落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

ダニエル・レオン

2005年06月27日 | movie
『ワンナイト イン モンコック』
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原題『旺角黒夜』。2004年の作品なので最近の香港映画、それも成龍(ジャッキー・チェン)とか周星馳 (チャウ・シンチー)の大作アクション、あるいは王家衛(ウォン・カーウァイ)と云ったビッグネーム─あくまで日本市場における─が関わらない映画としては比較的早い日本上陸ではないでしょーか。
それもその筈、これは今年の金像奨を始め各映画賞で監督賞・脚本賞を総ナメにした、新しいタイプの“香港ノワール”の傑作なのだ。
いや、観て良かった。観ないとソンです。面白かったよー。そして痛かった。悲しかった。

タイトルの旺角=モンコックとは香港でも有数の繁華街。黒夜→ワンナイトとはある年のクリスマスイブ。
その2日前、この街でチンピラの些細な小競り合いからヤクザの抗争事件が勃発する。一方は敵のボスを暗殺するために大陸から殺し屋(呉彦祖ダニエル・ウー)を呼び寄せる。殺し屋には祖母を訪ねて香港に出たまま音信不通になっている恋人がいた。彼は偶然助けたコールガール(張柏芝セシリア・チョン)の道案内で恋人探しに奔走するが、殺しのクライアント(林雪ラム・シュ)が逮捕され、マル暴刑事(方中信アレックス・フォン=実は『ダブルタップ』の役柄と同一人物。設定もつながっている)は暴力組織の一斉検挙と殺し屋の確保に一大捜査網を展開する。
コールガールの滞在期限はイブの日の正午。それまでに殺し屋は恋人に会えるのか、ターゲットを仕留めることは出来るのか。コールガールは無事故郷に帰れるのか、刑事は事件を解決することが出来るのか。

この映画のこれまでの香港ノワール、黒社会映画と決定的に違うところは、暴力を絶対に肯定しないところです。暴力シーンは多いです。でもそれによって正義や名誉が回復したりはしない。傷つき損なわれるのは常に弱者で、結果はどこまでも虚しい。
さらに因果は応報する。殴った者は殴り返され、殺した者は殺される。裏切り者は裏切りによって自滅するし、自己を過信する者はその過信の前に斃れる。チンピラもヤクザも警察も皆その運命から逃れることは出来ない。それは冒頭の喧嘩のシーンで既に暗示されています。
そこがぐりはとても気に入った。ビミョーに説明的な台詞が鼻につくこともあるけど、それを差引いても、良い映画だと思う。

ダニエルの役柄はかつて『レオン』でジャン・レノが演じた殺し屋によく似てます。てゆーかこの映画そのものが香港版『レオン』と云えるかもしれない。設定やテーマには共通するものがいくつもあります。主人公はレノのようにヒロイックじゃないし、ストーリーも単純な勧善懲悪ではない。ヒロインは立派な大人の女で、しかもふたりにはたまたま出会った同郷人と云う以上の明瞭な感情は生まれないけど、それだけにあの映画よりも重く説得力がある。さらに緩急の利いたストーリー展開とリズムで観客をぐいぐいと引張っていく。考えさせられる。かつ泣かせる(えー、実はボロ泣きしました)。リアリティと説得力とは別ものなんだな、と強く感じさせる映画です。
大都会の強大なうねりの前に哀れなほど非力な人間たち。その渦の中で、誰の意志が働いている訳でもないのに、まるでゴミ同然に踏みにじられ、無意味に消費されていく人間の命、尊厳。
ダニエルはセシリアに「希望を捨てるな」と説くけれど、この映画に出てくる人物は皆がどこか都会の運命に絶望している。誰も街の未来に何の期待もしていないし、だからこそ誰が何をやっても物事が悪い方に転がっていってしまうように見える。そんな中で友を信じ仲間を思いやる、下町独特の人情がしみるようにあたたかい。

この役にダニエルを抜擢した方も偉いと思う。だって全然違和感ないもん。彼が従来持ってるイメージとこれだけ極端にかけ離れたキャラクターもないくらいなのに。実際ぐりは作品を観るまでこの役を彼がどう演じているのか、さっぱり想像がつかなかった。
それがねー、もうもう不思議なくらいぴたっ!!とハマッってました。ほんとスゴイです。見るからにおとなしそうで不器用で、愚直なくらい一途で、お金の価値もろくに分からず、生の野菜サラダさえ食べたこともない、無知で無学で、悲壮感をいっぱいに背負った大陸人。殺し屋と云ってもこれまでに殺人を犯した経験もない、香港では道案内なしでどこへ行くことも出来ない、不馴れなコンタクトレンズに不安そうに眉をひそめ、迷子の子どものようにトボトボと歩く、うら寂しげな異邦人。黙って画面に映ってるだけで可哀想。たまりません。
こういう役は少し前なら梁朝偉(トニー・レオン)あたりにオファーされていただろう。それが30代になったダニエルにまわって来たことに、彼の役者としての成長と香港映画界の微かな世代交代が表れているのかもしれない。
ぐりは彼のデビュー作『美少年の恋』をちょっと思い出しましたね。台詞が北京語ってのもあるし、心優しくはあるけど野生の動物のような狂暴性と残虐さをも秘めた、刹那的な二面性を持った若者像が、自分の性衝動と恋人と家族愛の間で揺れる悲劇の青年像と、どこか重なるような気がしました。
ただこの作品ではあのまぶしいような笑顔は見る影もないけど。

今にも泣き出しそうな顔で、行方不明の恋人が娼婦などと云う汚れ仕事に堕ちていることを頑なに否定するダニエルを、恩人だから最後にサービスよと云って無邪気にセックスに誘うセシリア。滞在期限が近づき、故郷に待つ家族への土産選びにはしゃぐ彼女と、クリスマスだと云うのに恋人は行方知れずで、よりにもよって人殺しのために華やいだ街を彷徨う彼との対比がまた悲しいけど、無駄に陰惨に染まり過ぎないのはふたりのスター性に因るところもあるのではないかと思う。
乱暴な云い方をすれば、ダニエルもセシリアも決して大陸人には見えないし見たてようがない。しかしあえて大陸人でない代りに香港人でもない彼ら(ダニエルは中国系アメリカ人、セシリアはイギリス系クォーターでオーストラリア育ち)がもともと持っていた香港との距離感が、はかなくよるべない主人公たちのフィクションらしいキャラクター描写に絶妙な効果を与えている。そこがリアリティ≠説得力たるこの作品の特徴でもある。
例えば、同じ話を劉燁(リウ・イエ)や袁泉(ユエン・チュエン)みたいな本物の大陸人俳優でやったりしたら、痛過ぎて直視出来なくなってしまうか、説教じみた文芸映画へと作品全体が完全にシフトしてしまう可能性もある。文芸映画もいいかもしれないが、こういう話は娯楽映画であってこそ的確に観客に伝わるものもあるのではないか。
この主人公ふたりが安易に恋に堕ちたりしないとこもぐりは好きだ。ふつー、ハリウッドとか日本とか(ヨーロッパでもいい)他の国の映画だったら、少なくとも軽くキスシーンくらいは入りそうなシチュエーションでも手さえ握らない。そーゆーとこが妙に香港ハードボイルドらしいと云うか、「中国人らしい」と云うか。一見境遇は似ているようでいて、香港を去ろうとする女と香港に来たばかりの男と云う立ち位置の違いを、一定以上の距離を踏み越えないふたりのストイックな関係によって表しているともいえる。

とにかく良い作品です。日本でもヒットして欲しい。
なのに日本版公式HPもないってどーゆーことよ?公開2日め日曜の1回めなのにガラガラ。もっとちゃんと宣伝しろーー。<配給

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