今日から師走。
滋賀県長浜と福井県敦賀まで出かけてきました。
琵琶湖周回道路(さざなみ街道)を通り抜けてきました。
この界隈の奥琵琶湖から余呉湖(賤ヶ岳)付近は、ぼくの大好きな場所です。
今朝は、野鳥でも撮っているのか、カメラを構えた人や歩いている人が、百人ばかり湖畔にたむろしていました。(愕)
竹生島も美しく映えていました。
敦賀にも立ち寄りました。
先月、JRの快速電車が、直接、関西から敦賀まで乗り入れるようになって、関西訛りの観光客が気のせいか多いような気もします。
敦賀港近くの金ヶ崎城跡に出かけました。小さな小山です。
今は、金崎宮という神社があります。
芭蕉も立ち寄って句を残しています。
頂上に眺めのよい月見殿という場所がありました。
1570年、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が揃い踏みして、朝倉軍と対峙した陣地でもありました。
浅井、朝倉両軍に挟まれて、あわやという危機に瀕しました。
(これを救ったのが浅井家に嫁いだ信長の妹お市の機転だったという説もあります)
この場所から、逃げて逃げて、九死に一生を得た・・・信長、秀吉、家康の天下取りの歴史物語が始まりました。
ある意味では、関ヶ原よりもインパクトのある歴史上のエポックとしてとらえるのも面白いかもしれません。
滋賀県長浜と福井県敦賀まで出かけてきました。
琵琶湖周回道路(さざなみ街道)を通り抜けてきました。
この界隈の奥琵琶湖から余呉湖(賤ヶ岳)付近は、ぼくの大好きな場所です。
今朝は、野鳥でも撮っているのか、カメラを構えた人や歩いている人が、百人ばかり湖畔にたむろしていました。(愕)
竹生島も美しく映えていました。
敦賀にも立ち寄りました。
先月、JRの快速電車が、直接、関西から敦賀まで乗り入れるようになって、関西訛りの観光客が気のせいか多いような気もします。
敦賀港近くの金ヶ崎城跡に出かけました。小さな小山です。
今は、金崎宮という神社があります。
芭蕉も立ち寄って句を残しています。
頂上に眺めのよい月見殿という場所がありました。
1570年、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が揃い踏みして、朝倉軍と対峙した陣地でもありました。
浅井、朝倉両軍に挟まれて、あわやという危機に瀕しました。
(これを救ったのが浅井家に嫁いだ信長の妹お市の機転だったという説もあります)
この場所から、逃げて逃げて、九死に一生を得た・・・信長、秀吉、家康の天下取りの歴史物語が始まりました。
ある意味では、関ヶ原よりもインパクトのある歴史上のエポックとしてとらえるのも面白いかもしれません。