落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

非現実の鏡

2018年07月01日 | TV
『なぜ君は絶望と闘えたのか』

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鉄工所に勤めるサラリーマン・町田(眞島秀和)が帰宅すると、室内に灯りはなく、妻(田中こなつ)も11ヶ月になる娘(秋葉月花)の姿もない。妻の実家に連絡したところ義母(市毛良枝)から「出かけたのなら抱っこひもやバッグがないはず」といわれて開いた押入れの中で、最愛の人の変わり果てた姿を・・・。
1999年に山口県で発生した光市母子殺害事件を取材したジャーナリスト・門田隆将による同名著書のドラマ化。前後編で2010年放送。

この事件に関しては10年以上前にいくつか関連の書籍や映像作品を観てたので、いま事件そのものについて語るべき言葉はない(末尾に関連記事リンク付記)。
なのであくまで映像作品としてだけの感想を述べるとすれば、ある意味これはちょっと危険な作品かもしれないという気がする。
確かによくできている。シナリオそのものにも力もあるし、映像としても微妙なディテールまで異様なほどの繊細さで再現してあるし、それだけに非常に「それっぽく」観える。完成度も高い(注:後編が平成22年度文化庁芸術祭テレビ部門・ドラマの部大賞受賞)。なのでこの作品を観てしまうと、それで事件のことをわかったような感覚に陥りそうに思える。
だが一方で、このドラマ自体は被害者遺族の本村洋氏(劇中では町田道彦という役名になっている)側の視点に完全に絞って描かれているから、ここに再現されているのはあくまでも事件の一部、死刑廃止論の一部でしかない。たとえば加害少年の顔はほぼまったく映らない画面構成になっているし、彼の生育環境など事件の背景や事件当日から逮捕までの行動など、加害者側についての描写はほぼない。そこまで一貫したスタンスで映像化されたことにも意義はあるが、できることなら、作中のどこかに「この物語はあくまで事件の一側面ですよ」ということがわかるエクスキューズがもっと明確にあってもよかったのではないかと思う。

逆にいえば、それだけこの作品が映像として優れているということもいえるかと思う。ドラマというか映画みたいです。
原作著者をモデルにしたと思われるジャーナリスト・北川役の江口洋介は、この前にも『闇の子供たち』でタイの臓器売買を追うジャーナリストを演じてたし、最近も原発へのテロ攻撃を題材にした『天空の蜂』にも主演してて、正義の人・熱血漢といえばというタイプキャストのように見えて、実際には画面上では狂言回しのような黒子である。とくに活躍したりはしない。
だから実質的な主人公は妻子を殺害され、応報感情に燃えながらも孤独と絶望に苦悶する町田青年なのだが、演じる眞島秀和の芝居がちょっと凄い。あまりの熱演でもう怖い。
髪型などの容貌だけでなく、話し方や何気ない仕草ですら、モデルにあたる本村洋氏そっくりなのだ。眞島氏本人は本村さんとちょうど同年なので、映像化した時点で年齢的にはかなり下の役を演じていることになる(事件発生時本村さんは23歳。ドラマ制作時の眞島さんは34歳)。にもかかわらずまったく違和感がないのだ。若者独特の少し上ずったような高めの発声や、どことなく頼りなさそうな表情や子どものような涙の流し方まで、あのころさんざっぱらTVにでまくっていた若かりしころの本村さんそのままに見える。眞島さん自身は実年齢よりやや大人な雰囲気の俳優なので、芝居魂の恐ろしさを痛感しました。

眞島さんが町田くん(本村氏)を一生懸命演じれば演じるほど、彼のキャラクターが視聴者の共感をひきつければひきつけるほど(ひきつけるだろう)、こうした刑事事件が司法と加害者と被害者だけのものとしてとらえられる社会観のいびつさに強い疑問を感じる。
そもそも司法は加害者のためでも被害者のためでもなく、社会全体をまもるためにあるはずなのに、どうしてか、現代の日本ではそのことはあまり語られない。加害者や被害者の人権をまもるまもらないの議論は確かに非常に重要ではあっても、全体としては断片でしかない。司法の中身が難解だから、感情論でかたづくその断片にメディアが依存したいのもわからなくはないけど、それならそれで、そうしたメディアはあらかじめ「われわれが騒いでるのは感情論でわかりやすい断片だけですよ。われわれがお届けしてるのはあくまでエンタメですよ」とことわってもらいたい。でないとあぶなくてしょうがない。

ドラマは差戻審で死刑判決が下されるところで終わる(実際にその後2012年に最高裁で上告が棄却され死刑確定。現在再審請求中)。判決が下りて裁判所を出た町田くんと、外で待っていた北川が報道陣ごしに視線をあわせ、すがすがしい笑顔をかわすシーンがある。
正直にいって、彼らの表情を観て、どのくらいの視聴者が「よかった」と思えたのかが、とても気になりました。
だから逆に、北川が加害少年に接見したときのジャーナリストとしての混乱を、よりはっきり表現してもらいたかった。
長い長い時間をかけた裁判でも、決して明らかにならないたいせつなことが、たくさんたくさんあること。そうしてだいじなことが無視され、なかったことにされていくことで固められていく欺瞞の醜悪さがどんなに罪深いものなのか。
テレビドラマにそこまで求めるのは、もしかしたら贅沢なのかもしれないけど。


関連記事:
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『福田君を殺して何になる 光市母子殺害事件の陥穽』 増田美智子著
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