落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

映画霊

2007年09月15日 | movie
『女優霊』
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ある新人監督(柳ユーレイ)が初監督作品で古い余りもののフィルムでカメラテストをして現像してみると、無関係な映像が映っていた。それ以来、撮影現場では不可解な出来事が次々と起こり・・・とゆー、古典的ホラー。映像を媒介に思念が伝播するというモチーフが『リング』の下敷きにもなっている。

怖い怖いという評価は聞いてたけど、いうほど怖くはなかったです。
むしろ、最近のとにかくあざとく人を怖がらせようとするモダンホラーと比較すれば、「人は一体何が怖いのか・何が人を怖がらせるのか」という恐怖感覚の根源を客観的にとらえようとしているマジメな姿勢に好感が持てる、まっすぐな映画にみえましたです。全編に監督のフィルムと映画の現場に対する愛情が溢れてます。
あとこれは映画好きな人はかなり楽しめる作品でもあるんじゃないでしょーか。ステージはもちろん試写室やスタッフルームや食堂や廊下まで、ホンモノの撮影所風景をそのまま生かして、映画の現場の雰囲気がけっこうリアルに再現されてるから。狭い空間にたくさんのクルーがひしめきあっていて、ゴチャゴチャしててせわしくて、いろんな人の思いが交錯する特異な空間。映画の撮影所はどこも古い建物が多いから、薄気味の悪い場所も実際あるしね。この映画もほんとうに流布してる怪談話を元ネタにしてるって聞いたことあります。

ただ現実の撮影所を知ってるとこの物語の設定にはちょっとムリはありますです。
ここの撮影所もそうだけど、日本の映画撮影所の三重の高さは7〜8mがせいぜい。地面が土だとこの高さから転落しても即死はしないよね。ケガはするだろうけど。
それと三重の手すりは画面でみてわかる通り大人の膝くらいの高さしかないので、うっかりすれば誰でも簡単に落ちます。高さもあるけどホコリっぽいし暗いし暑いし危ないから、用のない人間はできれば登りたくない場所でもある。
つまり、三重から落ちることはなくはないけど、死ぬことはほぼないです。

ちなみにぐりもここの撮影所は以前よく仕事で通ってて(こないだも行ったね)、作中にも出てくる廊下にはホントに出るんだよ〜なんてウワサも聞きました。
まあ実際、あんまり夜中にひとりでうろつきたいようなところではないです。ハイ。
ところでこの映画、陳果(フルーツ・チャン)がハリウッドでリメイクするんだってねー。リメイクするほどの映画とは思えないし(つかそもそもはTVドラマだし)、監督が陳果じゃどーなるんだかまったく予想つかないけど、とりあえず柳ユーレイの役を誰がやんのかは気になる。あのヘタレな怖がり方がミョーに色っぽくてちょっと萌えました(爆)。

この映画でいちばん怖いのは、現場の人間が人の死よりも作品がお蔵になることを恐れるという超現実主義が当り前に描かれている部分なんじゃないかと思う。
登場人物は死者に同情はするけど、それよりもなによりも関係者の苦労が注がれた映画が日の目を見るかどうかにずっとこだわる。
そんなもんだよといってしまえばそれまでだが、それって人としてどっか歪んでないかとも思う。けどたぶん、ぐりも当事者だったら同じように思うんだろうなあ。

天下太平

2007年09月10日 | book
『決定版 日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』 半藤一利著
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今まで一体何度読みかけて挫折したことか。
今回も5〜6回は挫折しかけました。なんとかどーにか初めて読破しましたが。
コレ映画化もされてますね。ぐりは未見ですけども。機会があったら一度観てみたい。おもしろそーだから。監督は岡本喜八。

えーと。“ 運命の八月十五日”とゆーからにはあの日ですね。1945年8月15日のことですわな。
映画ではホントに14日〜15日正午の玉音放送までの24時間に絞って描いてるらしーですけど、本はその前月、7月27日のポツダム宣言から始まっている。その日から15日のあの放送までの、軍部と政府と反乱軍の葛藤が描かれたドキュメント。
まあよう調べたはります。これ初版が出たのは1965年なので、著者はまだ健在だった当事者や関係者に直接取材をしたらしく、信憑性は別としてものすごく臨場感はあるです。細かいし、リアル。取材も大変だったろうし、書くのも出すのも大変だったろう。
そういう意味では大変貴重な本であることは間違いないと思う。

でも正直な話、ぐりがこの本を読みかけては毎度諦めてたのは、どうしてもここに描かれた「敗戦劇」が滑稽としか受け止められなかったからだ。
滑稽だなんていったらお怒りになられる方もおられるやもしれない。
けど滑稽だよ。
著者が思い入れたっぷりに司政者たちや軍人たちのドラマを悲劇的に歌いあげればあげるほど、60年前の夏のドタバタが、ぐりには喜劇としか思えなくなる。同情はする。世の中には時間にしか答えが出せないことがたくさんある。それが歴史だ。彼らには自分たちのしていることが正しいのかどうか判断するすべがまったくなかった。なにしろ日本はそれまで戦争に負けたことがなかったのだ。

ぐりがこのドラマを喜劇だと思うのは、彼らのあがきが空虚だからではない。
多くの日本人にとって、戦争は暴力であり、貧困であり、別れであり、喪失であり、屈辱だった。負ける前から、当時の日本人はみんな、大切な家族と引き裂かれ、学校や職場や家を失い、おなかをすかせて、みじめに朽ちていった。
国民たちが払った凄惨な犠牲と、この本に登場する政府・軍部の間には、いっさいなんの関係もないようにみえるのがおかしいのだ。笑い事じゃないけど笑っちゃうよ。一体どんだけ激しいギャップがあったらそんなことになるんだか。300万人以上の日本人が死んで、戦闘機も軍艦もなんにも残ってないのに、戦争をやめることに悩んだり抵抗したりしなきゃいけない理由がわからない。
国体(Wikipedia)ってなに?意味がわからないわけじゃない。価値がわからないのよ。どうしてそれがそんなに大事なのかがわからない。てかわかりたくない。どーでもいーもん。そんなもののために人が死ななきゃいけない世の中なんか狂ってるよ。

結局戦争をするのは、誰が何人死のうと関係なくとことんまで暴力をふるえる体制なのだ。そんな体制をつくるのは犯罪者や狂人じゃない。国民だ。どこぞの国は今現実にそーだけどね。
日本もこれからまた、そんな体制になっていくんだろーか。
できれば勘弁してほしーですー。

拍手する時っていつ

2007年09月09日 | movie
『拍手する時に去れ』
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若い女性がホテルで刺殺体で発見され、直後に容疑者(申河均シン・ハギュン)が逮捕される。彼は殺意は認めたが現場に着いたときには被害?メは既に死んでいたと証言する。TVの特別番組で捜査が生中継されるという衆人環視の中、検事(車勝元チャ・スンウォン)はホテル従業員や被害者の同僚などの証言をかきあつめるが・・・。
おもしろかったよ。けどこれも・・・うーん・・・。長いよね。くどい。ムダなシーン、不必要な要素がやたら多い。展開が雑。サスペンスなのかコメディなのかオカルトなのかはっきりしてほしいよ。
脚本は悪くないんだろうと思う。でも編集でもっと頑張ればもっともっとおもしろくなったはず、という観はどうしても否めません。観客の緊張感をここまでブツ切りにしてしまってはサスペンスとしては失格でしょう。
事件報道=茶番という着眼点はなかなか独創的だし、シン・ハギュンやチャ・スンウォンの熱演は確かに一見の価値ありだけど、それだけにもったいないです。

ここ2〜3年売上げが落込んでいるという韓国映画。この2本だけに限れば「さもありなん」とも思う。出てる人間がカブりすぎ、映像や音楽や編集に思想がない、商業主義にこだわる割りに観客の方を向いて作品をつくっていない。もっとがんばりなよ〜。
とりあえず、この2本はあと15〜20分くらい切れば間違いなくよくなるね(爆)。イヤ、ほんとに。
あと会場の雰囲気にも微妙にガッカリ。せっかくの特集上映なのにまったく盛り上がってない。マナーの悪い客が多過ぎる(上映中にがさがさ音をたてて飲食、パタパタ携帯をいじる、ゲップする)。場内は空調が効き過ぎて真冬のような寒さ。入場料も妙に高いし、なんだか何をやりたいのかよくわからないよー。

八クリ2

2007年09月09日 | movie
『愛するときに話すこと』
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東大門で偽物ブランド服を売るヘラン(金知秀キム・ジス)は、引越し先の近所で薬剤師のイング(韓石圭ハン・ソッキュ)と知りあい心安らぐものを感じるようになるが、亡父が残した莫大な借金の返済に追われる彼女は恋愛どころではない。一方イングにも知的障害をもつ兄がおり、それが原因で婚約が破談になってしまった過去があった。
ハン・ソッキュ、好きなんだよねえ〜。恋愛モノは『八月のクリスマス』以来らしいけど、もおお、めちゃめちゃデジャヴュっすよ。キ?ャ奄熕ン定もカブりすぎ。しかし『八クリ』ほどの完成度はない(爆)。残念。
全体に構成のバランスが悪い。中途半端なの。ラブストーリーとしてはメインのストーリーラインが弱過ぎるし、家族の物語としては説明過多。無駄に長くて、ひたすらもたもたもたもたしている。カメラワークにも編集にも芸がない。
完全に『八クリ』のイメージと「Home, Sweet Home」という名曲の力に頼った二流映画。マジメに丁寧につくろうとした意欲はわかるけど、それだけじゃダメですよ。

サッカーバス

2007年09月01日 | movie
『オフサイド・ガールズ』
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ぐりはイラン映画ってあんまり観ないしとくにサッカーも大して好きではない。だからたぶんセレクトが悪かったんだろう。
眠かった(爆)。
構成がプリミティブすぎるのだ。場面転換とかぜんぜんないし、トーンもずーっと変わらない。いいたいことはわかるけど、しょーじき退屈でした。とくに後半、ミニバスの中の場面は観てるだけでしんどかった。

ほんの少し前までは世界中の女性がここで描かれるようなイスラム社会と同じような環境におかれていた。人類の長い歴史の間ずっと、女性には恋愛や結婚の自由も教育を受ける権利も職業選択の自由も選挙権もなかった。お嫁に行って子を生む以外の人生は女性の歴史にはごく最近まで存在しなかったのだ。
今のわれわれは当然のように学校に通い好きな仕事を選び、好きな相手と結婚し政治家になることも選挙にいくこともできるけど、それは実は「当り前」じゃない。われわれの母親や祖母の世代の人たちが真剣に闘い、努力して勝ち取った権利なのだ。それもこのほんの数十年間に。

そのことを思うと、女としてもっとがんばんなきゃいけないんだなと、改めて思ったり・・・・・はちょこっとしました。ちょこっとね。