『サバイバルファミリー』
鈴木家は会社員の父(小日向文世)、主婦の母(深津絵里)、大学生の長男(泉澤祐希)、高校生の長女(葵わかな)の4人暮らし。
ある朝、住んでいる地域一帯が停電し、時計も携帯電話も電車も自動車も、電気を使用するものがいっさい動かなくなってしまう。マンション暮しで水もなくなり食糧も尽きた一家は、母・光恵の父親(柄本明)が住む鹿児島に避難するため自転車で空港を目指すが・・・。
『スウィングガールズ』『ウォーターボーイズ』で知られる矢口史靖によるパニックコメディ。
たった10日足らずだが、電気のない生活をしたことがある。
6年前の震災当時、住んでいた地域では停電はしなかったけど、1ヶ月余り後に宮城県石巻市で緊急支援ボランティアに参加したときのことだ(出発日の記事)。ライフラインはある程度復旧していたが、滞在していた石巻専修大学グラウンドのボランティアサイトには電源がなかった。水道もガスもなくて、水は給水車で山の上の浄水場で汲んだものを、ガスは支援物資のボンベをつかって、毎日被災者1000人分の食事を調理した。コンビニもスーパーも飲食店も、半径30キロ圏内に営業している店は一軒もなく、自動販売機も一台もなかった。郵便局も銀行もATMも薬局も病院もホテルも銭湯もコインランドリーも、きれいさっぱり何もなかった。つまりクレジットカードはいうに及ばず、現金だってあったって何の役にも立たない。電車やバスなどの公共交通機関はまだ復旧前で、ガソリンも深刻に不足していてクルマは最低限しか使えないから、よほどのことがなければ、何か足りなくても買物のためにクルマを出そうなんて人間すらいなかった。
寒風吹きすさぶグラウンドで(大袈裟でなく本気で寒い)テント生活をしながら、300人以上のボランティアが文句ひとついわず自主的に電気のない生活をしていたあの日々。お金がなくても電気がなくても、互いに支えあえば何となく何とかなるということを身をもって知ることができた、貴重な体験だった。
ときどき、そのときのことを懐かしく思い出す。何もないからこそ、ただ隣にいるというだけで出会ったばかりの人同士、力いっぱい助けあおうとしていたときのことを。
電気が一般に普及したのは19世紀、まだ200年も経っていないのに、いまや人の生活は何もかもが電気に支配されている。
とはいえほんの半世紀ほど前まではこれほどではなかったはずだ。台所や風呂の煮炊きはかまどで薪や炭をつかっていたし、電気がなくても電話はかけられたし、写真も撮影できた。音楽だって演劇だって電気が登場するずっと前からあった。やはり震災のとき、被災されたお年寄りが「倉庫に眠っていた古い道具をつかって火をつけたり暖をとったりできて、若い人の役に立てたことが嬉しかった」といっていたのがとても印象的だった。
でもいまは何もかもが電化されて、ガス器具ですら電源がなければ使えないし、集合住宅などの給水ポンプも電気がなければ動かない。電話も電気がなければかけられない。何もかも電気がなければどうにもできない。そもそもただの便利な道具だった電気を中心にして世界はまわっている。電気のために環境が破壊され、人権が蹂躙されていても、ほとんど誰も気にとめない。
こんなの民主主義じゃない。ファシズムじゃないか。いつの間に、人間はそんなものをゆるしてしまったんだろう。
鈴木家一家はとくに仲良くもないごく普通の家族だ。独善的で見栄っ張りな父親、ただただ楽天的な母親、反抗的だが無口で気弱な息子、兄に輪をかけて反抗的で生意気な娘。よくもこんなにありきたりなキャラクターばっかり揃えられたなと、逆にビックリするくらい無個性な一家だ。個性がなさ過ぎて却って強烈ってところが天晴れ下劣な矢口節です。
その4人が電気のないサバイバル生活を経て、徐々に頼るものが互いしかいないことに気づき結びつきを深めていく過程が、状況のあまりの過酷さを通じて描かれる。コメディなんだけど、そこには嘘がない。無駄な状況説明もない。とにかくどんどん状況が悪くなっていくだけ。悪くなってもおなかはすく。水がなくなれば余裕がなくなる。精神状態も刺々しくなる。だからもうイヤになるくらい何度も衝突しあうんだけど、衝突したってなんにも解決なんかしっこないんだよね。そしてひとりひとりが助けあって譲りあえば、人の力と自然の力でちゃんと暮していくことはできる。そういう真理って、経験則でしか理解できない。
そんな緻密なシミュレーションの積み重ねが非常にリアル。超バカバカしい笑い話を、無茶苦茶真剣に根性はめて追求する姿勢は相変わらず素晴らしい。素敵。
けどよく考えたら矢口監督の初期の『裸足のピクニック』やら『ひみつの花園』も転落サバイバルコメディだったよね。
若手スター主演のメジャー映画に転向してからおもしろくなくなったと思ってたけど、キャラクターをひたすら過激においこみまくって観客をドン引きさせる下品なセンスは全然衰えてなかった。さすがっす。
ただストーリーそのものに芸がないのはちょっとどーかとも思った。そんなもんいらん、という潔さはある意味ストイックなのかもしれないけど、正直物足りなさも残っちゃったです。これはこれでいい映画だけどね。
鈴木家は会社員の父(小日向文世)、主婦の母(深津絵里)、大学生の長男(泉澤祐希)、高校生の長女(葵わかな)の4人暮らし。
ある朝、住んでいる地域一帯が停電し、時計も携帯電話も電車も自動車も、電気を使用するものがいっさい動かなくなってしまう。マンション暮しで水もなくなり食糧も尽きた一家は、母・光恵の父親(柄本明)が住む鹿児島に避難するため自転車で空港を目指すが・・・。
『スウィングガールズ』『ウォーターボーイズ』で知られる矢口史靖によるパニックコメディ。
たった10日足らずだが、電気のない生活をしたことがある。
6年前の震災当時、住んでいた地域では停電はしなかったけど、1ヶ月余り後に宮城県石巻市で緊急支援ボランティアに参加したときのことだ(出発日の記事)。ライフラインはある程度復旧していたが、滞在していた石巻専修大学グラウンドのボランティアサイトには電源がなかった。水道もガスもなくて、水は給水車で山の上の浄水場で汲んだものを、ガスは支援物資のボンベをつかって、毎日被災者1000人分の食事を調理した。コンビニもスーパーも飲食店も、半径30キロ圏内に営業している店は一軒もなく、自動販売機も一台もなかった。郵便局も銀行もATMも薬局も病院もホテルも銭湯もコインランドリーも、きれいさっぱり何もなかった。つまりクレジットカードはいうに及ばず、現金だってあったって何の役にも立たない。電車やバスなどの公共交通機関はまだ復旧前で、ガソリンも深刻に不足していてクルマは最低限しか使えないから、よほどのことがなければ、何か足りなくても買物のためにクルマを出そうなんて人間すらいなかった。
寒風吹きすさぶグラウンドで(大袈裟でなく本気で寒い)テント生活をしながら、300人以上のボランティアが文句ひとついわず自主的に電気のない生活をしていたあの日々。お金がなくても電気がなくても、互いに支えあえば何となく何とかなるということを身をもって知ることができた、貴重な体験だった。
ときどき、そのときのことを懐かしく思い出す。何もないからこそ、ただ隣にいるというだけで出会ったばかりの人同士、力いっぱい助けあおうとしていたときのことを。
電気が一般に普及したのは19世紀、まだ200年も経っていないのに、いまや人の生活は何もかもが電気に支配されている。
とはいえほんの半世紀ほど前まではこれほどではなかったはずだ。台所や風呂の煮炊きはかまどで薪や炭をつかっていたし、電気がなくても電話はかけられたし、写真も撮影できた。音楽だって演劇だって電気が登場するずっと前からあった。やはり震災のとき、被災されたお年寄りが「倉庫に眠っていた古い道具をつかって火をつけたり暖をとったりできて、若い人の役に立てたことが嬉しかった」といっていたのがとても印象的だった。
でもいまは何もかもが電化されて、ガス器具ですら電源がなければ使えないし、集合住宅などの給水ポンプも電気がなければ動かない。電話も電気がなければかけられない。何もかも電気がなければどうにもできない。そもそもただの便利な道具だった電気を中心にして世界はまわっている。電気のために環境が破壊され、人権が蹂躙されていても、ほとんど誰も気にとめない。
こんなの民主主義じゃない。ファシズムじゃないか。いつの間に、人間はそんなものをゆるしてしまったんだろう。
鈴木家一家はとくに仲良くもないごく普通の家族だ。独善的で見栄っ張りな父親、ただただ楽天的な母親、反抗的だが無口で気弱な息子、兄に輪をかけて反抗的で生意気な娘。よくもこんなにありきたりなキャラクターばっかり揃えられたなと、逆にビックリするくらい無個性な一家だ。個性がなさ過ぎて却って強烈ってところが天晴れ下劣な矢口節です。
その4人が電気のないサバイバル生活を経て、徐々に頼るものが互いしかいないことに気づき結びつきを深めていく過程が、状況のあまりの過酷さを通じて描かれる。コメディなんだけど、そこには嘘がない。無駄な状況説明もない。とにかくどんどん状況が悪くなっていくだけ。悪くなってもおなかはすく。水がなくなれば余裕がなくなる。精神状態も刺々しくなる。だからもうイヤになるくらい何度も衝突しあうんだけど、衝突したってなんにも解決なんかしっこないんだよね。そしてひとりひとりが助けあって譲りあえば、人の力と自然の力でちゃんと暮していくことはできる。そういう真理って、経験則でしか理解できない。
そんな緻密なシミュレーションの積み重ねが非常にリアル。超バカバカしい笑い話を、無茶苦茶真剣に根性はめて追求する姿勢は相変わらず素晴らしい。素敵。
けどよく考えたら矢口監督の初期の『裸足のピクニック』やら『ひみつの花園』も転落サバイバルコメディだったよね。
若手スター主演のメジャー映画に転向してからおもしろくなくなったと思ってたけど、キャラクターをひたすら過激においこみまくって観客をドン引きさせる下品なセンスは全然衰えてなかった。さすがっす。
ただストーリーそのものに芸がないのはちょっとどーかとも思った。そんなもんいらん、という潔さはある意味ストイックなのかもしれないけど、正直物足りなさも残っちゃったです。これはこれでいい映画だけどね。