に遠回しに、マスコミも警察に負けず劣らず堕落していることが、事件をここまで醜悪にしてしまったことを指摘しているのだ。

事件そのものについては、今後も裁判の進行とともにまた新たな事実がでてくるだろうし、いずれは被告の真意が明らかになる日が来るかもしれない。
だが、警察とマスコミのこの腐った関係は、国民がもっと明確な意志をもって糾さなくてはならないのではないだろうか。
被害者遺族は既に国家賠償請求訴訟の準備を進めているともいう。そこで何が暴露されるかに注目したいと思う。

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